2012-02-05(Sun)

キリストの香りを運ぶ 2012年2月5日の礼拝メッセージ

キリストの香りを運ぶ
中山弘隆牧師

 いかに幸いなことでしょう、背きを赦され、罪を覆っていただいた者は。いかに幸いなことでしょう、主に咎を数えられず、心に欺きのない人は。わたしは黙し続けて、絶え間ない呻きに骨まで朽ち果てました。御手は昼も夜もわたしの上に重く、わたしの力は、夏の日照りにあって衰え果てました。わたしは罪をあなたに示し、咎を隠しませんでした。わたしは言いました「主にわたしの背きを告白しよう」と。そのとき、あなたはわたしの罪と過ちを、赦してくださいました。あなたの慈しみに生きる人は皆、あなたを見いだしうる間にあなたに祈ります。大水が溢れ流れるときにも、その人に及ぶことは決してありません。あなたはわたしの隠れが。苦難から守ってくださる方。救いの喜びをもって、わたしを囲んでくださる方。
詩編32編1~7節


 わたしは、キリストの福音を伝えるためにトロアスに行ったとき、主によってわたしのために門が開かれていましたが、兄弟テトスに会えなかったので、不安の心を抱いたまま人々に別れを告げて、マケドニア州に出発しました。神に感謝します。神は、わたしたちをいつもキリストの勝利の行進に連ならせ、わたしたちを通じて至るところに、キリストを知るという知識の香りを漂わせてくださいます。救いの道をたどる者にとっても、滅びの道をたどる者にとっても、わたしたちはキリストによって神に献げられる良い香りです。滅びる者には死から死に至らせる香りであり、救われる者には命から命に至らせる香りです。このような務めにだれがふさわしいでしょうか。わたしたちは、多くの人々のように神の言葉を売り物にせず、誠実に、また神に属する者として、神の御前でキリストに結ばれて語っています。
コリントの信徒への手紙二 2章12~17節



(1)クリスチャンの証
 本日はわたしたちクリスチャンがキリストの福音をどのように証すべきかを聖書から学びたいと思います。
 本日の聖書の箇所は、使徒たちの務めとクリスチャンの務めについて次にように言っています。
 「神はわたしたちをいつもキリストの勝利の行進につらならせ、わたしたちを通じて至るところに、キリストを知るという知識の香りを漂わせてくださいます。」(コリント二、2:14)
 つまり、使徒たちは「キリストの香り」を至るところに漂わせていると言っています。また、次にように言っています。
 「あなたがたは、キリストがわたしたちを用いてお書きになった手紙として公にされています。墨ではなく生ける神の霊によって、石の板ではなく人の心の板に、書きつけられた手紙です。」(3:3)
 そして、「すべての人々から知られ、読まれています。」(3:2)
 このように、クリスチャンから漂い出るキリストの香りは、キリストを証しているのです。造花と本物の花を区別するしるしは、花の香りです。たとえ造花が精緻にできていても、香りを放っていなければそれは本物の花ではありません。昔物語で、ソロモン王の知恵を試しに来た南の国の女王は、両手に本物の花と造花とをもって、離れた所に立ち、どちらが本物の花かであるかを言い当てるようにと挑戦しました。そこでソロモンは家来に窓を開けるように命じましたとき、ミツバチが外から入って来て、止まった花を見て、それが本物であると答えたという逸話です。
 花の香りは、花の実質と特徴を現わしています。垣根の向こう側から芳香が漂ってきたときに、人は直接その花が見えなくても、どんな花が咲いているかを知ることができます。
 そのように、復活のキリストは人間の目に見えない方でありますが、クリスチャンの中に臨在し、クリスチャンの中でご自身の性質を現しておられるので、人々はクリスチャンを通してキリストを知ることができるのです。
 また、もしわたしたちが有名人から、自分に宛てられた個人的な手紙を貰ったとしますと、どれほど感激することでしょうか。その手紙を大切に保管し、何回も読んで大いに感化を受けるでありましょう。
しかし、有名人ではなく、万物の創造者であり支配者である恵み深い神様から、個人的な手紙を頂いたら、人はどれほど驚きまた感謝することでありましょうか。多くの人々にとってそのようなことは想像することもできないと思うかもしれませんが、神様は実際人々に個人に宛てた手紙を送っておられるのです。
神様からの手紙はクリスチャンです。クリスチャンは神様からの手紙として、多くの人々に送られているのです。

