2011-11-27(Sun)

新しい契約 2011年11月27日の礼拝メッセージ

新しい契約
中山弘隆牧師

 見よ、わたしがイスラエルの家、ユダの家と新しい契約を結ぶ日が来る、と主は言われる。この契約は、かつてわたしが彼らの先祖の手を取ってエジプトの地から導き出したときに結んだものではない。わたしが彼らの主人であったにもかかわらず、彼らはこの契約を破った、と主は言われる。しかし、来るべき日に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこれである、と主は言われる。すなわち、わたしの律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心にそれを記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。そのとき、人々は隣人どうし、兄弟どうし、「主を知れ」と言って教えることはない。彼らはすべて、小さい者も大きい者もわたしを知るからである、と主は言われる。わたしは彼らの悪を赦し、再び彼らの罪に心を留めることはない。
エレミヤ書31章31~34節


 わたしたちは、キリストによってこのような確信を神の前で抱いています。もちろん、独りで何かできるなどと思う資格が、自分にあるということではありません。わたしたちの資格は神から与えられたものです。神はわたしたちに、新しい契約に仕える資格、文字ではなく霊に仕える資格を与えてくださいました。文字は殺しますが、霊は生かします。ところで、石に刻まれた文字に基づいて死に仕える務めさえ栄光を帯びて、モーセの顔に輝いていたつかのまの栄光のために、イスラエルの子らが彼の顔を見つめえないほどであったとすれば、霊に仕える務めは、なおさら、栄光を帯びているはずではありませんか。人を罪に定める務めが栄光をまとっていたとすれば、人を義とする務めは、なおさら、栄光に満ちあふれています。そして、かつて栄光を与えられたものも、この場合、はるかに優れた栄光のために、栄光が失われています。なぜなら、消え去るべきものが栄光を帯びていたのなら、永続するものは、なおさら、栄光に包まれているはずだからです。
コリントの信徒への手紙二 3章4~11節



(1)契約としての聖書
 本日から主イエスの降誕を祝うクリスマスに向かう季節に入ります。
アドベントとは到来と言う意味で、キリストの到来または、クリスマス前の四週間を意味しています。このアドベントにわたしたちは神の救いを待望した旧約聖書を心に留める者でありたいと思います。
聖書は旧約聖書と新約聖書から成り立っていますが、それは二つの聖書があるというのではなく、あくまでも聖書は一つであります。しかもその聖書が古い契約と新しい契約から構成されているのです。
それでは、新しい契約と古い契約とはどういう関係にあるのでしょうか。それは古い契約の中で約束されていた神の救いが成就したことにより、新しい契約が古い契約と取って代わったのです。つまり新しい契約の制定により、古い契約は廃止されたのですが、他方で旧約聖書が証している神の行為と言葉は、新しい契約の中にでも神の啓示と見做されているのです。

 契約と言いますと、日本の社会では、民法の中の商法によって保障されている取引に用いられる契約のことかと、思う人が多いのではないでしょうか。しかし、聖書の背景となっている古代の中近東では、契約はもっと人間社会の根幹に関係していました。
例えば、部族と個人の間で、個人に対する部族の保護と個人の果たすべき義務、あいは部族と部族の間で、平和的な交流と互恵の関係を結ぶために話し合い、合意を得た場合に、契約を結びました。
そして契約を締結する一番簡単な儀式は、犠牲の動物を屠り、双方が食事を共にし、契約の中で規定した双方の果たすべき義身を忠実に守ることを互いに誓い、最後に握手するという仕方で行われました。
このような契約は、物品の取引の期間だけ有効な契約とは異なり、人間の一生、或いは部族の歴史を貫いて働く効力を持っていました。それは人間社会の存続とすべての活動を保証し、他方人間の果たすべき責任を明確にしていますので、非常に人格的で社会的性質の契約であります。
しかし、契約が神と人間との間で結ばれる場合には、神と人間は決して対等ではありませんから、神ご自身の恵み深い意志により、神が人間をご自身の民として選び、救いの恩恵を約束する内容であります。

