2012-02-12(Sun)

迫るキリストの愛 2012年2月12日の礼拝メッセージ

迫るキリストの愛
中山弘隆牧師

 主に対する畏れを知っているわたしたちは、人々の説得に努めます。わたしたちは、神にはありのままに知られています。わたしは、あなたがたの良心にもありのままに知られたいと思います。わたしたちは、あなたがたにもう一度自己推薦をしようというのではありません。ただ、内面ではなく、外面を誇っている人々に応じられるように、わたしたちのことを誇る機会をあなたがたに提供しているのです。わたしたちが正気でないとするなら、それは神のためであったし、正気であるなら、それはあなたがたのためです。なぜなら、キリストの愛がわたしたちを駆り立てているからです。わたしたちはこう考えます。すなわち、一人の方がすべての人のために死んでくださった以上、すべての人も死んだことになります。その一人の方はすべての人のために死んでくださった。その目的は、生きている人たちが、もはや自分自身のために生きるのではなく、自分たちのために死んで復活してくださった方のために生きることなのです。それで、わたしたちは、今後だれをも肉に従って知ろうとはしません。肉に従ってキリストを知っていたとしても、今はもうそのように知ろうとはしません。だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。これらはすべて神から出ることであって、神は、キリストを通してわたしたちを御自分と和解させ、また、和解のために奉仕する任務をわたしたちにお授けになりました。つまり、神はキリストによって世を御自分と和解させ、人々の罪の責任を問うことなく、和解の言葉をわたしたちにゆだねられたのです。ですから、神がわたしたちを通して勧めておられるので、わたしたちはキリストの使者の務めを果たしています。キリストに代わってお願いします。神と和解させていただきなさい。罪と何のかかわりもない方を、神はわたしたちのために罪となさいました。わたしたちはその方によって神の義を得ることができたのです。
コリントの信徒への手紙二 5章11~21節



(1)クリスチャンの生き方
 本日の聖書の箇所は、わたしたちが教会に連なってクリスチャンとして信仰生活を送るためには、いつもどのように考え、どのように行動しなければならないかを示しています。
一言でいえば、これは世々のクリスチャンが体験し、認識している最も基本的な事柄ですが、クリスチャンは「キリストにあって」生きるということです。これは新共同訳聖書では、「キリストに結ばれて」生きると表現されています。
さらに、使徒パウロはコリントの信徒への手紙二、2:17で次のように言っています。
「神の御前で、キリストに結ばれて語っています。」
従いまして、わたしたちもパウロのように、キリストに結ばれた者として、神の御前で考え、語り、行動することがクリスチャンの生き方です。
神は人間ではなく、天地万物の創造者であり、救済者であり、恵み深い人間の歴史の支配者でありますから、隠れたところからわたしたちのすべてのことを見ておられ、わたしたちにとって「万事を益としてくださる神」なのです。
このこともすべてのクリスチャンに共通する確信です。パウロはローマの信徒への手紙8:28でこのことを言っています。
「神を愛する者たち、つまり、ご計画に従って召された者たちには、万事が益となるように働くということを、わたしたちは知っています。」
このように、全知全能の神、万物の支配者なる神を、自分と密接に人格的に結ばれている神として知ることが信仰です。
さらに神との人格的な関係の中で、主イエスにおいて現されている神の思いと行動を自分の思いと言動の中で映し出すとき、わたしたちに対する神の愛に、わたしたちが全存在をもって応答することになるのです。こうすることによって、クリスチャンは神の御前に生きるのです。

(2)クリスチャンとなる
 次に、クリスチャンの信仰と生き方の「根拠」となるものは、「キリストを通して啓示された神の愛」であります。
本日の聖書の箇所で、使徒パウロは自分たちの為す伝道と奉仕の業は、すべてキリストの愛に迫られて行っていると、断言しています。
 「なぜならば、キリストの愛がわたしたちを駆り立てているからです。わたしはこう考えます。すなわち、一人の人がすべての人のために死んでくださった以上、すべての人も死んだことになります。その一人の方はすべての人のために死んでくださった。その目的は、生きている人たちが、最早や自分自身のために生きるのではなく、自分たちのために死んで復活してくださった方のために生きることなのです。」(5:14~15)

