2012-01-01(Sun)

主を見上げて 2012年1月1日新年礼拝メッセージ

主を見上げて
中山弘隆牧師

 目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。わたしの助けはどこから来るのか。わたしの助けは来る、天地を造られた主のもとから。どうか、主があなたを助けて、足がよろめかないようにし、まどろむことなく見守ってくださるように。見よ、イスラエルを見守る方は、まどろむことなく、眠ることもない。主はあなたを見守る方、あなたを覆う陰、あなたの右にいます方。昼、太陽はあなたを撃つことがなく、夜、月もあなたを撃つことがない。主がすべての災いを遠ざけて、あなたを見守り、あなたの魂を見守ってくださるように。あなたの出で立つのも帰るのも、主が見守ってくださるように。今も、そしてとこしえに。
詩篇121篇1~8節


 さて、あなたがたは、キリストと共に復活させられたのですから、上にあるものを求めなさい。そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます。上にあるものに心を留め、地上のものに心を引かれないようにしなさい。あなたがたは死んだのであって、あなたがたの命は、キリストと共に神の内に隠されているのです。あなたがたの命であるキリストが現れるとき、あなたがたも、キリストと共に栄光に包まれて現れるでしょう。だから、地上的なもの、すなわち、みだらな行い、不潔な行い、情欲、悪い欲望、および貪欲を捨て去りなさい。貪欲は偶像礼拝にほかならない。これらのことのゆえに、神の怒りは不従順な者たちに下ります。あなたがたも、以前このようなことの中にいたときには、それに従って歩んでいました。今は、そのすべてを、すなわち、怒り、憤り、悪意、そしり、口から出る恥ずべき言葉を捨てなさい。互いにうそをついてはなりません。古い人をその行いと共に脱ぎ捨て、造り主の姿に倣う新しい人を身に着け、日々新たにされて、真の知識に達するのです。そこには、もはや、ギリシア人とユダヤ人、割礼を受けた者と受けていない者、未開人、スキタイ人、奴隷、自由な身分の者の区別はありません。キリストがすべてであり、すべてのもののうちにおられるのです。
コロサイの信徒への手紙3章1~11節


(1)礼拝の意味
 本日は2012年の元旦であり、しかも第一日曜日でありますので、礼拝によってこの年を始めることは、クリスチャンにとりまして最もふさわしいことであります。
 わたしたちを主イエスにおいて、ご自身の民として選ばれた神は、旧約聖書の十戒の第一の戒めで次にように仰せになっています。
 「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。」
 旧約聖書の時代に、イスラエルをエジプトの奴隷から導き出された神は、今や主イエスを通して、人間を罪の奴隷から解放する究極的な救いを与え、ご自身がすべての人間の主であり、神であることを啓示されました。
 この神に対して、クリスチャンはいわば人類の代表として、礼拝を献げることが、最大の使命なのです。神がご自身の民に要求される命令は、第一に礼拝を献げること、第二に隣人を自分自身のように愛し、共同体を形成し、その中で神の意志を実行することです。
 さらに、クリスチャンが礼拝を献げることは、何よりもこの世界に対して神を証することです。しかも、礼拝の内容とは主イエスを通して、神を感謝し、神に祈り求め、神に従い、神の御心を実行して、神を賛美することであります。
 今日の日本社会では、人々は元旦や正月には神社及び他の場所に参詣します。そこで人々は何を祈願するのでしょうか。無病息災、家内安全、商売繁盛、入学試験合格、就職祈願など願いは様々であります。そのような願いをかなえる神様として七福神が祭られています。しかしこのような礼拝は自分たちの利益だけを求める甚だ自己中心的であり、まことの神を礼拝する態度ではありません。

 勿論、人類は神を恐れ敬う敬神の念を持っており、古代から神々を祭ってきました。パウロがギリシャのアテネで福音を伝道しましたときに、彼はギリシャの宗教と教育を管理するアレオパゴス議会の講堂に連れて行かれて福音を弁明しました。そこに集まった聴衆に向かって、彼は人々の敬神の態度を指摘しています。
 「アテネの皆さん、あらゆる点においてあなたがたが信仰の篤い方であることを、わたしは認めます。道を歩きながら、あなたがたが拝むいろいろなものを見ていると、『知られざる神に』と刻まれている祭壇をさえ見つけたからです。それで、あなたがたが知らずに拝んでいるもの、それをわたしはお知らせしましょう。」(使徒言行録17:22~23)
 このように、人間の心が抱く敬神の対象が誰であるかを聖書は明らかにしているのです。言い換えれば、本当の意味での礼拝とは何であるかを明らかにしているのです。

