2011-11-06(Sun)

聖徒の国 2011年11月6日 聖徒の日・永眠者記念日礼拝メッセージ

聖徒の国
中山弘隆牧師

 そこに大路が敷かれる。その道は聖なる道と呼ばれ、汚れた者がその道を通ることはない。主御自身がその民に先立って歩まれ、愚か者がそこに迷い入ることはない。そこに、獅子はおらず、獣が上って来て襲いかかることもない。解き放たれた人々がそこを進み、主に贖われた人々は帰って来る。とこしえの喜びを先頭に立てて、喜び歌いつつシオンに帰り着く。喜びと楽しみが彼らを迎え、嘆きと悲しみは逃げ去る。
イザヤ書35章8~10節


 わたしは、既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者となっているわけでもありません。何とかして捕らえようと努めているのです。自分がキリスト・イエスに捕らえられているからです。兄弟たち、わたし自身は既に捕らえたとは思っていません。なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。だから、わたしたちの中で完全な者はだれでも、このように考えるべきです。しかし、あなたがたに何か別の考えがあるなら、神はそのことをも明らかにしてくださいます。いずれにせよ、わたしたちは到達したところに基づいて進むべきです。兄弟たち、皆一緒にわたしに倣う者となりなさい。また、あなたがたと同じように、わたしたちを模範として歩んでいる人々に目を向けなさい。何度も言ってきたし、今また涙ながらに言いますが、キリストの十字架に敵対して歩んでいる者が多いのです。彼らの行き着くところは滅びです。彼らは腹を神とし、恥ずべきものを誇りとし、この世のことしか考えていません。しかし、わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています。キリストは、万物を支配下に置くことさえできる力によって、わたしたちの卑しい体を、御自分の栄光ある体と同じ形に変えてくださるのです。
フィリピの信徒への手紙3章12~21節



(1)天上の聖徒と共に
 本日は永眠者を記念する「聖徒の日」でありますので、日本基督教団に属する諸教会は、既に天に召された方々を覚えて礼拝を守っています。本来キリスト教会の礼拝は、地上にいる信仰者たちだけでなく、地上での生涯を終え、天に召された人たちも共にこの礼拝に参加しているという理解のもとで行われています。
 ヘブライ人への手紙12章では、わたしたちの信仰の生涯を一つの大きなマラソンに譬えています。しかも、そのマラソンを走り終えた人たちは天にある観覧席でわたしたちの走る様子を応援しているというのです。
 「こういうわけで、わたしたちもまた、このようにおびただしい証人の群れに囲まれている以上、すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競争を忍耐強く走り抜こうではありませんか。」(ヘブライ12:1)
 このマラソンは、信仰者が自分に定められたコースを走り終えると、次の走者にバトンタッチして、その人も自分のコースを完走すると、また次の走者にバトンタッチする仕方で、延々と続いているのです。それは最終的にすべての人間が救われる日まで続きます。この壮大なマラソンにクリスチャンは参加しているのです。
 従いまして、キリスト教会が毎週行っている礼拝は、孤立した個人の行為ではありません。それは「キリストの体」である教会の行為なのです。しかも地上で信仰の戦いをしている教会だけでなく、既に信仰の戦いを終えた天にある教会も一緒になって献げているのです。
 それゆえ、わたしたちクリスチャンはこのことを覚えて、毎週の礼拝に参加しなければなりません。

(2)わたしたちの本国
 次に、本日の聖書の箇所はこのように教えています。
 「しかし、わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのをわたしたちは待っています。キリストは、万物を支配下に置くことのできる力によって、わたしたちの卑しい体を、ご自身の栄光ある体と同じ形に変えてくださるのです。」(3:20~21)

 ここで、使徒パウロは非常に強い確信を持って、「わたしたちの本国は天にあります。」と言っています。
 本国(ポリテゥーマ)とはわたしたちの市民権(ポリテース)のある国です。ピリピの町はローマから遠く離れたローマの植民地でしたが、そこにはローマの市民権を持った人たちが大勢いて、ローマ市民であることを誇りにしていました。なぜならば彼らはギリシャ地方に住んでいましたが、法律面でローマ市民として優遇され、その特権を享受していました。
 ちょうどこのように、わたしたちクリスチャンも天国から遠く離れた地上で生活していますが、それでもわたしたちの本国は天にあります。なぜなら、わたしたちは人類の救い主である主イエス・キリストを信じることによって、天国の市民権を与えられているからです。