(2)新しい契約の預言
次に、旧約聖書において、すでに新しい契約の預言が、預言者エレミヤを通して語られています。考えてみますと、エレミヤの時代はイスラエル歴史の中で最も大きな危機と転換期でした。
もちろん古い契約とはモーセを通して、神とイスラエルの民との間で結ばれた契約を指しています。そのとき神はシナイ山で、民の守るべき十戒を初めとする様々な律法を与え、それらを実行するように命じられました。そうするならば、民は神の御心に適う共同体を形成することができ、民は平和と繁栄を保ち、命を全うすることができると約束されました。
この十戒の最初の戒めは、次にようになっています。
「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。」(出エジプト記20:2)
これは神が先行する恵みをもって、イスラエルの民をエジプトの奴隷状態から解放して、ご自身の民にしてくださったことを宣言しています。そして神がイスラエルの民をご自身との人格的関係に入れてくださったことを意味しています。
このような十戒の内容は、イスラエルを救い、選ばれた神の性質と意志を表すものです。従いまして、民が神の恵みに応答し、神に感謝して生きるということは、十戒を初めとするその他の神の律法に従った生き方をすることに他ならないのです。
つまり律法は神に対する感謝の生活を指し示すものです。  
しかし、イスラエルの歴史を展望しますと、イスラエルが国家を形成し、経済的、文化的、軍事的な面で発展するようになりますと、イスラエルの信仰が次第に変質していきました。
そのような状況の中で、神への感謝と神への従順の基本的な精神が忘れられ、自分たちの利益を優先させるようになり、自分たちの利益を得るための手段として神を信じるようになりました。このことが、神に対する一番大な罪なのです。
預言者ホセアや預言者アモスはこの点を鋭く洞察し、イスラエルの民は神との契約を破ったと糾弾しています。神への感謝と従順の性格がイスラエルの信仰から失われるとき、当然律法に違反する罪が、個人的な面と社会的な面で現れるようになります。
旧約聖書における古典的預言者と呼ばれている偉大な預言者たちは異口同音にイスラエルの背信を暴露し、イスラエルが悔い改めて神に立ち帰らなければ、イスラエルは滅びると強く訴えています。

このような預言者たちの活動の中で、新しい契約の預言がエレミヤによって語られました。エレミヤ書31章は次にように言っています。
「見よ、わたしがイスラエルの家、ユダの家と新しい契約を結ぶ日が来る、と主は言われる。この契約は、かつてわたしが彼らの先祖の手を取ってエジプトの地から導き出したとき結んだものではない。わたしが彼らの主人であったにもかかわらず、彼らはこの契約を破った、と主は言われる。
しかし、来るべき日に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこれである、と主は言われる。すなわち、わたしの律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心の中にそれを記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。」(エレミヤ31:31~33)

このエレミヤの預言の内容は非常に簡潔です。それは三点です。
第一は、イスラエルの民は神との契約を破った、民の方から契約を破棄したという点です。


第二は、旧約聖書の律法は文字で書かれた律法であったために、罪深い人間はそれを実行することができなかったということです。
言い換えれば、文字に書かれた律法は人間にそれを実行する霊的な力を与えなかったのです。
 神は歴史を支配する力を持って行動し、イスラエルをエジプトの奴隷の苦悩から解放され、またイスラエルの歴史の中で、民に対する裁きと救済を繰り返して行い、イスラエルを世界史の激流の中で、導いてこられました。それでも拘わらずイスラエルは神の歴史支配の意味を知っていなかったのです。神の裁きと救済の本当の意味をイスラエルは悟っていなかったのです。
 また、律法によって神は御自身の意志と性質をイスラエルの民に教えて来られましたが、民は神を知っていなかったのです。
 エレミヤはこのようなイスラエルの現状を打開するために必要な唯一の方法として、イスラエルの罪が贖われ、新しい契約が与えられることを神から示されて、この預言をしたのです。
 
