2011-10-23(Sun)

誇りとすべきこと 2011年10月23日の礼拝メッセージ

誇りとすべきこと
中山弘隆牧師

 主はこう言われる。知恵ある者は、その知恵を誇るな。力ある者は、その力を誇るな。富ある者は、その富を誇るな。むしろ、誇る者は、この事を誇るがよい。目覚めてわたしを知ることを。わたしこそ主。この地に慈しみと正義と恵みの業を行う事。その事をわたしは喜ぶ、と主は言われる。
エレミヤ書9章22~23節


 兄弟たち、あなたがたが召されたときのことを、思い起こしてみなさい。人間的に見て知恵のある者が多かったわけではなく、能力のある者や、家柄のよい者が多かったわけでもありません。ところが、神は知恵ある者に恥をかかせるため、世の無学な者を選び、力ある者に恥をかかせるため、世の無力な者を選ばれました。また、神は地位のある者を無力な者とするため、世の無に等しい者、身分の卑しい者や見下げられている者を選ばれたのです。それは、だれ一人、神の前で誇ることがないようにするためです。神によってあなたがたはキリスト・イエスに結ばれ、このキリストは、わたしたちにとって神の知恵となり、義と聖と贖いとなられたのです。「誇る者は主を誇れ」と書いてあるとおりになるためです。
コリントの信徒への手紙一 1章26~31節



(1)健全な誇りの必要
 人が自立して逞しく生きるために何が必要であるかを考えてみますと、それは一人一人が健全な誇りを持っているということではないでしょうか。一人一人には果たすべき使命を神から与えられている、しかも、それは人に代わってもらえないことを弁えているならば、自分の人生に意義があることを知り、そのことが誇りとなるでしょう。
 大江健三郎氏が、中高生のために書いた「新しい人間の方向に向かって生きる」という本に次のようなことが述べられています。大江氏は大学でフランス文学を専攻されたのですが、恩師として尊敬している方がおられることが、自分の励みになっていると言っておられます。
自分が困難に直面してくずおれそうになったとき、或いは誘惑にさらされたとき、恩師のことが脳裏に浮かび、恩師が強い精神力をもって誠実に努力しておられる姿を振り返ると、自分は嘘をいうことはできない、どこまでも誠実な努力を積み重ねて行こうという気持ちになったことが、何度もあったといっておられます。このように自分の職業に誇りを持って、そして人間として誠実に生きている人は、生きる勇気を他の人々に与えます。
 主イエスは「隣人を自分のように愛しなさい」と命じられました。この命令はまず自分を愛していることが、隣人を愛することの前提になっています。言い換えれば、もし自分を受け入れず、自分を愛する気持ちがなければ、隣人を愛することはできない、ということになります。従いまして、先ず自分を受け入れ、自分の人生を認め、人間としての誇りを持っていることが必要です。その上に立って隣人を自分のように愛することができるのです。

 しかし、人はどのようにして本当の誇りを持つことができるかが重要問題です。そこで、自分の力だけに信頼を置いて生きている人には盲点があります。自分の価値は自分の力で何かを達成することであると多くの人が考えています。そのような人は、神を信じようとはしません。その場合に、人生に誇りを持っている点は良いのですが、「自分を誇る」ことが問題なのです。
それでは人は一体「何」を誇りとすべきでしょうか。
    
(2)神を主権者として知っていること
 エレミヤは旧約聖書のエレミヤ書9:22~23でこのように言っています。
 「主はこう言われる。知恵ある者は、その知恵を誇るな。力ある者は、その力を誇るな。富ある者は、その富を誇るな。むしろ、誇る者は、この事を誇るがよい。目覚めてわたしを知ることを。
わたしこそ主。その地に慈しみと正義と恵みの業を行う事、その事をわたしは喜ぶ、と主は言われる。」(エレミヤ9:22~23)
この意味は、人は知恵や権力や富を誇ってはならない。大抵の人々はこれらのことを誇っている。しかし、主である神ヤーウェは慈しみと正義と恵みの業を行っておられる道徳的な存在であり、これらのことを実行する人々を喜ばれる方であることを知らなければならない。
すなわち、人間が誇るべきことはただ一つであり、それは神が「万物の主権者」、「恵み深い支配者」であることを知っていることなのです。
ここでエレミヤは「神を知っていることを誇りなさい」と言っていすが、しかし神に関する単なる知識を誇るというのでは無意味です。これは神が主権者であることを本当に知っているという意味です。

天地の創造者である神は、万物の支配者です。神は人間とその歴史を人智を超えた人間の目に見えない仕方で直接的に支配しておられます。神は自ら欲し、喜ばれる正義と愛を人間社会で、歴史を通して実現する目的をもって働いておられる聖なる生ける神です。
それゆえ、神は人間の不正、利己心、貪欲、そしてそれらから出る様々な悪を阻止し、克服する正しい新しい生き方を前進させられるのです。すなわち、人間の罪と悪に対する審判を行い、審判を通して、神の御心に従いそれを実行する力を人間に供給されるのです。主権者の働きは審判と救済であり、この二つは不可分離です。しかも、救済するために、審判を下されるのです。
このことを人間が自分のこととして知るならば、最早自分の知恵と力と富を誇ることを止め、自分を生かすものは神の意志であることを肝に銘じるようになります。
特に重要なことは、人間が神の意志を実行するのに必要な力を、神が人間に常に授与されるということです。それゆえに神は人間の主権者と呼ばれるのです。この認識こそ重要なのです。
それゆえに、人間と社会が生きる道は、主権者である神により頼み、神の意志に従い、それを実行することです。そうするならば神が本当に恵み深い主権者であることが分かります。

