2011-11-20(Sun)

破局からの救い 2011年11月20日の礼拝メッセージ

破局からの救い
中山弘隆牧師

 モーセとアロンが会衆から離れて臨在の幕屋の入り口に行き、そこにひれ伏すと、主の栄光が彼らに向かって現れた。「あなたは杖を取り、兄弟アロンと共に共同体を集め、彼らの目の前で岩に向かって、水を出せと命じなさい。あなたはその岩から彼らのために水を出し、共同体と家畜に水を飲ませるがよい。」モーセは、命じられたとおり、主の御前から杖を取った。そして、モーセとアロンは会衆を岩の前に集めて言った。「反逆する者らよ、聞け。この岩からあなたたちのために水を出さねばならないのか。」モーセが手を上げ、その杖で岩を二度打つと、水がほとばしり出たので、共同体も家畜も飲んだ。主はモーセとアロンに向かって言われた。「あなたたちはわたしを信じることをせず、イスラエルの人々の前に、わたしの聖なることを示さなかった。それゆえ、あなたたちはこの会衆を、わたしが彼らに与える土地に導き入れることはできない。」これがメリバ(争い)の水であって、イスラエルの人々が主と争った所であり、主が御自分の聖なることを示された所である。
民数記20章6~13節


 夜が明けかけたころ、パウロは一同に食事をするように勧めた。「今日で十四日もの間、皆さんは不安のうちに全く何も食べずに、過ごしてきました。だから、どうぞ何か食べてください。生き延びるために必要だからです。あなたがたの頭から髪の毛一本もなくなることはありません。」こう言ってパウロは、一同の前でパンを取って神に感謝の祈りをささげてから、それを裂いて食べ始めた。そこで、一同も元気づいて食事をした。船にいたわたしたちは、全部で二百七十六人であった。十分に食べてから、穀物を海に投げ捨てて船を軽くした。朝になって、どこの陸地であるか分からなかったが、砂浜のある入り江を見つけたので、できることなら、そこへ船を乗り入れようということになった。そこで、錨を切り離して海に捨て、同時に舵の綱を解き、風に船首の帆を上げて、砂浜に向かって進んだ。ところが、深みに挟まれた浅瀬にぶつかって船を乗り上げてしまい、船首がめり込んで動かなくなり、船尾は激しい波で壊れだした。兵士たちは、囚人たちが泳いで逃げないように、殺そうと計ったが、百人隊長はパウロを助けたいと思ったので、この計画を思いとどまらせた。そして、泳げる者がまず飛び込んで陸に上がり、残りの者は板切れや船の乗組員につかまって泳いで行くように命令した。このようにして、全員が無事に上陸した。
使徒言行録27章33~44節


(1)ローマへの道
 使徒言行録はキリストの復活の証人として立てられた使徒たちがキリストの福音を宣教した行為の記録であります。使徒たちは復活のキリストと出会い、福音の内容の啓示を受け、同時に福音宣教を命じられました。
 復活のキリストが聖霊を通して、彼らの中に働かれたことによる福音宣教であるゆえに、使徒言行録は聖霊の働きを記録したものである、とも言えます。
 東方でキリスト教に接したクリスチャンたちが商売や職業などで、当時ローマに移住した者たちがいました。彼らはそこで自分たちで礼拝を守り、既にキリスト教会がローマに存在していたのです。
しかし使徒言行録は使徒たちによって福音がローマに伝えられたことによって、キリストの福音が正式に全世界に向かって語られたと見做しております。
 
 本日の聖書の箇所は、キリストの使徒パウロによって、福音が正にローマにもたらされようとしている最後の場面を伝えています。
 「わたしたちがイタリアへ向かって船出することに決まったとき、パウロと他の数名の囚人は、皇帝直属の百人隊長ユリウスという者に引き渡された。」(27:1)
 このようにしてパウロは福音のために鎖につながれて、ローマ皇帝の前に立つことになりました。まことにこれは不思議な神の導きであります。以前からパウロは世界に福音を広めるためには、ローマの教会が宣教の拠点となることを洞察していましたので、彼はローマに行く前に、コリントの教会からローマの信徒に宛てた手紙を送っていました。その手紙の中で、パウロは次のように言っています。
 「何とかしていつかは神の御心によってあなたがたのところへ行ける機会があるように、願っています。」(ローマ1:10)
ところが彼の祈りが答えられ、今このような形で実現しようとしているのです。

