2011-12-18(Sun)

主の介入 2011年12月18日の礼拝メッセージ

主の介入
中山弘隆牧師

 呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備え、わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。谷はすべて身を起こし、山と丘は身を低くせよ。険しい道は平らに、狭い道は広い谷となれ。主の栄光がこうして現れるのを、肉なる者は共に見る。主の口がこう宣言される。呼びかけよ、と声は言う。わたしは言う、何と呼びかけたらよいのか、と。肉なる者は皆、草に等しい。永らえても、すべては野の花のようなもの。草は枯れ、花はしぼむ。主の風が吹きつけたのだ。この民は草に等しい。草は枯れ、花はしぼむが、わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ。高い山に登れ、良い知らせをシオンに伝える者よ。力を振るって声をあげよ、良い知らせをエルサレムに伝える者よ。声をあげよ、恐れるな、ユダの町々に告げよ。見よ、あなたたちの神。見よ、主なる神。彼は力を帯びて来られ、御腕をもって統治される。見よ、主のかち得られたものは御もとに従い、主の働きの実りは御前を進む。主は羊飼いとして群れを養い、御腕をもって集め、小羊をふところに抱き、その母を導いて行かれる。
イザヤ書40章3~11節


 イエスはお育ちになったナザレに来て、いつものとおり安息日に会堂に入り、聖書を朗読しようとしてお立ちになった。預言者イザヤの巻物が渡され、お開きになると、次のように書いてある個所が目に留まった。「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである。」イエスは巻物を巻き、係の者に返して席に座られた。会堂にいるすべての人の目がイエスに注がれていた。そこでイエスは、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と話し始められた。皆はイエスをほめ、その口から出る恵み深い言葉に驚いて言った。「この人はヨセフの子ではないか。」
ルカによる福音書4章16~22節



(1)歴史を開く神の言葉
 いよいよ次週はクリスマスを迎えることになります。本日はクリスマスが、神の救いの歴史の中で、いかに大きな意味を持っているかを旧約聖書の預言を通して、知る者でありたいと願っています。
 キリストの到来を預言しているイザヤ書40章から55章までは、今日の聖書神学によりますと、預言者イザヤではなく、彼より約200年後に活躍した無名の預言者によって語られたと見られています。便宜上その無名の預言者は第二イザヤと呼ばれています。
 当時イスラエルの有力者や技術を持つ者たちおおよそ4000人がバビロニア帝国に強制移住され、約80年もの長い間、異教の地で過ごすことを余儀なくされました。
第二イザヤが活躍した時期は、イスラエル民族の捕囚の最後の約15年間であったろうと推測されています。詳しく言いますと、バビロニア帝国の小さな属国の王キュロスが台頭し始めた西暦前553年から、キュロスが遂にバビロニア帝国を滅ぼし、世界制覇を成し遂げて、新しいペルシャ時代が到来した西暦前539年頃までの時期でありました。

 この時期に彼は預言者として召命を受けました。このことは40:6~8節から読み取ることができます。
 「呼びかけよ、と声は言う。わたしは言う。何と呼びかけたらよいのかと。肉なる者は皆、草に等しい。永らえても、すべては野の花のようなもの。」
 彼は「呼びかけよ」と言う神の声を聞き、「何と呼びかけたらよいのか」と神に尋ねています。
彼は自分については少しも語っていない預言者ですが、ここだけは唯一の例外で、「わたしは言う」と自分について証言しています。これは彼が神の召命に応答したことによって、預言者として立てられたことを表しています。
 「肉なる者は皆、草に等しい。永らえても、すべては野の花のようなもの」という言葉は、神に比べて人間の持っている弱さ、はかなさを表しています。従いまして、聖書では「肉なる者」と言う言い方は「人間の弱さ」を意味しています。特にこの場合はイスラエルの民の悲惨な状態を表しています。祖国の滅亡により、拠り所を失った民は意気消沈のどん底にありました。

 しかし、神は「草は枯れ、花はしぼむが、わたしの言葉はとこしえに立つ。」と、語られました。
肉なる人間は弱く、有限で、最後は滅びる運命にありますが、それとは反対に、神は全能で、永遠に存続し、すべてのものを決定する力を持つ方です。
神の言葉は状況がどのように変化しようとも、不変であり、すべての時代を貫いて働き、それを成就する力を持っています。それゆえ神は「わたしの言葉はとこしえに立つ」と仰せられるのです。