 それでは、天にある神の国の市民権が与えられているということは何を意味しているでしょうか。
 一つは、わたしたちは主イエスを信じることにより、神がわたしたちの恵み深い父となってくださり、わたしたちは罪を赦され、神の子とされているという霊的現実です。
一つは、神の恵み深い支配は、人間の地上での生活と天上での生活の両方に及んでいることを知ることです。そしてこの地上の生活において、神の御心に従い、隣人と共に生きるために、努力することが人生の唯一の目標であることを知っているということです。
 一つは、主イエスを信じることによって、わたしたちの心に臨在される聖霊を通して、主イエスの霊的な生命を受け、御言葉に聞くことにより、神の御心を知り、それを実践することができるということです。従って、この体験が天にある神の国と連なっていることなのです。
 そして、この生き方が救いを完成させるために再臨される主イエスを待つ者たちの姿なのです。

 主イエスは「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる。」(マタイ4:4)と仰せられました。
従いまして、神の御言葉に聞き、従い、実行することが人生の最大の目的であることを知っている人は、死に際して動揺し絶望することはありません。
 それに対して、人生の意義をこの世界の中にだけで見ている人たちは、親戚の葬儀に参列し、故人との長い付き合いを懐かしむと同時に、死んでしまった本人のことを悲しみながら、死後の平安を祈るということよりも、どうしてやることもできないと言う切ない気持ちに打ちひしがれています。
そして口にする言葉が、もうこうなってしまったら人は御終いだね、自分たちはまだ生きている間に十分楽しんでおくことだね、と半分諦めながら慰め合っているのを見ることがあります。それは親戚の気安さから自分たちの本心を漏らしているのでしょうが、それこそ一層空しさを感じさせます。
パウロはそのような人たちを悲しみ、「彼らの行きつくところは滅びである」(3:19)と言います。滅びこそ、空しさの極みです。
「彼らは腹を神とし、恥ずべきことを誇りとし、この世のことしか考えていません」(3:20)
ここで、腹を神とするとは、利益を得ることを最大の目的としていることです。いわゆる拝金主義であり、聖書はこれを偶像崇拝と呼んでいます。つまり、自分の働きの功績、そこから受ける利益や名誉を人生最大の目的にしている生き方です。
これは「地上の国」を本国としている人たちの生き方です。その人生全体は、死によって疑問符が付けられているのです。

(3)主の御名
それでは、天に市民権を持っている人たちが、地上で日々を過ごす場合に、その市民権の益があるでしょうか。大いにあります。それは地上の生活の中で、神を知り、神の恵みの中で、神と共に歩むことです。このようにして、信仰者は本来天国のものである「永遠の生命」に生きることができるのです。それはいわば天国の先取りです。

先ず、旧約聖書の段階では、神が御言葉をもってイスラエルの民に臨み、神の恵みの支配を告げ知らせられました。そこにおいて、先行する神の側の行動をイスラエルの民が信じ、受け入れて、神に全幅の信頼を寄せ、全身全霊をもって、神に従ように命じられました。この命令に従うこと、これが霊的生命に生きることです。
しかし、イスラエルの民に神の言葉を語りました旧約における最大の預言者であるモーセでさえ、神の啓示を受けましたとき、その啓示はまだ不明瞭な部分があることに心を悩ませました。
それは神がご自身の意志と力と恵みを表された啓示の中で、神の姿が依然として隠されたままであるということです。
それゆえに、モーセは神がご自身の姿を現してくださるように切願しました。出エジプト記33章に記されています。
「モーセが、『どうか、あなたの栄光をお示しください』と言うと、主は言われた。『わたしはあなたの前にすべてのわたしの良い賜物を通らせ、あなたの前に主と言う名を宣言する。わたしは恵もうとする者を恵み、憐れもうとするものを憐れむ。』
また言われた。『あなたはわたしの顔を見ることはできない。人はわたしを見て、なお生きていることはできないからである。』」(エジプト記33:18~20)
ここで、「主の名を宣言する」ということは神が神としての威光と力をもって民のもとに臨在されるという霊的現実です。
しかし、御言葉による臨在は、依然として抽象的でありますので、そこには人間の思考による誤解の危険がありました。実際イスラエルの民は、御言葉による神の働きよりも、目に見えるこの世界での利益を最優先させることにより、神の恵みから離れ、それを否定する生き方に陥ったのです。

