2012-04-08(Sun)

復活のキリストと出会う 2012年4月8日イースター礼拝メッセージ

復活のキリストと出会う
中山弘隆牧師

 ギデオンは行って、子山羊一匹、麦粉一エファの酵母を入れないパンを調え、肉を籠に、肉汁を壺に入れ、テレビンの木の下にいる方に差し出した。神の御使いは、「肉とパンを取ってこの岩の上に置き、肉汁を注ぎなさい」と言った。ギデオンはそのとおりにした。主の御使いは、手にしていた杖の先を差し伸べ、肉とパンに触れた。すると、岩から火が燃え上がり、肉とパンを焼き尽くした。主の御使いは消えていた。ギデオンは、この方が主の御使いであることを悟った。ギデオンは言った。「ああ、主なる神よ。わたしは、なんと顔と顔を合わせて主の御使いを見てしまいました。」主は彼に言われた。「安心せよ。恐れるな。あなたが死ぬことはない。」ギデオンはそこに主のための祭壇を築き、「平和の主」と名付けた。それは今日もなお、アビエゼルのオフラにあってそう呼ばれている。
士師記6章19~24節


 婦人たちが行き着かないうちに、数人の番兵は都に帰り、この出来事をすべて祭司長たちに報告した。そこで、祭司長たちは長老たちと集まって相談し、兵士たちに多額の金を与えて、言った。「『弟子たちが夜中にやって来て、我々の寝ている間に死体を盗んで行った』と言いなさい。もしこのことが総督の耳に入っても、うまく総督を説得して、あなたがたには心配をかけないようにしよう。」兵士たちは金を受け取って、教えられたとおりにした。この話は、今日に至るまでユダヤ人の間に広まっている。さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」
マタイによる福音書28章11~20節



(1)イースターを迎えるに当たって
 本日、わたしたちは主イエス・キリストが人類の罪の贖いのために十字架について死なれ、三日目に復活されたイースターの日を覚えて、礼拝を守っています。
 イースターは実に人類の歴史の分水嶺と呼ぶべき偉大な出来事であります。イースターの出来事は、それ以来人類の歴史の中に、神についての無知を霊的な洞察へと、この世的な野心を真実な兄弟愛へと、死に対する不安を復活の希望へと、臆病を勇気へと変革する霊的力を注いできました。
 主イエスは十字架の死と言う恥と苦難を受けられたにもかかわらず救い主であると言うのではなく、正に十字架の死を遂げられたからこそ、人類の救い主なのです。しかし、十字架の死が現在のわたしたちを、そして未来の人類を救う効力は、十字架について死なれた主イエスが復活して、再び死ぬことなく、永遠に生きて働いておられるからです。もし主イエスが死人の中から復活されなかったとすれば、十字架の死は空しく、主イエスは救い主ではないことになってしまいます。
 神の愛をもって人間を愛し、その教えと行動と人格を通して、強烈な感化を弟子たちに与えられた主イエスであっても、もしも復活しなかったとすれば、その影響は今日までは及ぶことはありません。たとえ何らかの影響が残っていたとしても、それはかすかな光であり、ただ人間と社会の悲惨さを浮き彫りにするだけの明るさしか残ってはいません。
主イエスが救い主であるのは、その他の多くの偉大な人物や宗教家のように、後世の人々に何らかの影響を与えているというのではなく、実に今日も生きて働いておられる生ける人格であるからです。
 今から約150年前、英国で活躍したプロテスタントの有名な伝道者で神学者であったデイルは、イースターの前夜、礼拝の説教の準備をしながら、部屋の中を歩きながら思索していましたが、突然彼は足を止め、「キリストは生きている。キリストは生きて働いている。キリストは生きている。」と叫びました。このようにして、彼は復活のキリストと出会ったのです。