(2)クリスチャンの特質
次に、キリストを証するクリスチャンの具体的な在り方とその働きとは何でしょうか。
このことに関して、使徒パウロはテサロニケの信徒への手紙一、1:3で次のように言っています。
「あなたがたが信仰によって働き、愛のために労苦し、また、わたしたちの主イエス・キリストに対する希望を持って忍耐していることを、わたしたちは絶えず父である神の御前で心に留めているのです。」
ここで、パウロはテサロニケ教会のクリスチャンたちの「信仰の働き、愛の労苦、希望の忍耐」を絶えず心に留め、神に感謝しています。
実に信仰・愛・希望がクリスチャンの存在と結びついているクリスチャンの特性です。

(3)信仰とは
それでは信仰とは何でありましょうか。信仰の働きとはどんなことでしょうか。
信仰とは主イエスを信じることによって、神が主イエスにおいて、人間に対して何をなされたかを認識し了承することです。
主イエス・キリストの十字架と復活とにおいて、神がわたしたちのためになされたことを知ることです。すなわち、主イエスの十字架の死と復活の中で、神がわたしたち人間に対して与えられた神の判決の意味を知り、その判決を受け入れ、承認することです。
主イエスにあって、わたしたちが既にどのような者とされているかを理解し悟ることです。それは二つの判決を通して生起した現実です。
一つは、否定的に、キリストがわたしたちのために、わたしたちの罪を背負って、十字架の刑を受け、死なれたことにより、わたしたちはキリストと共に死んだということです。
従って、今生きている自分は死ぬべき「古い人間」であるということ、言い換えれば自分の中には何の正しさも、善もないということを認識し自覚することです。
それゆえ、自分に頼って生きることは、死に向かって行く生き方であり、そこには全く未来がないことを認識し、自分に頼って生きることを止めることです。
一つは、積極的に、キリストがわたしたちのために復活されたことにより、わたしたちはキリストを通して、神によって「新しい人間」として創造されたことを認識することです。
新しい人間こそ、神の御前で生き、神に従うことができる自由なる人間なのです。そして新しい人間が、「わたしたちの固有」の存在とされていることを認識することが信仰です。
但し「新しい人間」は自分の中に基盤を持っているのではなく、復活されたキリストの中に基盤を持っています。従いまして、わたしたちはキリストを信じて、キリストと繋がることによって、つねに「新しい人間」として生きることが信仰の働きです。
いま実際に生きているわたしたちは、古い人間と新しい人間の両方に関係していますので、自分の中に罪と悪が満ちている古い人間であるにも拘らず、義と命の満ちている新しい人間なのです。
なぜならば、神がキリストにおいて創造された新しい人間をわたしたちの「固有の人格」として取り扱ってくださるからです。
さらに新しい人間は古い人間と新しい人間の二つの面で、自分の全責任を自覚する「真の人格」となっているのです。

それゆえ信仰は、わたしたちがキリストと繋がって、古い自分に死に、新しい人間に生きることが可能であると確信するのです。言い換えれば、「キリストにあって」わたしたちは神の御心に反する事柄を捨て、神の御心を実行できると確信するのです。これが信仰です。

(3)愛とは
次に、愛とは神がわたしたちの祈りを聞きあげてくださることを確信して、神に祈り求めることです。
それでは何を神に祈り求めるべきでしょうか。わたしたちの生活に必要なものはすべて神から与えられるのですから、それらを求めることは確かに必要です。しかし、主イエスはクリスチャンが先ず何を求めるべきかを教えられました。
「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。」(マタイ6:33)
ここで、神の国とはわたしたちがキリストにおいて既に与えられている恵みに立脚して、わたしたちが神の御心を実行することの中にあるのです。そういう形で、神の国はすでにわたしたちの中に到来しているのです。
神の義とは、神が罪人であるわたしたちに与えられたキリストの義であります。わたしたちはキリストの義を受けて、神の御前に立つ「新しい人間」とされています。要するに、わたしたちがキリストを信じることによって、「義なる新しい人間」として、神との人格的な交わりが与えられるのです。
従いまして、わたしたちが神の国と神の義を求めるとは、キリストにおいて、神の御心を知り、神の御心を実行することを求めるのです。
愛とは次に、知らされた神の御心を実行することです。しかも直ちに実行することなのです。