そういう意味で、エレミヤは神を「生ける水の源」と呼んでいます。
「まことに、わが民は二つの悪を行った。生ける水の源であるわたしを捨てて、無用の水溜を掘った。水を溜めておくことのできない壊れた水溜を。」(エレミヤ2:13)
 これは背信の民イスラエルを警告する主なるヤーウェの言葉ですが、イスラエルの民は、イスラエル国家の力やその指導者たちの知恵により頼んで、ヤーウェに従うことを拒みましたので、イスラエル国家が世界史の転換期に、バビロン帝国によって滅ぼされました。
しかし、ヤーウェはイスラエルを捨てられず、神の民としての再出発を欲し、今度はイスラエル国家ではなく、イスラエル信仰共同体を建設するために、国家の滅亡後の約50年後にバビロン帝国を滅ぼしたペルシャ帝国によって、イスラエルの民は郷里に帰還することができました。しかし、イスラエルは国家として独立することは許可されず、それ以来ペルシャ帝国、ギリシャ帝国、ローマ帝国の支配するパレスティナ地方で、信仰共同体として存続したのです。
 神はこのように背信の民イスラエルの裁きを通して、イスラエルを贖い、信仰共同体としての道を新たに開かれました。しかしこれがイスラエルに対する神の目的でありました。

 従いまして、信仰共同体であるイスラエルが神ヤーウェの主権は全人類と諸国家に及び、神ご自身の目的を実現する働きであると信じ、ヤーウェの意志に従うことが、ヤーウェを誇ることなのです。
 それゆえ、エレミヤは次のように言っています。
 「もし、あなたが真実と公平と正義をもって、『主は生きておられる』と誓うなら、諸国の民は、あなたを通して祝福を受け、あなたを誇りとする。」(エレミヤ4:2)

(3)十字架の言葉
 それでは、神が恵み深い主権者であることを人が本当に知るにはどうすればよいのでしょうか。
 人間は主権者である神をこの世の知恵によって知ることはできません。しかし、神は恵み深い主権者であるゆえに、人間の心の闇を照らし、ご自身を人間に示してくださいます。このことが神の啓示なのです。
 そして神の「啓示の歴史」が「聖書」なのです。旧約聖書の時代には、多くの預言者が立てられ、彼らを通して神の言葉が語られました。しかし、今や神は神の御子イエス・キリストを通して、究極的な啓示をお与えになりました。

 それは人間の目には見えない神の御子が、目に見える人間となってこの世界に到来し、人間として、神の意志を知り、神の意志を完全に実行されたことです。これによって、人間が神の御前に生きる在り方が人類史上、初めて可能になったのです。
 それだけではありません。さらに御子イエスが父なる神への信頼と従順によって達成されたご自身の義と命を、全人類のものとして与えてくださった出来事が、主イエスの十字架の死による人類の罪の贖いです。そして人類の罪を贖われた主イエスが死人の中からの復活により、名実ともに人類の救い主となられたことです。その結果、人間が神の御前で生きることが可能となりました。
  
今や、主イエスを通して神が実現してくださった神の主権は、主イエスの恵み深い支配となって、啓示されています。そのことを告げ知らせるのが「キリストの福音」なのです。
そして主イエスの主権を「キリストの福音」によって、さらに福音の「宣教の手段」によって、人間に知らせることが神の意志なのです。
コリントの信徒への手紙一の1:21は次のように言っています。
「世は自分の知恵で神を知ることができませんでした。それは神の知恵にかなっています。そこで神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになったのです。」(コリント一、1:21)

ここで「お考えになった」とありますが、その言語は「ユードケオー」です。これは「喜ぶ」と言う意味で、そこから神が欲し、選び、決定されるという意味になります。神が宣教の手段を喜ばれたのです。神がそれを決定されたのです。
ギリシャ人はこの世の知恵によって、神を知ろうと努力しましたが、それは神の喜ばれる方法ではありませんでした。
また、ユダヤ人は「しるし」を求めましたが、それも神の喜ばれる方法ではありませんでした。ユダヤ人はイエスを信じるために、イエスが救い主である証拠となる大きな奇跡を要求しましたが、それは神の喜ばれる方法ではなかったのです。ギリシャ人にせよ、ユダヤ人にせよ、彼らが欲した知恵としるしはこの世に属する知恵と力であります。それは神を知る方法ではなかったのです。
神が主イエスにおいて、人類の恵み深い主権者であることを啓示されましたのは、人類に対する神の審判と救済の行為を通してでありました。すなわち十字架に付けられたイエスの死によって古い人間が死滅し、イエスの復活によって新しい人間が創造されました。この事柄によって、神の主権が主イエスを通して実現したのです。
従って、キリストの福音を信じる者には、救いを与える神の力が働きます。このことを神は喜ばれるのです。
そこで福音を信じることによって、働く神の力とは、実は人間の心に内在される「神ご自身」なのです。すなわち「聖霊」です。
聖霊によって、人は主イエスと人格的に結ばれ、神の愛が心の中に働き、主イエスの義と命が与えられ、主イエスの性質を映し出す者へと聖化されていきます。