第二イザヤの時代は、アラブ世界の時代が終わりを告げ、ペルシャ世界の新しい時代が開始する歴史の大きな転換期でありました。そこにおいて、時代の方向を決めるものは神の意志であり、神の言葉であったのです。
ちょうど同じように今日の世界も、歴史の大きな転換期を迎えています。この10年来、経済や貿易の面で、ますます国際化が進み、人々の生活は世界の動向に直接影響される時代となりました。このグローバルの波は、生活全般に及び、情報の伝達もほとんど同時刻で可能となり、その結果、考え方や価値観が多様な時代となりました。今日わたしたちの国は自国の文化や習慣の独自性を守るために、他国の文化や習慣の交流を認めない鎖国政策を取ることは不可能です。
様々な国や民族に対して、窓を開き、人々の交流を認めながら、自国の文化や制度を形成していくことが必要です。その際、日本社会の基本理念や道徳や価値観が他国の人々から理解されるものであることが最も必要です。もしそれが理解されないというのであるならば、それは万国に共通する人間性に反する文化や制度になってしまいます。日本は何を改革すべきか、何を保存すべきは、まだ不透明でありますが、国際社会の一員として存続するためには、今後多くの試行錯誤を繰り返す覚悟が必要です。
しかし、人間の未来はすべて神の御手の中にあるのです。神は常に新しい時代を開かれる方です。神に信頼し、御言葉を聞くときに、わたしたちの未来が開けるのです。

(2)赦しの時
それでは、第二イザヤの預言の内容な何でしょうか。
「慰めよ、わたしの民を慰めよと あなたたちの神は言われる。エルサレムの心に語りかけ 彼女に呼びかけよ 苦役の時は今や満ち、彼女の咎は償われた、と。罪のすべてに倍する報いを 主の御手から受けた、と。」(40:1~2)

これは第二イザヤの預言の始まりであり、天上におけるヤーウェの会議の光景を示しています。
この詩は大きな声を出して読まれるべきものです。そうするならば預言の強調点とその心が分かります。この詩は命令的な響きに満ちています。
「慰めよ」、「語りかけよ」、「呼びかけよ」と言う三つの命令形の動詞と、その目的語である「わたしの民」、「エルサレム」、「彼女」から詩は構成されています。
ここで神の重大な決断が下されているのです。それは苦しみ嘆いているイスラエルの民に「慰めの時」が与えられるという決定です。神の計画において、審判の時は過ぎ、今や赦しの時が到来したのです。
預言者エレミヤと預言者エゼキエルたちが語った背信の民イスラエルに対する神の裁きの言葉は、既に成就したのです。「苦役の時は今や満ちたのです」。神は今や赦しの時を開始されるのです。
ここで預言者はイスラエルの民が「罪のすべてに倍する報い」を受けたと言っていますのは、量的に見て、罪に対する二倍の刑罰を受けたという意味ではありません。罪の量に従って罰するという態度を神は決して取られないのです。
ここでの意味は、イスラエルは自分たちの罪のために十分すぎるほどに苦しみを受けたが、今やもっとそれ以上の慰めを受ける時が来た、という意味です。

(3)新しい選び
次に、第二イザヤの預言はもっと普遍的で終末的な内容を持っています。それは背信の民であるイスラエルの罪が赦されたのでありますから、全世界のいかなる民もその罪が赦されないということは最早ありえないのです。
出エジプトの時は、その出来事を通して、イスラエルが「神の民」として選ばれたという画期的な内容を持っていました。そこに神の栄光が現れました。
しかし、今回は神に背き、神を捨てたイスラエルが赦され、「再び」神の民とされたのですから、神の救いはイスラエルに限定されることはありません。今回それほど深い神の愛は「全世界の民」に向けられているのです。
「主の栄光がこうして現れるのを 肉なる者は共に見る。主の口がこう宣言される。」(40:5)
 ここで、「主の栄光」の現れを「肉なる者は共に見る」と言っている点が特に重要です。これは「すべての人間」がその栄光を見るという意味です。
ヘブル語の原典でこの箇所は「すべての肉なる者は共に見る」となっています。すなわち「すべての」と言う言葉と、「共に」と言う二つの言葉で強調されているのです。従まして、この御言葉は「神の救いが全人類に与えられる」ことを端的に現しています。
この点が旧約聖書の中で、まさに画期的なのです。従来は神の選びの対象はイスラエルの民でしたが、「新しい選びの対象」は「全人類」なのです。