 キリストが十字架につけられて死に、三日目に死人の中から復活させられたのは、わたしたちのためであったという神の事実にわたしたちの心を向け、この事実を深く思うときに、その事実を通して神の愛が啓示されるのです。神はキリストのこの事実を通して、今わたしたち一人一人を愛しておられるのです。この神の愛を信じることが信仰です。
しかし、キリストの死と復活がどうして神の愛を示しているのかという点で、そこには厳然とした理由があるのです。その理由を神が示されるとき、人は初めてキリストの死と復活の意味を知り、そこに働いている神の愛を知ることができます。
 パウロは復活の主イエスを見て、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と呼びかける御声を聞きました。そのときパウロは「主よ、あなたはどなたですか」と尋ねますと、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。」と主は答えられたのです。そのとき、パウロは主イエスの十字架の死が人類の罪の贖いであることを初めて認識しました。
このことにつきまして、パウロ自身はコリントの信徒への手紙二、4:6で次にように証しています。
「『闇から光が輝き出よ』と命じられた神は、わたしの心のうちに輝いて、イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光を悟る光を与えてくださいました。」
この神の啓示を受けるまで、パウロは主イエスをこの世的な見方で見て、十字架の死は神の罰であり、イエスは神を汚す最大の罪人であると考え、キリスト教を迫害していたのです。
この有様をパウロは5:16で、「肉に従って、キリストを知っていたとしても、今はそのように知ろうとはしません。」と言っています。
キリストの十字架の意味を心で思いめぐらすとき、心に神の啓示の光を受け、キリストの十字架の犠牲こそ、人類に示された神の愛であることが分かるのです。このことによって人は生まれながらの古い人間ではなく、神によって創造された新しい人間になるのです。
従って、新しい人間とはキリストの十字架に対する古い見方を捨て、神が人類のためにご自身を与えて、神ご自身が人間の救いを実現してくださったという尊い事実を知る者なのです。
新しい人間となったパウロは次のように判断しています。
「わたしはこう考えます。すなわち、一人の人がすべての人のために死んでくださった以上、すべての人も死んだことになります。」
 ここで、人間の代理としてキリストが死なれたのは、人間が罪の裁きを逃れるためではなく、それ以上の事柄であるといっています。すなわち、「罪人である古い人間」はキリストと共に死んだということです。それゆえ神はキリストを通して、わたしたちを神の御前に生きる「新しい人間」として創造されたということなのです。
ここで新しい人間とは、自分自身の中に存在の基盤を持っているのでなく、自分の存在の基盤をキリストの中に与えられている者なのです。このことが人間に対する神の愛なのです。
 そこでパウロは次にように判断すると言っています。
「その一人の方はすべての人のために死んでくださった。その目的は、生きている人たちが、最早や自分自身のために生きるのではなく、自分たちのために死んで復活してくださった方のために生きることなのです。」
ここで、キリストにあって「新しく創造された人間」の生き方は、自分を創造してくださったキリストのために生きることである、と言っています。すなわち、キリストの僕となってキリストに仕えることであると言っています。

しかし、キリストに仕えるとは、わたしたちが古い人間の思いと行動を用いてキリストに仕えると言うことでは決してありません。わたしたちの罪のためにキリストが死んでくださったのですから、わたしたちも古い自分を捨てなければならないのです。そしてキリストの中に創造された新しい人間として、考え、行動することがキリストに仕えることなのです。
 パウロはそのように判断し、キリストを信じたのです。このことがキリストの十字架と復活によって啓示された神の愛を信じることであります。同時にこのことにより、人はクリスチャンになり、新しい人間として生きるのです。

 信仰に入って間もない或る方が、新鮮な感情で次ぎのように語られました。
 「自分はキリストの復活についてまだはっきりと分かりませんが、キリストの愛については確信できます。それは自分の心に直接感じられるのです。」
正に、信仰者にとってキリストの愛が自分を取り巻く一切の物事よりも確かなのです。どのような困難も、自分を襲う死の力さえも、キリストの愛から自分を引き離すことはできないと確信できるのです。キリストの愛だけが自分を生かす本当の力であると感じるのです。

 しかし、この確信は主イエスの復活によって、可能となったのです。なぜならば、主イエスが十字架の犠牲の贖いによって達成された事柄の意味は、主イエスが復活されたことにより、明らかになったからです。
主イエスは復活して、神の右に座し、神の国の支配者となられたので、父なる神は人間に聖霊を送り、聖霊を通して、十字架の愛を啓示されたからです。
 別の言い方をすれば、主イエスは復活されたことにより、救い主としての業が完成したからです。主イエスは復活によって、名実ともに救い主となられたのです。復活されたことにより、主イエスは聖霊を通して、信仰者の中に臨在され、信仰者の中で働かれるようになったからです。