 ことの発端は、エルサレム神殿にいるパウロを見たユダヤ人たちが騒ぎ出し、エルサレムが大混乱に陥り、彼はローマの守備隊によって助け出されたことです。ところがユダヤ人たちはパウロをエルサレムに混乱をもたらした張本人としてローマの総督に訴えました。彼らは陰謀をもって高額の賄賂を贈りました。他方パウロは賄賂を贈りませんでしたので、総督はパウロが無実の罪で訴えられていることを知りつつも、裁判を引き延ばしていたのです。多くの月日が過ぎ、ついにパウロは皇帝に上訴しました。それはパウロが自分の家柄により、ユダヤ人でありましても、ローマ市民権を持っていたため皇帝に上訴できたのです。その結果パウロはローマに行くことが決まりました。

 当時のローマ皇帝は悪名高きネロ皇帝でした。彼の前にパウロは囚人として立ちましたとき、それはまことに劇的な出会いでした。
 この世の栄華と権力の象徴であり、また悪の象徴であるネロ皇帝は、福音のために鎖につながれたパウロを見て、軽蔑と同時に恐れを感じたことでありましょう。
愛と善意のために謙遜と苦難の中にあるパウロがキリストの救いの力をもってネロ皇帝の前に現れたのです。それから二百五十年間も続いた迫害の時代を経て、キリストの贖いの力が遂にローマの力に勝利し、ローマ世界はキリスト教化されるに至りました。
それに致しましても、福音がローマに到着した道は、この世の権力者によって鎖につながれた囚人が辿らなければならなかった道です。それは正に十字架の道でありました。

(2)嵐の航海
 次に聖書はローマへの道がまた嵐の航海であったことを伝えています。
 「幾日もの間、船足ははかどらず、ようやくクニドス港に近づいた。ところが、風に行く手を阻まれたので、サルモネ岬を回ってクレタ島の影を航海し、ようやく島の岸に沿って進み、ラサヤの町に近い『良い港』と呼ばれる所に着いた。」(27:7~8)
 ここで、パウロの一行が逆風に出会って、航海したという出来事は、パウロの福音宣教の生涯に対する一つの比喩として見ることができます。彼は多くの点で、恵まれた立場にありました。良い家系に生まれ、生まれながらにしてローマ市民権を持っており、輝かしい精神と鋭敏な魂が備わっていました。
 しかしこれらの有利な点だけではなく、彼の一生には幾多の逆風が吹き荒れました。彼はクリスチャンになる以前には、鋭敏な良心の呵責に悩んでいました。いわばそれが逆風でした。クリスチャンになった後はキリストの贖いにより、心に深い平安が与えられ、内面の嵐は静まりましたが、今度は福音を宣教するときに、それを阻む外側の嵐が吹き猛りました。
 同胞のユダヤ人たちがどこに行っても彼に反対し、騒動を引き起こしたのです。また古代の旅行は非常に大きな犠牲を要求しました。また、彼の身体の弱さが、彼の悩みの種でした。それに加えて、友人もしばしば彼を失望させました。ローマの官吏は彼に僅かの賞賛を与えましたが、結局は彼を有罪にする判決を下しました。このような逆風が彼に吹き荒れていたのです。
 
 同様の事が誰にでも当てはまります。順風の期間は、すべての点で事がうまく運ばれます。しかし、遅かれ、早かれ、困難な時期が必ず来ます。だれでも健康でありたいと願いますが、そういうわけにはいきません。だれでも経済的安定を望みますが、不景気の時、失業して収入がひっ迫することがあります。すべての人は平和な世界を願っていますが、その幸いを享受するとは保証されていません。このように人生の中にしばしば逆風が吹きます。
 ところで、逆風はパウロとその一行がローマに到着するのを阻むことはできませんでした。航海者は逆風を利用して航海する術を心得ているように、人は人生の不運から益を得ることを学ぶのです。
この点パウロは良い例であります。彼は自分の持っている弱さを嘆かず、その中で神を賛美しました。彼は肉体に刺さっている棘を持っていて、それを取り去っていただくように神に祈りましたが、主は次にように仰せになりました。
 「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ。」(コリント二、12:9)
 それ以来、彼は自分の弱さを受け入れました。そして「だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。」(コリント二12:9)と言っています。
 彼はそれによって自分を舞台の主役にしたいという野心から解放され、自分を越えて、無私な立場に立って行動することを学びました。人間にとって大切なことは、何が起こるかではなく、むしろそれに対してどのように対処をするかであります。