 次に、この預言の中で、「主の口がこう宣言される」という解説が付けられていますが、これは非常によく聖書の信仰の特質を示しています。聖書の中で神の啓示は御言葉を通して与えられます。その場合に幻が伴っていることもありますが、啓示の本質は神が御言葉によって人間の心に直接語られることにあります。神は人間の創造者でありますから、それが可能なのです。
実に御言葉による神の啓示は、そして御言葉による神と人間との交わりは、直接的で人格的な交わりであります。同時にまた御言葉による交わりは、神と人間との距離を示しています。
神は道徳的に無限に正しい方、全知であり、歴史の支配者である聖なる神です。人間の力と理解を越えた方であり、人間とは絶対的に異なる「他者」であります。このような人智をはるかに越えた神が、人間にご自身を現わして、人間との人格的関係を与えるために、必要で十分なことだけを御言葉によって啓示されるのです。
信仰者は神のようにすべてを知ることが認められているのではなく、知る必要のあることだけを御言葉を通して神から告げられるのです。
このように神の啓示と人間の応答は、神が御言葉を語り、人間が御言葉に聞き従うことなのです。これこそ聖書の信仰です。

(4)福音を告げる者
最後に第二イザヤの預言は、「福音」を語っています。
「高い山に登れ 良い知らせをシオンに伝える者よ。力を振るって声をあげよ 良い知らせをエルサレムに伝える者よ。声をあげよ、恐れるな ユダの町々に告げよ。」(40:9)
ここで神の命令によって、福音を伝える者が歴史の場面に登場します。神の御言葉は神の意志であると同時に、神の行為なのです。
従いまして、喜ばしい知らせである福音は、神が人類の救いのために、神ご自身が果たしてくださる神の行為を告げるのです。それは歴史の中で出来事として生起した事柄を告知することです。
ここに聖書の信仰、神の救いの特徴があります。神の与えられる救いとは、単なる教えではありません。一般的な真理ではありません。人間や社会についての一般的な真理ではありません。そうではなく、神ご自身の行為によって、歴史の中で出来事となった事柄が持っている真理なのです。
それは人間が以前には何も知らなかった事柄、何も体験しなかった全く新しい事柄なのです。それは本質的に、良き知らせとして、全人類に告げられるべきものなのです。それが福音です。
「良い知らせを伝える」と言う言葉は、第二イザヤが好んで使用しました。ここでも二度使われています。ヘブル語の「バーサル」と言う言葉が用いられていますが、それは「喜ばしい知らせをもたらす」、「救いにおける神の到来を告げる」と言う意味です。
他方、新約聖書では「良き知らせを伝える」という言葉がギリシャ語で記されています。しかし、新約聖書では「福音を告げる」という動詞よりも「福音」という名詞が前面に出ています。ともかく「福音」と言う言葉は、第二イザヤから由来しているのです。

なお、第二イザヤは福音伝道者の働きを実に生き生きと描いています。それは高い山に登って、声を張り上げている姿です。
高い山に登るとは、遠くにいる人々に見える場所に立つことです。そこから遠くにいる大勢の人々に届くような大きな声で語るのです。これは何という大きなスケールで、何という喜びと活力に溢れた姿でしょうか。
この預言は、今日キリスト教会が全世界のどこにでも存在し、クリスチャンたちが自分の足で歩いて出かけて行き、自分の生の言葉で、隣人にイエス・キリストの福音を語ることによって、成就するのです。

最後に第二イザヤに啓示された福音の中心は次の言葉です。
「見よ、あなたたちの神 見よ、主なる神。彼は力を帯びて来られ 御腕を持って統治される。見よ、主のかち得られたものは御許に従い 主の働きの実りは御前に進む。」(40:10)
これこそ、主なる神ご自身が、人間のもとに到来され、人間の歴史の中に入って来られるという預言です。
これまで、神は御自身の計画を実行するために、特定の人間を興し、彼らを用いて来られました。初めに神はモーセを用いて、イスラエルの民をエジプトの奴隷の境遇から解放されました。今回はバビロニア帝国に捕囚されていたイスラエルをペルシャの王キュロスを用いて解放されました。
しかし、第二イザヤの預言の核心部分は神がこれまで用いられた仕方とは質的に異なり、神ご自身が人間となって、歴史の中に介入し、救いを実現すると決断されたことです。そのことを御言葉によって知らせられました。
第二イザヤが聞いた神の御言葉は、まさに主イエスによって実現しました。今や、主イエスを通して語られる神の御言葉は、一層強く、一層わたしたちの存在の中に働き、その目的を実現する御言葉であります。それゆえ、わたしたちは第二イザヤのように、歴史の転換期にキリストの恵みに堅く立ち、祈りながら、未来に向かって一歩一歩と堅実に歩みましょう。



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