(2)巡礼の歌
 本日の聖書の箇所は、旧約聖書の時代の信仰者たちがどのように神を礼拝していたかを証する詩編の一つです。それが121編です。
この歌は小見出しに「都に上る歌」とありますように、遠くの地に離散していたイスラエルの民がエルサレム神殿で礼拝するため、グループを作って巡礼してくるときに、歌われた詩編であると言われています。
 この歌は二手に分かれて交互に歌うという形式になっており、リーダーが1、2節にありますように「目を上げて、わたしは山々を仰ぐ、わたしの助けはどこから来るのか。わたしの助けは来る。天地を造られた主のもとから。」と歌い始めると、それに対して、他の者たちが3節の「どうか主があなたを助けて、足がよろめかないようにし、まどろむことなく見守ってくださるように、」と応答します。 
このように巡礼者たちは交互に歌いながら、旅を続けたものと思われます。砂漠や乾燥地帯を越えてくることは大変な苦労でありました。足の痛みや体力の消耗で苦しみ、あるいは病気になり、また思わぬ事故に遭うことがありますので、巡礼の旅はなかなか順調には行かなかったのです。
しかし、そのような危険を冒してさえ、世界の各地から多くの人々が、エルサレムの神殿に集まってきました。その熱意はいかに大きかったことでしょうか。
それは天地の創造者であり、人間の救済者である真の神がそこに臨在されるエルサレム神殿において、神を礼拝するということが、彼らの人生の最大目標であったからです。これが旧約聖書の時代の敬虔な人たちの生きる姿です。

 尚、この詩編が作られた背景には、作者の一つの体験があったと思われます。野宿する場合、巡礼者の財産を狙って襲撃してくる略奪隊から守るため、近くの山の上に一人の見張りを立てて夜通し警戒に当たらせました。
きっと作者が夕方自分のテントに入る前に、見張りが立っている山の方をみると、不思議なことに見張りの傍に、もう一人の見張りが立っているのが見えたのです。そのとき、神が自分たちと共にいて下さり、自分たちを見守っておられるのだ、と強く感じました。 
それは一つの霊感であったと言えましょう。そのような体験が背後にあって、天地を造られた主こそ、われわれの巡礼の旅を守り導いておられるという確信が与えられたのです。
 このように巡礼の途上で、「わたしの助けはどこから来るのか」ということは、巡礼者一人一人の切実な思いであります。
そのような思いをもって、巡礼者たちは山々を仰ぎ見たのでありましょう。しかしこの問いの答えは、彼らが仰ぎ見た山々ではなく、天地を作られた主でありました。
「天地万物の創造者である神」が、「わたしこそあなたを守る者である」と答えられたのです。このことがこの詩編の信仰告白の中心であります。

 神は略奪隊から巡礼者を守られるだけでなく、3節で、「どうか主があなたを助け、足がよろめかないように、まどろむことなく見守って下さるように」と歌っているのは、神がまた巡礼者の「足を強めて下さる方」であることを示しています。
また5節で、「主はあなたを見守る方、あなたを覆う影、あなたの右にいます方。」と告白されていますように、神が巡礼者たちを「覆う影となり」、昼は強い太陽の光線から身を守り、夜は人の心に悪い影響を与える月の光から守って下さる方であると、このように神への信頼を表明しています。
砂漠では紫外線が強くて、熱中症や皮膚ガンの原因になります。また、古代では月の光がテンカンの原因であると思われていました。このことは古代人の単なる想像による心配事でありますが、たとえどのような危険であろうとも、すべての危険を神が防いで下さる、ということが彼らに慰めと力を与えたのです。
それから、聖書で「右」と言います場合に、それは力の座を意味します。ここで信仰者の右に主がいますということは、「主が信仰者の力」であるという確信を表しています。わたし自身は弱い存在であるが、神がわたしの力となって下さるので、わたしに恐れはない、という告白であります。
 このような聖書の信仰は、信仰者に絶えず心の平安と勇気と力を与えます。その理由は「天地の創造者である神が恵み深い父なる神である」からです。つまり、霊的力を与えて、人生を逞しく歩ませてくださる方であるからです。
「創造者なる神」が巡礼者たちを守られるならば、「いかなる被造物」も彼らを害することはできないのです。強盗も、猛獣も、砂嵐も、諸々の霊力も彼らに災いを及ぼすことはできないのです。神が彼らの旅路において、彼らを覆う影となり、彼らの右手となり、彼らから「すべての災いを遠ざけ」、「出で立つのも帰るのも守って下さる」のであります。

