2011-10-09(Sun)

教会の使命 2011年10月9日の礼拝メッセージ

教会の使命
中山弘隆牧師

 いかに美しいことか、山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は。彼は平和を告げ、恵みの良い知らせを伝え、救いを告げ、あなたの神は王となられた、とシオンに向かって呼ばわる。その声に、あなたの見張りは声をあげ、皆共に、喜び歌う。彼らは目の当たりに見る。主がシオンに帰られるのを。
イザヤ書52章7~8節


 その後、パウロはアテネを去ってコリントへ行った。ここで、ポントス州出身のアキラというユダヤ人とその妻プリスキラに出会った。クラウディウス帝が全ユダヤ人をローマから退去させるようにと命令したので、最近イタリアから来たのである。パウロはこの二人を訪ね、職業が同じであったので、彼らの家に住み込んで、一緒に仕事をした。その職業はテント造りであった。パウロは安息日ごとに会堂で論じ、ユダヤ人やギリシア人の説得に努めていた。シラスとテモテがマケドニア州からやって来ると、パウロは御言葉を語ることに専念し、ユダヤ人に対してメシアはイエスであると力強く証しした。しかし、彼らが反抗し、口汚くののしったので、パウロは服の塵を振り払って言った。「あなたたちの血は、あなたたちの頭に降りかかれ。わたしには責任がない。今後、わたしは異邦人の方へ行く。」パウロはそこを去り、神をあがめるティティオ・ユストという人の家に移った。彼の家は会堂の隣にあった。会堂長のクリスポは、一家をあげて主を信じるようになった。また、コリントの多くの人々も、パウロの言葉を聞いて信じ、洗礼を受けた。ある夜のこと、主は幻の中でパウロにこう言われた。「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ。」パウロは一年六か月の間ここにとどまって、人々に神の言葉を教えた。
使徒言行録18章1~11節



(1)福音の内容
 使徒言行録によりますと、18:1で、「その後、パウロはアテネを去ってコリントへ行った。」と記されています。これはパウロがコリントに行って伝道するようになった発端が、アテネでの伝道に失敗したからです。
 当時、ギリシャ文化の黄金時代はすでに過去の思い出となっていましたが、それでもアテネは世界文化の中心地でありました。公会堂に集まってきた哲学者たちに向かって、パウロは福音を弁明しました。このことは17:16~34に記されています。
 パウロは詩人の言葉を引用して、次のように言っています。
 「皆さんのうちのある詩人たちも、『我らは神の中に生き、動き、存在する』『我らもその子孫である』と、言っているとおりです。」(17:28)
 このように、パウロは哲学的な議論を展開しましたが、話が主イエスの復活に及ぶと、彼らはたちまち嘲笑し、もうそれ以上パウロの話を聞こうとはしませんでした。なぜならば、彼らは魂の不滅を信じ、他方肉体を軽視していましたので、人間の復活は愚かな話であると判断したからです。

ギリシャの哲学者たちは、人間の魂が神と直接的に結びついており、魂は神性の片鱗であると考え、人間の思索を通して神と合一することが魂の救いであると主張していました。
それはいわば人間から神に至る道です。しかしそのようにして神の存在が分かると主張していても、所詮、厚い雲を通して月を見ているようなもので、人間の心が神の光に照らされることはありません。
従って、神ご自身が働き、神から人間に至る道が開かれたのです。その神の行為を告げているのが、キリスト教の福音です。
しかし彼らは福音を愚かなものの考え、信じようとはしませんでした。この痛い体験をパウロは深く反省し、それ以来人間の知恵に頼ることなく、福音を神の事実として率直に語ることに伝道のすべてをかける決意を堅くしました。このような決心をもってパウロはコリントの町に入って行ったのです。

コリントの信徒への手紙一の1章を読みますと、当時のパウロの心境がよく表されています。17節の後半で次のように言っています。
 「なぜならキリストがわたしを遣わされたのは、----福音を知らせるためであり、しかも、キリストの十字架がむなしいものになってしまわぬように、言葉の知恵によらないで告げ知らせるためだからです。」
 明らかにパウロは人間の知恵と論理を用いないで、神の事実とその事実が語る内容を宣べ伝えようと決意したのです。さらに18節ではこのように宣言しています。