それゆえ、「主イエス」こそ、クリスチャンの誇りです。聖書は次のように言っています。
「神によってあなたがたは、キリスト・イエスに結ばれ、このキリストは、わたしたちにとって神の知恵となり、義と聖と贖いとなられたのです。『誇る者は主を誇れ』と書いてある通りです。」(コリント一、1:30~31)
これはキリスト・イエスが神の御前で、わたしたちの義と聖となっておられるという意味です。それゆえに、神はわたしたちを義と認め、わたしたちを人格的な交わりに入れてくださるのです。
神は日々主イエスを通して、わたしたちと出会い、御言葉を語られます。このことにより、わたしたちは神の意志に従い、それを実行できるのです。
言い換えれば、わたしたちが主イエスの思いを抱き、自ら進んで、神の御心を、主イエスと共に実行し始めるときに、主イエスの命と聖なる性質がわたしたちの中に働き、わたしたちは神の命令を実行できるのです。このことこそ、主イエスの中に神によって創造された新しい人間の生き方です。
しかし、地上で現に生きているわたしたちは、主イエスの十字架において、既に死んだ古い人間がまだ生き残っている存在であり、キリストにある新しい存在ではありません。
従いまして、わたしたちは自分自身の中のどこを探しても、義と聖と命はないのです。それにも拘らず、そのような者の中に主イエスの義と聖と命が働くのです。
それゆえ、わたしたちの成す善き業はすべて主イエスから湧き出る恵みの業でありますから、自分自身を誇ることは絶対にできません。従いまして、自分の使命を果たしたとき、次のように言うべきです。
「わたしどもは取るに足りない僕です。しなければならないことをしただけです。」(ルカ17:10)

他方また、主イエスの中にわたしたちの新しい人間が存在し、日々古い人間の中に、その性質と働きが発露しているのですから、そしてその新しい人間が終わりの日に現れる神の国でわたしたちの受け取る嗣業ですから、主イエスこそわたしたちに与えられている無尽蔵の宝なのです。
この宝を大切にすることが、主イエスを誇ることです。そして、わたしたちが証し、周囲の人々に伝えるものは、わたしたちの取って一番大切な宝なのです。それが福音を語るということです。



スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

コメント

教会案内
〒354-0044
埼玉県入間郡三芳町北永井959-3
TEL・FAX:049-258-3766

牧 師:中山弘隆

創立日:1972年2月19日

最寄り駅
東武東上線 鶴瀬駅 西口
東武東上線 ふじみ野駅 西口
よりタクシーで10分
※駐車場完備

三芳教会へのバス利用方法

MAP
三芳教会の地図です
定例集会案内
●主日礼拝
  毎日曜日 10:30~12:00
●教会学校
  毎日曜日 9:15~9:40
●朝の祈祷会
  毎日曜日 9:45~10:10
●キリスト教入門講座
  毎日曜日 9:45~10:10
●マルタマリア会(婦人会)
  毎木曜日 10:30~
●マルタマリア会例会(婦人会)
  毎月第2主日礼拝後

毎木曜日の祈祷会は、2011年5月より、毎日曜日の朝の祈祷会に変更となりました。
三芳教会のご案内
●牧師紹介

●年間行事予定

●写真で見る三芳教会
最新記事
行事報告
● 江田めぐみ伝道師就任式
 (2012年7月22日)


● 教会バザー報告
 (2011年11月23日)


● バーベキュー大会報告
 (2011年8月21日)


● イースター報告
 (2011年4月24日)


● 柿本俊子牧師隠退の感謝会報告
 (2011年3月27日)


● 講壇交換(三羽善次牧師)
 (2011年1月23日)


● 墓前礼拝報告
 (2010年11月7日)


カテゴリ
カレンダー
06 | 2017/07 | 08
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -
月別アーカイブ
全記事INDEX

全ての記事を表示する

お知らせ
ようこそいらっしゃいました。



2016年10月に、当ブログの訪問者が9,000人を超えました。感謝いたします。

2015年9月に、当ブログの訪問者が8,000人を超えました。感謝いたします。

2014年9月に、当ブログの訪問者が7,000人を超えました。感謝いたします。

2014年1月に、当ブログの訪問者が6,000人を超えました。主の導きに感謝いたします。

閲覧者数
現在の閲覧者数
現在の閲覧者数:
メールフォーム
三芳教会やキリスト教についてのお問い合わせ、また当教会へのご意見、ご要望等がありましたら、下記のフォームよりうけたまわります。

お名前:
メールアドレス:
件名:
本文:

検索フォーム
リンク
QRコード
QR