人は自分が極めて弱い存在でしかなく、自分を取り巻く状況に多くの困難と危険があるときも、天地の創造者なる神が共にいてくださることを確信するならば、人はこのような勇気と力が与えられるのです。
巡礼者たちはこの霊的事実を強く心に受け止めながら、この詩編を歌うとき、どれほど神に対して深い感謝と畏敬の念を感じ、喜びと力に満たされたことでありましょうか。
歌には色々な種類がありますが、その中で労働歌があります。例えば、舟歌、田植え歌、馬子唄などがあります。舟歌は櫓をこぐ者たちが歌います。田植え歌は水田に苗を植える女性たちが歌います。馬子唄は、馬方が駄馬にお客や荷物を積んで遠くへ運搬するときに歌います。このように労働に携わるとき、歌を歌って力を出すのです。巡礼の歌も「神様から力を与えられる」ことにより、このような役割を果たしていたのではないかと思います。
ところで、実は人生そのものが巡礼の旅路なのです。人生のゴールは神がキリストによって用意しておられる「神の国」です。その神の国を目指して旅することがわたしたちの生涯です。

(3)キリストの十字架と復活を仰ぐ
 次に、わたしたちにとって、仰ぐべき助けはキリストの十字架と復活であります。
 神は御子イエスが人類の罪を背負って、罪の結果である虚無と死を経験し、その中で神への従順を全うされたことにより、人間のために義を達成されました。
 このことは、罪のために罰せられるべき人間が、赦され罰を免れたというのではありません。そのような消極的な意味ではありません。御子イエスが人間のために、義を達成されたのです。そのことによって、人間に対する神の目的が完全に実現したのです。
 わたしたちが御子イエスと共に古い自分に死に、御子イエスと共に新しい自分に復活することによって、実現したのです。そして神はわたしたちの新しい存在を主イエスによって創造し、主イエスの中に保存されました。
 言い換えれば、主イエスがわたしたちの「救い主」であるだけでなく、わたしたちの「救い」そのものとなってくださったのです。従って、わたしたちの「救い」は「主イエスご自身」なのです。
つまり、わたしたちの存在の基盤は最早わたしたち自身の中にではなく、主イエスの中に移されているのです。そして主イエスの中にある新しい自分がわたしたちの固有の存在となっているのです。それゆえ今や、主イエスの支配される神の国が、わたしたちの存在する「固有の場所」であるといえるのです。
 従いまして、クリスチャンの生涯が巡礼の旅であると言いますことは、主イエスにあって、クリスチャンが既にあるところの場所へ入っていくことなのです。しかも「日々新しく入っていく」ことなのです。
 それは主イエスの十字架を仰ぐことによって、復活の主イエスと出会うときに、可能となります。
そこで、主イエスはわたしたちに向かって、「あなたの存在の基盤は、あなた自身の中にではなく、わたしの中にある。それゆえ、この世の思いに捕らわれている古い自分を捨て、新しい自分として、神の思いを実行しなさい。すなわち、わたしの言葉に聞き従い、わたしの言葉を実行しなさい。」と命じられるのです。
 この主イエスの御言葉に聞き、それを実行することが、新しい自分として生きることなのです。その場合に、「聖霊」を通して、「主イエスの命」がわたしたちの中に働くのです。
 このことを感謝し、喜び、歌い、希望をもって、前進して行く人生こそ、クリスチャンの巡礼であります。
「日々新しく入っていく」ことによって、神の国はわたしたちの生活の中で「日々に現実となる」のです。
この体験を繰り返しながら、最終目的地である神の国に至ることがクリスチャンの巡礼です。



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