 「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。」
 ここで、パウロは福音を十字架の言葉と言い直し、それは救いを与える神の力であると断言しています。
 なぜならば、「十字架の言葉」こそ、人間の救いのために、神ご自身が実現してくださった神の行為と恵みを現わしており、それゆえ十字架の言葉は人間に対して下された神の最終的な判決であり、その判決を信じ、受け入れ、従う者に救いを与えるという究極的な神の決定であるからです。
 それゆえ、神はユダヤ人と異邦人を含む世界の万民を救うために、十字架の福音を語ることを使徒たちに命じられました。

(2)コリントの人々
 ところで、コリントの町は紀元前46年にローマの植民地として建設された町です。ちょうど二つの海に面した地峡であり、東海岸と西海岸にそれぞれの港を持ち、アカイヤ地方で経済的繁栄を極めていた町でした。諸国から人々が往来し、コリントの住民は世界市民的な意識を持っていました。
 また、ローマ神話のビーナスに相当するギリシャ神話の愛と美の女神であるアフロディテを祭った神殿には、各地からの巡礼者が集まり、約千人もいる神殿娼婦を相手とするわいせつな行為を行っていました。
 従いまして、コリントの町の風潮は極めて不道徳で退廃的でありました。当時流行した「コリント人のように暮らす」という言い方は、放蕩な生活を意味していたのです。このような悪名高き町でした。

 このコリントにおいて、パウロは最近ローマから来たユダヤ人のアキラ夫妻に出会ったのです。まことに不思議な出会いで、神の導きによるというより他はありませんでした。彼らの職業は天幕作りで、ヤギの毛で作った天幕は当時の有名商品でありました。
そのためアキラ夫妻は自分の財力で世界の各地を巡ることができたのだと思います。またパウロも天幕作りの職業を身につけていたのです。それは親から受け継いだ職業です。ユダヤ人社会では、今日でも親が子供に職業を教えないことは、子供に将来泥棒になれというのと同じである、と考えられています。従いまして、パウロはキリストの使徒となる前は、ユダヤ教の新進気鋭の律法学者でありましたが、親から天幕作りの職業を教えられていたのです。

パウロは最初アキラの家に住み込みました。アキラの妻はプリンスキラと言いますが、二人ともパウロの伝道の協力者です。彼らはパウロに出会って福音を聞き、クリスチャンになったのか、それともローマにいる時からクリスチャンであったのかは分かりませんが、もし、彼らが以前からクリスチャンであったとすれば、ローマにはすでに西暦50年にキリスト教会が存在していたということになります。

また、パウロはコリントでティティオ・ユストというギリシャ人の家を借りて、そこを伝道の拠点としました。7~8節にはこのように記されています。
「パウロはそこを去り、神をあがめるティティオ・ユストという人の家に移った。彼の家は会堂の隣にあった。会堂長のクリスポは一家をあげて主を信じるようになった。また、コリントの多くの人々も、パウロの言葉を聞いて信じ、洗礼を受けた。」
 ここで自分の家を伝道のために提供したティティオ・ユストは「神をあがめる人」であったと書いてあります。これはユダヤ教の会堂で礼拝をしていた異邦人のことです。彼らはユダヤ教の律法に従う生活をすることは拒否していましたが、聖書の証する唯一の神を信じて礼拝に出席していたのです。
しかもティティオ・ユストの家は会堂の隣に位置していましたので、ユダヤ教の会堂に来て神を礼拝する異邦人とは密接な関係を保つには非常に便利でした。さらに愉快なことに、会堂長のクリスポと彼の家族全員が主イエスを信じたのです。
これらのことを考慮しますと、パウロの伝道のパターンとしてルカが告げるように最初ユダヤ教の会堂で福音を語り、ユダヤ人が福音に反対してので、彼らとは決別し、会堂の隣に移ったと考えるのは、極めて不自然であります。むしろ最初から会堂の隣で伝道を開始したものと思われます。
この時、コリントでは福音を信じる人々が次々と与えられました。