 彼はキリストの恵みにより、自分を越えたキリストの思いをもって、人生の種々の境遇に対処できた人であります。このことを彼は「キリストにあって生きる」と言う言葉で表現しています。
 「生きているのは最早わたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。」(ガラテヤ2:20)
 人はキリストにあって、自己の栄枯盛衰を越えることができるという事実が、人を真に自由にし、そして人間的にするのです。
自分の歩んできた人生を振り返って、もしもう一度生まれ変わってきたとしても、自分は同じ人生を歩むだろうと、言い切れる人は少数でありますが、時々そのような人と出会うことがあります。
そのような人は自分の人生の運命を愛する人だ、と言われますが、しかし本当の意味でそう言えるのは、キリストにあって歩む人です。キリストにあって神に歩ませていただいた人生が、自分にとって最善の人生であることを悟った人がそう断言できるのです。

(3)キリスト者の自由
この章の後半には、逆風を支配したパウロの秘密を知る手掛かりが記されています。
第一は、パウロは嵐と逆風の危険を避けるために可能なあらゆる手段を講じています。
三回の世界伝道旅行を経験した彼は晩秋の航海の危険性を十分に知っていました。それゆえ、航海を来年の春まで延期するように提案したのです。
「皆さん。わたしの見るところでは、この航海は積み荷や船体ばかりではなく、わたしたち自身にも危険と多大な損失をもたらすことになります。」(27:10)
このように警告をしています。従いまして、逆風に抗して航海すると言いうことは、決して初めから無謀な冒険を試みることではなく、知恵を働かせて、逆風の条件を少しでも改善するために最大の努力をすることなのです。

しかしそれでもなお、事態が悪化し、逆風を受けるようになることがあります。ここでは、パウロの提案が聞き入れられませんでした。それは百人隊長がパウロの意見よりも、船長や船主の意見を信用したからです。
その時、「南風が静かに吹いてきたので、人々は望み通りに事が運ぶと考えて錨を上げ、クレタ島の岸に沿って進んだ。しかし、間もなく、『エウラキロン』と呼ばれる暴風が、島の方から吹き下ろしてきた。船はそれに巻き込まれ、風に逆らって進むことができなかったので、わたしたちは流されるにまかせた。」(27:13~15)
さらに、18節から20節にはこのように記されています。
「しかし、ひどい暴風に悩まされたので、翌日には人々は積み荷を海に捨て始め、三日目には自分たちの手で船具までも捨ててしまった。幾日もの間、太陽も星も見えず、暴風が激しく吹きすさぶので、ついに助かる望みは全く消え失せようとしていた。」(27:18~20)
第二に、このような絶体絶命の窮地の中で、パウロは自己を越えたキリストの精神の持ち主であることの特性を示したのです。それは敗北と死の中でも混乱することを拒むのです。
それゆえ、パウロは船の中で立ち上がりました。このような危機の中で、一人の人間がその危機を乗り越えて、自分の周りに人々を結集するということは、何という素晴らしいことでありましょうか。
兵隊や水夫や乗船者や船主に取り囲まれたパウロの光景は、何と頼もしい者として全員の目に映ったことでしょうか。
「しかし今、あなたがたに勧めます。元気を出しなさい。船は失うが、皆さんのうちだれ一人として命を失う者はないのです。」(27:22)
パウロと共に船に乗っていた人々は既に絶望していたのです。そのような人々に向かて、「元気を出しなさい」と言うことは、あたかも首に縄をかけられている死刑囚に、喜びなさいと言うのと同じで、全く不可能なことです。
しかし、これがパウロの言った内容です。事態が崩壊する瀬戸際で、「静かにして落ち着いている」ことができるのです。実に驚くべきことです。
その理由は、自己の思いではなく、自己を越えたキリストの思いに立っているからです。その時、破局から救い出す神の力を受けているのです。そこに死の中から人を復活させる神の力が働いているのです。