 「そのとき、人々は隣人どうし、兄弟どうし、『主を知れ』と言って教えることはない。彼らはすべて、小さい者も大きい者もわたしを知るからである、と主は言われる。わたしは彼らの罪を赦し、再び彼らの罪に心を留めることはない。」(エレミヤ31:34)

 第三は、新しい契約において神の律法は人々の心に記されるので、人々は律法を行うようになるという点です。つまり、神に対する感謝と従順の精神をもって、自ら進んで、それを行うようになるという意味です。
言い換えれば、心に記された律法は、信仰者にそれを行う霊的力と自由を与えるという意味です。

(3)新しい契約の制定
預言者エレミヤの語った新しい契約の預言は、今や主イエス・キリストの到来と十字架の贖いと復活により、そして聖霊が教会に与えられたことによって、完全に成就したのです。
主イエスは十字架の死を前にして、弟子たちと最後の晩餐を持たれましたが、その中で聖餐式を設定されました。
そのとき、パンを裂き弟子たちに与えて、「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。」(ルカ22:19)と言われました。
また、杯も同じようにして「この盃は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。」(ルカ22:20)と言われました。
このように最後の晩餐において、主イエスが制定されました聖餐式は、主イエスの十字架の死による人類の罪の贖いによって、新しい契約がキリスト教会と結ばれたことを意味しています。
新しい契約は古いイスラエルの民ではなく、キリスト教会と結ばれたのです。そのことによって、キリスト教会は肉的なイスラエルではなく、霊的イスラエルと呼ばれています。

(4)新しい契約の奉仕者
本日の聖書の箇所でありますコリント二、3章で、使徒パウロは次にように言っています。
「神はわたしたちに、新しい契約に仕える資格、文字ではなく霊に仕える資格を与えてくださいました。文字は人を殺しますが、霊は生かします。」(コリント二、3:6)
ここで、キリストの使徒パウロは自分を新しい契約の奉仕者と呼んでいます。使徒たちの務めは大きく分ければ三つであります。
第一にキリストの福音を語ることです。

そこで福音の内容とは、旧約聖書において、預言され、約束されている神の救いは主イエス・キリストによって実現したということです。すなわち主イエスの到来と地上における人生と特に十字架の死と復活によって、人類の罪が贖われたことです。また、人類の罪の贖いによる新しい契約が設立されたことです。
第二に、神の御子が人間となられた主イエス・キリストこそ、究極的な神の言葉であるという意味を明確にしたことです。
主イエスの言葉と行為を通して神は御自身を完全に示されました。主イエスの性質と言動が父なる神の性質と意志に完全に一致していることを示したのです。そういう意味で、主イエスご自身が神の言葉なのです。
旧約聖書の中で語られている神の諸々の言葉は、主イエスがそれを神の言葉として認められることによって、本当に神の言葉となったのです。他方、主イエスがそれを神の言葉として認められない言葉は、最早神の言葉ではなくなったのです。
なぜならば、主イエスは父なる神の意志を完全に実行されたので、主イエスの語られた神の言葉は、人間にそれを実行することを可能にさせる主イエスの命が伴っているからです。他方、主イエスの命を伴っていない言葉は最早神の言葉ではなくなったのです。
第三に、主イエスの復活により、主イエスは名実ともに救い主となり、天地の支配者となられました。そのことを通して、聖霊が主イエスを信じる者の共同体であるキリスト教会に与えられました。
聖霊はクリスチャンを主イエスと結び合わせ、主イエスの命と性質をクリスチャンの人格の中に働かせる役割をしています。
その聖霊の働きによって、主イエスが認められた旧約聖書の言葉、そしてご自身が語られた言葉の両方が、神の言葉となり、それを実行する霊的力と自由を人間に与えるのです。
この聖霊の働きにより、神の言葉そして主イエスの言葉が、預言者エレミヤが言う人間の心に記された律法なのです。
そのことによって、新しい契約に応答する人間の生き方が成立します。神に対する感謝と従順としての生き方、つまり神の御言葉を実行することが可能となるのです。このことを使徒パウロは「霊は人を生かす」と言うのです。
他方「文字は殺します」と言っているのは、聖書の言葉がただ書かれたままの言葉であるなら、それは人を生かさないという意味です。 
聖書の言葉は聖霊を通して、そこに主イエスの命と性格が働くときにのみ、聖書の言葉は神の言葉になると言う意味です。