しかし、今や神は旧約聖書の制限を超え、究極的な啓示を与え、ご自身を主イエス・キリストによって完全に示されました。
主イエスは次のように宣言されました。これは父なる神が神の御子主イエスを通して、「御名」を宣言されたことに相当します。
「イエスは言われた。『フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、わたしが分かっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのだ。なぜ、わたしに御父をお示しくださいと言うのか。わたしが父の内におり、父がわたしの内におられることを信じないのか。わたしがあなたがたに言う言葉は、自分から話しているのではない。わたしの内におられる父が、その業を行っておられるのである』」(ヨハネ14:9~10)
 神である御子が人間となってこの世に来られた主イエスは、正に「わらと共におられる神」なのです。ここに神の御心と性質が具体的な見える形で完全に啓示されました。さらに、主イエスの十字架と復活において、神はわたしたち人間の罪を贖い、救いを達成されました。この救いにより、神の御名が完全に現されたのです。

(4)信仰生活の目標
それゆえ、使徒パウロはクリスチャンの目標を教えています。
「キリストを知ることと、キリストの復活の力を体験し、自分が死者からの復活に達することである」と言っています。
「わたしは、既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者となっているわけでもありません。何とかして捕らえようと努めているのです。自分がキリスト・イエスに捕らえられているからです。」(3:12)
彼に言わせれば、キリストの命を受け、キリストに従い、神の御心を完全に行うことが、その目標に達したことなのです。ゴールとは天にある神の国です。言い換えれば「聖徒の国」であります。彼は聖徒の国の市民権をキリストによって与えられているので、今は聖徒の国を目指して一目散に走っているというのです。
従って、「後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、----目標を目指してひたすら走ること」がわたしたちの信仰生活であります。

(5)キリストを見る至福としての天国
 しかし、クリスチャンの完成はこの地上ではなく、天国において与えられます。言い換えれば、わたしたちが死人の中からキリストの力によって、復活させられるとき実現します。このことをパウロは次にように教えています。
「キリストは、万物を支配下に置くことさえできる力によって、わたしたちの卑しい体を、御自分の栄光ある体と同じ形に変えてくださるのです。」(3:21)
このとき、わたしたちは復活の主イエスの御前に立ち、その御姿を見るのです。
 天国においても、万物の創造者である父なる神は被造物である人間の目には見えません。しかし、父なる神を完全に現しておられる主イエスを見るのです。
そして、キリストを通して、キリストにあるすべての兄弟姉妹と出会うのです。愛と直感をもって、互いの心が通じ合い、大きな調和に包まれるのです。わたしたちの存在は透明なガラスのように、神の愛と命の光を反射させ、光の中を歩む者となるのです。
そして、声をそろえて神を賛美するとき、全宇宙に星が輝いているように神への賛美が響き渡ります。
わたしたちの目指す国は、父なる神から出るキリストの復活の命が日々新たに、湧き出て、すべての人間を生かすのです。これがわたしたちの目指す永遠に存在する聖徒の国です。
 既に、この地上の信仰の旅路を終えられた人たちは、地上における時よりも一層主イエスの近くにあり、キリストの中に存在しているのです。このことがわたしたちの大いなる慰めです。
 わたしたちの存在と命は、最後に復活して現れる時まで、キリストの中に隠され、保存されています。そこにおいてはわたしたちの地上で過ごす時よりも、一層親密なキリストとの交わりの中で、憩うのです。
 最後に、神の創造的な働きにより、天地が変貌する終わりの日に、わたしたちの現在の「肉の体」は、復活のキリストの「霊の体」と同じものとなるように変容するのです。
クリスチャンはこのことを信じて、自分の死を受け入れ、同時に死を越える「強靭な希望」と、言い尽くせない「感謝の思い」を抱いて、自分の生涯を終えるのです。
このことにより、天国が確実に存在することをクリスチャンは世界の人々に証するのです。



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