(2)空虚な墓
本日の聖書の箇所はイースターの早朝に何が起こったのかを知らせています。
「さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行った。」(28:1)
ここで安息日とはユダヤ教で言う安息日であり、土曜日のことです。そして週の初めの日とは、日曜日のことです。但し、キリスト教ではキリストが復活された日曜日を安息日と呼んでいます。
二人のマリアと呼ばれている女性は、日曜日の朝まだ日が昇らない暗いうちに、イエスを慕う熱い思いから、せめてもイエスの死体のそばにいることによって、イエスを失った精神的苦痛を癒されたいと願い、墓を見に行きました。
そのとき、彼女らの思いを根底から覆すような激震に見舞われました。激震とは地震の大きな揺れではなく、むしろ墓の中に横たえられていたイエスの死体がもうそこにはなかったということです。全く予想もしない事実が彼女らを震撼させたのです。
イエスの死体がもう墓の中に無いという事実は、過去との大きな断絶を意味します。わたしたちはこれまで慣れ親しんでいた物事は、今自分たちが直面している新しい状況には、もはや通用しないと言う驚きです。
「天使は婦人たちに言った。『恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、あの方は、ここにはおられない。かねて言われていた通り、復活されたのだ。さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい。』(28:6)
このようにイエスの墓は空虚になっていたのです。しかし、それだけではイエスがどこにおられるのかと言う積極的な答えにはなりません。それゆえ、天使は復活に関する積極的なメッセージを知らせ、次にように命じました。
「それから、急いで行って弟子たちにこう告げなさい。『あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。』」(28:7)
ここで、天使が告げた言葉は、イエスが復活されたという事実を知るために、生けるイエスを「見る」ことを、弟子たちに約束したのです。

(3)世界の主イエス
「さて、十一人の弟子たちはガリラヤに生き、イエスが指示しておかれた山に登った。そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。」(28:16~17)
この時、弟子たちはイエスを「見た」のです。復活のイエスの証人たちは皆イエスを見た人たちです。
そこでイエスの身体は以前の肉的な身体ではなく、霊的な身体でありましたが、明らかに身体をもっておられましたので、イエスは人間として復活されたことが分かります。このことはイエスの復活において非常に重要な点です。
しかし、同時に復活のイエスは「神」としての権能を発揮しておられます。従いまして、弟子たちはイエスの御前にひれ伏したのです。イースター以前には、弟子たちはイエスに助けを求めましたが、イエスに祈ったことはありませんでした。イエスを先生と呼んでいましたが、イエスを主と呼ぶことはなかったのです。
しかし今や彼らはイエスを主と呼び、イエスを礼拝したのです。
イエスは地上で生活し、神の国の福音を宣教されましたときにイエスの働きと人格の中で、イエスの人間性が前面に出ていましたが、それでもイエスの言葉と行為の中に、イエスが神の権限をもって働いておられることが現されていました。それゆえ、イエスは人間であり、同時に隠れた神でありました。
それとは対照的に、復活されたイエスの働きの中では、イエスが神であることが前面にでています。それでもイエスが霊的身体をもっておられることが示されましたので、イエスは神であり、同時に隠れた人間であります。
神は人間となることはできますが、人間が神となることは絶対にできないのです。従いまして、イエスが復活されたから神になられたのではありません。復活される前から、イエスは神でありました。 
しかし、復活によって神としての主権を発揮されるようになったのです。それでもなおご自身の内に人間性をもっておられる神です。なぜならばイエスの人間性こそ、わたしたちが生きることのできる新しい命の源であるからです。

ここで注目すべきことは、聖書が復活の主イエスを見ても「疑う者がいた」と言っている点です。それはイエスの復活の身体は弟子たちが慣れ親しんでいたこれまでの肉的な身体とは別種類の身体であることを証しています。
しかし、それにも拘らず、弟子たちがイエスであることを認識し得たのは、復活の主イエスが弟子たちに出会い、御言葉を語られた時に、弟子たちは地上のおられた主イエスの人格と復活の主イエスの人格が同一であることを知ったからです。

「イエスは近寄ってきて、言われた。『わたしは天と地の一切の権威を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子としなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことすべてを守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。』(28:18~20)
ここでの問題は、復活の主イエスの力と十字架の主の弱さ、十字架の主の身体と復活の主の身体との間に大きな違いと断絶があります。それにも拘らず、それが同じ主イエスであると言う自己同一性はどうして弟子たちに理解されたのでしょうか。
実にそれは復活の主イエスご自身が十字架について死んだ方として語っておられるからです。
主イエスが「わたしは十字架について死んだイエスである。今わたしは父より、天地の一切の権威を授けられた。」と仰せになったからです。