パウロはさらに次にように教えています。
「ここで主とは“霊”のことですが、主の“霊”のおられるところには自由があります。わたしたちは皆、顔の覆いを除かれて、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造り変えられていきます。これは主の霊の働きによることです。」(3:17~18)
聖霊によって、復活の主イエスがわたしたちのところに臨在され、わたしたちと出会われるとき、そこに自由があり、わたしたちは神の言葉を実行することができるのです。
もちろんそれは完全ではなくて、部分的であっても実行するのです。このような御言葉の実行を続けているうちに、わたしたちはだんだんと主イエスの性格と行為を映し出すようになるのです。
これが新しい契約に仕えるクリスチャンの生き方です。この生き方を預言者エレミヤは、預言しているのです。キリスト到来の約600年前にこの預言を通して、旧約聖書はキリストの救いを約束しています。
このことを心に受け止めて、思い巡らすとき、神の救いのスケールの大きさと尊さに心を打たれる者であります。



スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

コメント

教会案内
〒354-0044
埼玉県入間郡三芳町北永井959-3
TEL・FAX:049-258-3766

牧 師:中山弘隆

創立日:1972年2月19日

最寄り駅
東武東上線 鶴瀬駅 西口
東武東上線 ふじみ野駅 西口
よりタクシーで10分
※駐車場完備

三芳教会へのバス利用方法

MAP
三芳教会の地図です
定例集会案内
●主日礼拝
  毎日曜日 10:30~12:00
●教会学校
  毎日曜日 9:15~9:40
●朝の祈祷会
  毎日曜日 9:45~10:10
●キリスト教入門講座
  毎日曜日 9:45~10:10
●マルタマリア会(婦人会)
  毎木曜日 10:30~
●マルタマリア会例会(婦人会)
  毎月第2主日礼拝後

毎木曜日の祈祷会は、2011年5月より、毎日曜日の朝の祈祷会に変更となりました。
三芳教会のご案内
●牧師紹介

●年間行事予定

●写真で見る三芳教会
最新記事
行事報告
● 江田めぐみ伝道師就任式
 (2012年7月22日)


● 教会バザー報告
 (2011年11月23日)


● バーベキュー大会報告
 (2011年8月21日)


● イースター報告
 (2011年4月24日)


● 柿本俊子牧師隠退の感謝会報告
 (2011年3月27日)


● 講壇交換(三羽善次牧師)
 (2011年1月23日)


● 墓前礼拝報告
 (2010年11月7日)


カテゴリ
カレンダー
06 | 2017/07 | 08
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -
月別アーカイブ
全記事INDEX

全ての記事を表示する

お知らせ
ようこそいらっしゃいました。



2016年10月に、当ブログの訪問者が9,000人を超えました。感謝いたします。

2015年9月に、当ブログの訪問者が8,000人を超えました。感謝いたします。

2014年9月に、当ブログの訪問者が7,000人を超えました。感謝いたします。

2014年1月に、当ブログの訪問者が6,000人を超えました。主の導きに感謝いたします。

閲覧者数
現在の閲覧者数
現在の閲覧者数:
メールフォーム
三芳教会やキリスト教についてのお問い合わせ、また当教会へのご意見、ご要望等がありましたら、下記のフォームよりうけたまわります。

お名前:
メールアドレス:
件名:
本文:

検索フォーム
リンク
QRコード
QR