2011-10-02(Sun)

僕は聞きます 2011年10月2日の礼拝メッセージ

僕は聞きます
中山弘隆牧師

 主は再びサムエルを呼ばれた。サムエルは起きてエリのもとに行き、「お呼びになったので参りました」と言った。エリは、「わたしは呼んでいない。わが子よ、戻っておやすみ」と言った。サムエルはまだ主を知らなかったし、主の言葉はまだ彼に示されていなかった。主は三度サムエルを呼ばれた。サムエルは起きてエリのもとに行き、「お呼びになったので参りました」と言った。エリは、少年を呼ばれたのは主であると悟り、サムエルに言った。「戻って寝なさい。もしまた呼びかけられたら、『主よ、お話しください。僕は聞いております』と言いなさい。」サムエルは戻って元の場所に寝た。主は来てそこに立たれ、これまでと同じように、サムエルを呼ばれた。「サムエルよ。」サムエルは答えた。「どうぞお話しください。僕は聞いております。」主はサムエルに言われた。「見よ、わたしは、イスラエルに一つのことを行う。それを聞く者は皆、両耳が鳴るだろう。その日わたしは、エリの家に告げたことをすべて、初めから終わりまでエリに対して行う。わたしはエリに告げ知らせた。息子たちが神を汚す行為をしていると知っていながら、とがめなかった罪のために、エリの家をとこしえに裁く、と。
サムエル記上3章6~13節


 ある夜のこと、主は幻の中でパウロにこう言われた。「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ。」パウロは一年六か月の間ここにとどまって、人々に神の言葉を教えた。
使徒言行録18章9~11節


 
(1)預言者たちの召命
 今日わたしたちは聖書が神の言葉であると告白しています根拠は、旧約聖書の預言者たちや新約聖書の使徒たちが、神から直接的に、そして人格的に彼らに向かって語られた神の言葉を聞いて、その言葉を宣教し、それが後に聖書に記録されようになったからです。

 旧約聖書の長い歴史に渡って多くの預言者が立てられましたが、それぞれの事情は異なっています。例えば、イザヤの場合に、彼は神殿での礼拝に出席していた時に、神殿の奥にある至聖所を垣間見て、神聖と不可侵の荘厳さの中に存在される神のビジョンを見ました。このために、イザヤは御言葉をもってご自身を現される神を「聖なる神」と呼んでいます。
また、預言者エレミヤの場合は、青年エレミヤが神から来る道徳的な強制力に促されて、背信の民イスラエルに向かって神の言葉を語る使命を与えられました。
 
(2)サムエルの召命
 一方サムエルの場合には、彼がまだ少年であったころに召命を受けたのです。彼はそれまで一度も神の言葉を聞いたことはありませんでしたが、神の言葉を聞くための訓練を祭司エリから受けていたのです。
もちろんサムエルは幼くても神対する信仰を持っていました。サムエルは信仰の篤い母ハンナによって、乳離れした時から神殿に連れて来られ、祭司エリのもとで、礼拝の務めについて学んでいました。神について学び、イスラエルをご自身の民として選ばれた神に対して、民はどのような生活をしなければならないかを教えられていました。そのようにして、少年サムエルは、神との人格的な交わりに入るための準備の時期が与えられていたのです。
ついにその時が来ました。それはサムエルの年齢が幾つのときであったかは定かではありませんが、たぶん12歳ごろであったと思われます。聖書は次のように語っています。
「まだ神のともし火は消えておらず、サムエルは神の箱が安置された主の神殿に寝ていた。」(3:3)
神殿の中に神と民との契約の箱が安置されています。その契約の箱は、イスラエルの神である主ヤーウェの王座とされ、そこに主が臨在しておられると信じられていました。サムエルに神の御声が聞こえてきたのは、この王座からです。
彼はたった一人で契約の箱が安置してある部屋に寝ていたのです。時刻は夜の間、神殿を照らす灯がまだ消えない内でしたので、多分夜明けが近づいていた頃でした。
「主はサムエルを呼ばれた。サムエルは、『ここにいます』と答えて、エリのもとに走っていき、『お呼びになったので参りました。』と言った。」(3:4~5)
このとき、主はサムエルに御言葉をもって呼びかけられたのです。しかしサムエルは主から呼ばれたとは理解できず、日頃から身の回りの世話をしていた老人の祭司エリが何か助けを求めたのだと思いました。祭司エリは目も悪く、殆ど見えなくなっていましたので、サムエルに何か助けを求めていると考え、急いで彼の部屋に走って行きました。
祭司エリは、サムエルが夢を見て、夢の中でエリから呼ばれていると勘違いして、走ってきたものと考えました。そこで次のように言いました。
「わたしは呼んでいない。自分の部屋に戻ってお休みなさい。」と優しく答えたのです。
不思議にもこのようなことが三度続けて繰り返されましたので、祭司エリはようやく事の重大さに気づき、主がサムエルを呼ばれたことを悟ったのです。そこでサムエルに神の言葉に応答することを次のように教えたのです。
「もしまた呼びかけられたら、『主よ、お話しください。僕は聞いております。』と言いなさい、と教えました。