なぜなら、わたしたちに神の御心が示されるということは、キリストにあって、既にそれが実行できるようにされているからです。神から直接聞いた御心を自ら進んで、喜んで行う神の子たちの自由が既に与えられているのです。
別の言い方をすれば、わたしたちがキリストにおいて、神と出会い、御心を知らされるということは、神が聖霊においてわたしたちの中に臨在しておられることなのですから、直ちにわたしたちはその御心を実行できるし、それゆえ実行しなければならないのです。

次にクリスチャンの具体的な態度や気質について、聖書は繰り返し教え、また命令しています。
聖書は古い人間を絶えず脱ぎ捨てることを命じています。
「古い人間をその行いと共に脱ぎ捨てなさい。」(コロサイ3:9)
古い人間の傾向は、自己の義を誇り、他人を裁く高慢さであります。
その高慢さはわたしたちの中に常に姿を現しますが、クリスチャンはキリストにあって、常にそれを捨てますので、高慢さから解放され、神の子たちの性質として、「謙遜」になるのです。
 高慢と並んで、貪欲が古い人間の特質です。それを捨て去ることにより、神に信頼して、神の与えられる限度内で生きることを喜び感謝する神の子たちの「自由」が与えられるのです。
 謙虚と自由を主イエスは「神の子たちの態度」として祝福し、次のように仰せになりました。
 「心の貧しい人々は、幸いである。天の国はその人たちのものである。」(マタイ5:3)
 主イエスの祝福された「心の貧しさ」とは古い人間の高慢と貪欲から解放された神の子たちの謙遜と自由であります。
 古い人間のもう一つの特徴は、人に対して不寛容であり、人を赦さないことです。
主イエスは「人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。」(マタイ7:1)
古い人間は自己の高慢さによって、人を見下す傾向があります。これは自分の姿を直視しえない欺瞞の結果でありますが、誰でも主イエスの贖いによる罪の赦しを得て、神との人格的な交わりを与えられた時、初めてその欺瞞に気が付くのです。
なぜならば神との交わりの中で、新しい人間の人格は、古い人間である自分の姿を冷静に直視し、その責任を自覚するからです。
しかもそのような罪人である自分が神によって赦されている恵みを感謝するとき、他の者の高慢や欺瞞を自分のことのように感じながら、他を赦すことができるのです。また神から赦された者として、他を赦さなければならないのです。聖書は次のように教えています。
「互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも同じようにしなさい。」(コロサイ3:13)
従いまして、赦すことが「新しい人間」の特質です。

次に、神がクリスチャンに命じられる業はすべての正しい、良い行い、振る舞い、言動であります。それらは一つの共通点があります。すなわち、それらは愛によって、一つに結び合わされています。聖書はこの点を次にように教えています。
「これらすべてに加えて、愛を身に着けなさい。愛は、すべてを完成させる絆です。」(コロサイ3:14)
「すべて」とはすべての良い行い、すべての徳性です。従いまして、愛はすべての良い業を行うのであり、すべての良い業は愛の働きであると言えます。すなわち、愛は具体的にすべての良い業の中で、その性質を現しているのです。
これが良い正しい行いに対する聖書の見方であり、愛に対する聖書の見方です。
最後に、本日の聖書の箇所に戻りますと、パウロは次のように言っています。
「誠実に、また神に属する者として、神の御前でキリストに結ばれて語っています。」(コリント二、2:17)
クリスチャンがキリストの手紙として、キリストを証する場合にも、パウロと同じく「神に属する者として、神の御前でキリストに結ばれて行動している。」と言えます。
そのような者たちは、主イエスの命令を実行することによって、主イエスが地上の人生で体験されたことを、今自分たちのいる状況の中で、「追体験」し、それに「見習い」、その「コピー」となるのです。
そのようにして、クリスチャンの行動と存在は主イエスの思いと言葉と行動を反映させる鏡となり、キリストの手紙となり、キリストの香りとなるのです。



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