それゆえ、キリストの使徒たちが復活の主イエスから啓示された福音は第一に、「十字架について死んでイエスは、神であり、われらの主となり、全類の救い主となられた。」ということです。
第二に、「主イエスは十字架の死による人類の罪の贖いをもって、天地万物を支配する主権者となられた。それゆえ、これまでの世界と価値観はすべて過ぎ去るべき古いものとなった、今や主イエスの支配と共に、全く新しい世界と価値観が与えられた。それは人間が神と共に生きるという根本的に新しい生き方である。主イエスの中に人間の生きるべき新しい命が与えられている。」ということです。
第三に、「実際主イエスが地上で行い、教えられたイエスの行き方を告げ知らせ、人は皆、主イエスの弟子となって、主イエスに見習いなさい」という勧めです。
最後に「主イエスを信じて、洗礼を受け、主イエスの命じられたすべてのことを守り、そのようにして神を賛美しなさい。」という勧めです。
このように復活された主イエスと出会って、福音の使徒とされた弟子たちは、皆主イエスの復活を信じた人たちです。
従いまして、今日のわたしたちにとって、イエスの復活とは、復活のイエスが弟子たちにご自身について証し、天地の主権者として命じられた御言葉を信じることによって、わたしたちを新しく生かす神的事実なのです。
それゆえ、復活のキリストは使徒たちの宣教した福音を通して、キリストご自身が語り、働き、聞く者と出会われる方なのです。

(4)同伴者
主イエスは実際に復活し、今や天地の支配者となられたということは、わたしたちすべての者にとって、喜びと驚きであります。
しかし、この喜びと驚きはゆっくりと心の中心部に入って行きます。最初は主イエスが聖書の頁の中の人物であります。
次に、夕暮れのひと時、西の山々が残照の空にシルエットとして浮かび上がるように、主イエスと共に生きる人間の営みと新しい世界がシルエットのように遠くから展望できるでありましょう。
それから、主イエスの性質が分かり、主イエスが自分のすぐ近くに臨在しておられるのが分かってくるでありましょう。主イエスがこの世の何物よりも確かな現実として、実に生ける人格としてわたしたちに対面しておられるのが分かります。
その出会いの中で、わたしたちに御言葉を語り、それを実行するように命じておられる生ける人格であることがわかります。そしてわたしたちが主イエスの命令を実行に移し、努力しているとき、実はわたしたちが実行できるように、既に備えられているが分かるのです。

「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」と復活の主イエスは仰せられます。
ここで主イエスは「わたしは」と特に強調した言い方をされています。そして「いつも」あなたがたと共にいる、と約束されました。この「いつも」とは「すべての日々に」と言う意味です。
わたしたちが過ごしています日々の中で、その一日が何をもたらすかをわたしたちはあらかじめ予想することはできません。信仰的な確信に満ちた日、失敗して悲しむ日、子どもの誕生が喜びをもたらす日、親しい人の死が悲痛を与える日、平和の日、戦争の日、生活が歌となる日、絶望が濃い霧のようにわたしたちを覆う日もあるでしょう。しかし、これらすべての日々に、主イエスはわたしたちと共におられるのです。
さらに、「わたしは常に共にいる」と言うキリストの約束には、勝利の響きがあります。この言葉の響きを聞いて、初代教会のクリスチャンたちは冒険をしてきました。彼らはキリストのために迫害に遭遇しても、大胆にキリストの福音を宣教したのです。その結果、キリストが共におられることを発見したのです。
また、わたしたちもキリストに従って冒険するとき、そこにキリストが共におられ、すべての権威を授けられた方として、罪と死に打ち勝った新しい生命をわたしたちに注がれるのです。
まことに復活のキリストは御言葉を通してわたしたちと出会い、わたしたちの中に臨在し、ご自身の命を与えられる方です。わたしたちはキリストご自身の直接的働きを受けるので、キリストに従い、御言葉を実行することができるのです。
このような仕方で主イエスはわたしたちの毎日の生活の途上における同伴者であることが分かるようになります。



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