この時、聖書は次のように記しています。
「主は来て、そこに立たれ、これまでと同じように、サムエルを呼ばれた。『サムエルよ。』」(3:10)
神がこのようにサムエルの名を呼ばれたということは、神がサムエルと直面し、人格的に出会っておられることを意味します。
聖書は主がサムエルのところに来て、そこに立たれた、と説明しています。言い換えれば、神がサムエルのいる場所に臨在され、サムエルと人格的に出会われたのであります。

神は天地の創造者であり、創造者として万物を超えた方でありますから、人間の目には見えない方です。同時に、人間の耳にも神の声は聞こえません。なぜなら神と人間との間には、越えられない無限の隔たりがあるからです。しかし、神は御自身の神としての威力によって、無限の隔たりを超え、人間の心に御言葉を直接語り、人間と人格的交わりを持つことができる方なのです。

また預言者イザヤが見たビジョンは、聖なる神は人間と被造物全体を超えた神であり、無限に高い天に住まわれる方でありますが、同時に、天から下って来て、人間の心の中に臨在される方でもありました。
イザヤ書57:15で次のように記されています。
「高く、あがめられて、永遠にいまし、その名を聖と唱えられる方がこう言われる。わたしは高く、聖なる所に住み、打ち砕かれて、へりくだる霊の人と共にあり、へりくだる霊の人に命を得させ、打ち砕かれる心の人に命を得させる。」
聖書はまた次のように言っています。「神を知らぬ者は心に言う。『神などない』と。」(詩編53:2)なぜならば、見えない神はもともと存在しないと高慢な人間は自分の心で考えるからです。
しかし、神が神性の力によって、人間の心の中に住み、臨在し、人格的に出会われるときに、神は御言葉をもって、その人の心に直接的に語られます。それは最早否定しえない明瞭さで、人間の心にはっきりと聞こえるのです。サムエルの場合、神が語られる言葉があまりにも彼の心に明らかでありましたので、祭司エリが呼びかけていると勘違いしたほどでした。
そのように人間と出会い、人格的な交わりを与えられる神は、そこにおいて人間に信仰をもって応答するように要求されます。
サムエルは祭司エリから教えられたとおりに、神の呼びかけに応答して、「どうぞお話しください。僕は聞いております。」と言ったとき、神がこれから祭司エリとイスラエルの民全体に下そうとしておられる神の審判が語られました。

次に、サムエルは自分に語られた神の言葉を祭司エリに語るのを恐れていましたが、エリはサムエルに隠さずに語るよう要請しました。そのときエリはサムエルに語られた神の言葉を信じて、たとえそれが自分の二人の息子たちに対する審判であっても、謙虚に受け入れました。そして次にように告白しました。
「それを話されたのは主だ。主が御目に適うとおりに行われるように。」(3:18)
ここに祭司エリの神に対する従順と信仰者としての高貴さが現されています。彼は神に背いている自分の二人の息子を警告し、祭司としての務めを忠実に果たすようにさせることはできませんでしたが、それは息子たちがあまりにも悪すぎたからです。しかし、神の審判に謙虚に服するというエリの信仰は本物です。なぜなら、神が審判において、ご自身の正しさを貫徹されることによって、審判の向こう側に必ず人間の救いがあるからです。このことを信じるのが聖書の信仰です。