(3)クリスチャンの働き
 次に神の愛がクリスチャンを捕らえるとき、クリスチャンは神の愛を実行するのです。クリスチャンの行動を通して神の愛が働くこと、これがクリスチャンの働きなのです。
 神の愛は人間から出るのではないし、人間の所有物でもありません。そうではなく、神の愛が人間を捕らえ、人間を通して働くのです。
 従いまして、クリスチャンは何のために生きているのかという問いに対する答えはただ一つであります。答えは極めて単純明快であります。自分のために死んでくださったキリストのために生きることであります。
また、どうしてクリスチャンは自分のことを忘れて、人々の益のためにそれほどまで献身的に働くのかと問われますと、答えはこうであります。つまり、わたしたちのために死人の中から復活されたキリストがわたしたちの中で働いておられるからであります。
さらにどうして、貧しい苦労の多い生活をしても喜んでおり、試練の中でも希望を抱いて忍耐しているのかと言いますと、理由はただ一つであります。
すなわち、クリスチャンにはキリストの愛が絶えず強く迫っているからであります。キリストの愛がクリスチャンを取り囲み、強め、促し、そのような働きをさせるからです。
 新共同訳聖書で「キリストの愛がわたしを駆り立てているからです」という箇所を、ニュー・イングリシュ・バイブルでは、「キリストの愛がわたしを支配している」と訳しています。原文では、「キリストの愛がわたしたちを取り囲んでいる。支配している。捕らえている」と言う意味の一つの言葉が使用されています。従いましてキリストの愛がわたしたちの動機、考え、行動を決定するという意味におきましても、キリストの愛がわたしたちを支配するのです。
具体的には、日々復活のキリストがわたしたちと出会い、御言葉を通してご自身の思いと行動をわたしたちに示してくださいます。それゆえ、わたしたちは自分に直面しておられるキリストの御前で、キリストに見習い、キリストの犠牲と無私な精神をもって、自ら進んで振る舞い、行動するのです。これがクリスチャンの行動を通して、神の愛が働くことの現実です。
なぜならば、御言葉を通して、キリストがわたしたちと直面されるとき、同時にキリストはわたしたちの中に臨在し、わたしたちの中で働いておられるからです。
そのようにして、キリストに見習うことが、キリストに仕え、キリストのために生きることです。そういう意味で、クリスチャンはキリストの愛が隣人に向かって働く場合に、キリストの愛の水路となると言えるのです。

最後に愛の業として、重要な働きが伝道です。
「魂を捕らえる」という題名の本を書きましたスポルジョンは、キリストのために「人の魂」を捕らえることが伝道である、と言っています。それは自分のために捕らえるのではなく、「キリストのため」に捕らえることであると強調していいます。
スポルジョンは気持ちが落ち込んで、ほとんど絶望の淵まで行く苦しい体験をしました。自分の足が闇の渕に滑り落ちそうな恐ろしい体験でした。しかし、彼はその事を感謝しています。それは彼が何回ともなく、自分と同じような条件にある兄弟姉妹に出会い、彼らをしっかりと支えることが出来たからです。
従いまして、スポルジョンは、もし神が摂理のみ手をもって、あなたを豊かな富を持つ者にされるならば、神はあなたを富める人たち、そして富のために邪悪になり、無知な生活をしている人たちの所に出かけていき、福音を語るに相応しい者にしてくださる。もし、あなたが貧乏であることをキリストが喜んでおられるならば、あなたは貧しい人たちの所に行き、貧しさが罪の原因になっている人たちに、魂の救いを与える福音を語るに相応しい者としてくださる、と教えています。
人の魂をキリストのために捕らえるということは、キリストの愛を受け入れてくださいと、クリスチャンがキリストに代わって相手に熱心にお願いすることなのです。それは人間がキリストを受け入れることをキリストが一番願っておられるからです。クリスチャンがキリストの愛をもって、熱心にキリストの愛を受け入れてくださいとその人にお願いすることを通して、キリストが聖霊を通して、その人の心に神の愛を注がれるのです。そのとき、人は信仰が与えられるのです。



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