第三に、このような神の力を受けて、パウロはまた非常に現実的な手段を取りました。すなわち、皆に食事をとることを勧めました。
そうすることがこれからの事態の推移の中で、自分たちの命を救う唯一の方法であることを教え、彼自身がパンを取り出し、神に感謝して食べ始めたのです。それにならって皆が食事をしました。
この嵐の中で、神に感謝して食事することが、自己を越えた者が取った行動です。
結局、船は小さな島の浅瀬に乗り上げ、船首は激浪によって破壊されました。それでも泳げるものは自分で岸まで泳ぎ、泳げない者は破壊した船の板に載せられて岸まで無事運ばれたのです。
以上のことを考えますと、船の全員がパウロに励まされて食事を取ったことが役立ち、船が難破した時に機敏に行動する力を与えたのです。そのことが生死を分けたのです。
食事を取るということは極めて常識的な事柄ですが、この場合、他の時には持つことのできない重大な意味があります。それは神の時なのです。聖霊の働きとは、決して人間の働きを排除するのでなく、人間の働きを用いて働くのです。
パウロがこのように、自己を越えて、キリストの思いによって、考え行動したことが、実際ローマに到着することを可能にしました。
実にこの確信の根拠は神の言葉です。
「パウロ、恐れるな。あなたは皇帝の前に出頭しなければならい。神は、一緒にいるすべてのものを、あなたに任せてくださったのだ。」(27:24)
パウロはこの神の意志を知り、信じ、それに寄り頼んで行動したのです。ここに彼の力の原因があります。それによって破局から救出されたのです。



スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

コメント

教会案内
〒354-0044
埼玉県入間郡三芳町北永井959-3
TEL・FAX:049-258-3766

牧 師:中山弘隆

創立日:1972年2月19日

最寄り駅
東武東上線 鶴瀬駅 西口
東武東上線 ふじみ野駅 西口
よりタクシーで10分
※駐車場完備

三芳教会へのバス利用方法

MAP
三芳教会の地図です
定例集会案内
●主日礼拝
  毎日曜日 10:30~12:00
●教会学校
  毎日曜日 9:15~9:40
●朝の祈祷会
  毎日曜日 9:45~10:10
●キリスト教入門講座
  毎日曜日 9:45~10:10
●マルタマリア会(婦人会)
  毎木曜日 10:30~
●マルタマリア会例会(婦人会)
  毎月第2主日礼拝後

毎木曜日の祈祷会は、2011年5月より、毎日曜日の朝の祈祷会に変更となりました。
三芳教会のご案内
●牧師紹介

●年間行事予定

●写真で見る三芳教会
最新記事
行事報告
● 江田めぐみ伝道師就任式
 (2012年7月22日)


● 教会バザー報告
 (2011年11月23日)


● バーベキュー大会報告
 (2011年8月21日)


● イースター報告
 (2011年4月24日)


● 柿本俊子牧師隠退の感謝会報告
 (2011年3月27日)


● 講壇交換(三羽善次牧師)
 (2011年1月23日)


● 墓前礼拝報告
 (2010年11月7日)


カテゴリ
カレンダー
10 | 2017/11 | 12
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -
月別アーカイブ
全記事INDEX

全ての記事を表示する

お知らせ
ようこそいらっしゃいました。



2016年10月に、当ブログの訪問者が9,000人を超えました。感謝いたします。

2015年9月に、当ブログの訪問者が8,000人を超えました。感謝いたします。

2014年9月に、当ブログの訪問者が7,000人を超えました。感謝いたします。

2014年1月に、当ブログの訪問者が6,000人を超えました。主の導きに感謝いたします。

閲覧者数
現在の閲覧者数
現在の閲覧者数:
メールフォーム
三芳教会やキリスト教についてのお問い合わせ、また当教会へのご意見、ご要望等がありましたら、下記のフォームよりうけたまわります。

お名前:
メールアドレス:
件名:
本文:

検索フォーム
リンク
QRコード
QR