(3)御言葉を聞く姿勢の確立
次にわたしたちが心に留めなければならない点は、神はサムエルに呼びかけ、神の言葉を語らうと計画しておられましたが、そのためにはサムエルの側で応答する態度を取る必要があったということです。そのために訓練の期間を過ごさなければならなかったのです。この点わたしたちの場合も同じです。
人は教会に来て礼拝に参加しなければ、神の言葉を聞くことはできません。しかし教会に行っても自分の願っていることが何も得られないので、自分はもう教会に行くのを止めようと思う人が多くいます。それはまだ神と出会っていないので、神との交わりの中で自分の人生を生きる幸いがまだ分っていないからです。
それゆえ神の言葉を聞き、それに応答することが分かるためには、一定の期間と予備的な体験を経なければなりません。偉大な音楽を理解するためには、長い期間に音楽を学び、音楽の素晴らしさを体験する必要があります。信仰の場合にも、神の言葉を聞くためには、礼拝を続けて守っていますと、そのあいだに神の恵みを体験し、いつの間にか神の言葉を聞く態度が身に着くようになります。

サムエルの場合には、神がサムエルの名前を呼ばれました。この聖書の記事を読んだ人は、もし神が自分の名前を呼んでくださるならば、神と相対していることが分かるのだろうと想像するかもしれません。
しかし、わたしたちの場合は、自分の名前を呼ばれなくても、神様は自分のことを全部知っておられると思うとき、それは自分の名前を呼ばれていることと同じなのです。
人は孤独の中で悩んでいるとき、本当に自分を理解してくれる人がいたらどれほど慰められるだろうかと想像するのですが、神様はわたしたちを一番よく理解しておられる方なのです。このことに気づくとき、わたしたちは信仰に近づいています。
神様が主イエスを通して、わたしたちに直面しておられるという霊的な現実が、わたしたちが自分の人生を生きる上で、一番頼りになる現実であるということに気づくのが信仰なのです。
神様は主イエスを通して、わたしたちのすべてのことを知っておられます。わたしたちの孤独と罪と死の苦悩を知っておられます。さらにそのようなわたしたちが主イエスを通して、神の御前に正しい者とされ、神に対して自発的に従い、感謝と喜びの新しい命に生きるわたしたちを神様はすでに知っておられるのです。

この神が主イエスを通して、わたしたちに日々「汝よ」と呼び掛けて下さるのです。この呼びかけに「はい、僕はここにおります。主よ、お語り下さい」と応答するときに、わたしたちは神との人格的関係に入ります。
この交わりの中で、御言葉を聞き、祈り求め、御心を実行することによって、わたしたちは周囲の人々との人間関係を良くすることができるのです。またわたしたちの職場、家庭、その他の場所で与えられている課題と責任を良く果たすことができるのです。
こういう意味で、神との人格的な交わりこそ、わたしたちを日々生かす生命の泉です。

(4)生ける神と偶像の違い
最後に、わたしたちがサムエル記から聞くべき神の言葉は、神は憐み深く、同時に正しい方であるので、イスラエルを偏って保護し、イスラエルの悪を容認されることはありません。この点が偶像と異なる点です。
当時、イスラエルの近隣諸国家は諸々の神を持っていました。モアブ民族はケモシという神を、アンモン民族はメレクという神を、ペリシテ民族はダゴンという神を、それぞれ信奉していました。これらの神々は民族と一心同体であり、戦争の場合に神々は民族と共に戦い、その民族が勝利した時にはその神の勝利であり、敗北した時にはその神の敗北でありました。
しかし、イスラエルの神はそうではありません。祭司エリの二人の息子たちとイスラエルの罪と不正義とを罰せられる神であるので、ペリシテ人との戦いにおいて、イスラエルに敗北を与えられました。 
この時、イスラエルはヤーウェを自分たちの守護神と考え、ヤーウェの契約の箱を戦場に運びました。それは契約の箱と共にヤーウェが戦場に臨在され、イスラエルに勝利をもたらされると考えていたからです。まさにこれはイスラエルが主ヤーウェを偶像として拝んでいたことになります。
それに対して、神は預言者サムエルを通して、神の言葉を語り、背信の民に審判を語られ、イスラエルの敗戦により、神の審判を実行されたのです。このように、神はイスラエルの信仰が純化されるように導かれました。
しかし、その後のイスラエルの歴史を見ますと、民族や国家の利益を優先させ、神をそのために利用しようとするイスラエルの罪深い傾向がいよいよ明らかになり、究極的な神の審判の必要がますます明瞭になりました。それこそ、神がご自身の目的と正しさを貫徹されることによる救いの実現であります。
今や、それは主イエスの十字架の贖いと復活により達成されました。従いまして、旧約の預言はそういう意味において、主イエスの到来の必要性と必然性を語っているのです。



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