(3)主の幻
次に、聖書はこのように語っています。
「ある夜のこと、主は幻の中でパウロにこう言われた。『恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ』(18:9~10)
パウロの伝道の生涯で転機となるところでは、しばしば主の幻が示されました。ここでも、主イエスは幻を通して語られました。それは福音を語り続けよ。沈黙するな、と言うのです。
福音は語られなければならない。御言葉は広がらなければならない。誰かが語らなければ、人々はどうして信じられようか。あなたは既に語ったと考えている。確かにそうだ。
しかし、福音は繰り返し、繰り返して語らなければならないのだ。また、人々は今福音を聞いても、仕事のことや家のことで彼らの心は一杯になっており、福音を真剣に聞こうとしていないかもしれない。しかし、その状況は変わるであろう。だから語り続けよ。黙っているな、と主は命じられました。そしてこの命令には、約束が伴っています。
「わたしがあなたと共にいる。」
これほど心強いものは他にありません。主イエスが共にいて働いておられるのです。わたしたちは霊的に枯渇し、もうこれ以上語れないと思うときでも、主が霊的な力を与えてくださるのです。わたしたちが弱れば弱るほど、ますます神の言葉が与えられるのです。なぜか。神がわたしたちの弱さにもかかわらずではなく、わたしたちの弱さを通して語られるからです。

しかも、主はこの町にはわたしの民が大勢いると語られました。パウロにとって、コリントの人々は頼りなく、この世の思いに捉えられ、放蕩な生活をして、神から失われた存在のように見えようとも、彼らはわたしの民である。彼らの間にはわたしの言葉を聞く準備をしている多くの者をわたしは持っているのだ。
彼らはすぐには応答しないかもしれない。しかし、彼らはその願望を抱いており、心の中にその必要性があるのだ。あなたは出かけて行って彼らを見つけ、彼らに福音を心から勧めなない。
あなたも彼らと同じような窮地にあり、同じような誘惑と危険にさらされており、主イエスを通して神に祈り求めている者であることを彼らに分からせよ。そうすれば、彼らは福音を信じ、受け入れるであろう、と主は仰せられたのです。
その結果、パウロは一年半続けて伝道しました。しかし、その頃ユダヤ人たちの暴動に襲われましたが、ローマの総督ガリオンの手で守られたという事件があり、その後も伝道がなされたのです。
結局約二年間にわたって伝道がなされ、その結果パウロの伝道地で最大の教会が形成されたのです。
パウロはその後も、二回コリント教会を訪れています。また、コリント教会に宛てた第一の手紙と第二の手紙を書いています。その他に二つの手紙の資料が、これらの手紙の中に混ざっていると、今日は見られていますので、合計四つの手紙をパウロはコリント教会に出したことになります。
また、コリント教会にいたとき、パウロはテサロニケ教会に手紙を書き、さらに新約聖書の中で福音を弁明した最も重要な手紙であるローマの信徒への手紙をコリントで書いております。これらのことを考え合わせますと、主イエスが幻の中で仰せになったように、コリント教会はパウロの世界伝道の拠点となりました。

(4)教会全体での伝道
最後に、伝道は教会の使命です。パウロの伝道は多くのクリスチャンの献身的な働きと協力によって実を結んだのです。このように伝道は使徒たちだけの使命ではありません。それはクリスチャン一人一人の使命なのです。否、それは教会全体の使命なのです。
パウロはテサロニケの信徒への手紙一の1章6節~8節でこのように言っています。
「そして、あなたがたはひどい苦しみの中で、聖霊による喜びをもって御言葉を受け入れ、わたしたちに倣う者、そして主にならう者となり、マケドニア州とアカイア州にいるすべての信者の模範となるに至ったのです。主の言葉があなたがたのところから出て、マケドニア州やアカイア州に響き渡ったばかりでなく、神に対するあなたがたの信仰が至る所で伝えられているので、何も付け加えて言う必要なないほどです。」
このようにテサロニケ教会は、マケドニア州だけでなく、ギリシャ全土に対して福音を証しているというのです。主の言葉がテサロニケ教会から出て、ギリシャ全土に響き渡っているというのです。

なぜでしょうか。それこそ信仰共同体の持っている強みであります。共同体の発言、行動、信仰は個人のものより強い影響を及ぼすからです。それは個人のものよりも、持続的であり、広い範囲に影響を及ぼすからです。一人一人の働きは弱くても、教会に属して、一人一人の働きが教会の働きとなることによって、強められ、持続するからです。
信じる者を救う神の力である十字架の言葉は、第一に十字架につき復活された主イエス・キリストご自身です。第二に主イエスの救いを記した聖書です。第三に、信仰者によって語られる主イエスの福音です。
神の御言葉が、今日このような三つの形態をもって生ける働きをなしているのです。教会が、そして教会につながる一人一人のクリスチャンが、主イエスによって啓示され神の言葉を聞き、信じ、その救いを受け、主の命に生きる民として「信仰と希望と愛」を証することが、教会の使命であります。



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