2017-02-26(Sun)

まことの自由 2017年2月26日の礼拝メッセージ

まことの自由
中山弘隆牧師

 見よ、わたしがイスラエルの家、ユダの家と新しい契約を結ぶ日が来る、と主は言われる。この契約は、かつてわたしが彼らの先祖の手を取ってエジプトの地から導き出したときに結んだものではない。わたしが彼らの主人であったにもかかわらず、彼らはこの契約を破った、と主は言われる。しかし、来るべき日に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこれである、と主は言われる。すなわち、わたしの律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心にそれを記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。
エレミヤ書31章31~33節


 キリスト・イエスに結ばれていれば、割礼の有無は問題ではなく、愛の実践を伴う信仰こそ大切です。あなたがたは、よく走っていました。それなのに、いったいだれが邪魔をして真理に従わないようにさせたのですか。このような誘いは、あなたがたを召し出しておられる方からのものではありません。わずかなパン種が練り粉全体を膨らませるのです。あなたがたが決して別な考えを持つことはないと、わたしは主をよりどころとしてあなたがたを信頼しています。あなたがたを惑わす者は、だれであろうと、裁きを受けます。兄弟たち、このわたしが、今なお割礼を宣べ伝えているとするならば、今なお迫害を受けているのは、なぜですか。そのようなことを宣べ伝えれば、十字架のつまずきもなくなっていたことでしょう。あなたがたをかき乱す者たちは、いっそのこと自ら去勢してしまえばよい。兄弟たち、あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです。ただ、この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい。律法全体は、「隣人を自分のように愛しなさい」という一句によって全うされるからです。
ガラテヤの信徒への手紙5章6~14節


(1)福音を聞いて信じる
 本日の礼拝ではガラテヤの信徒への手紙5章の言葉から、恵み深い神の義、神の真理と正しさの啓示によって、わたしたちの新しい状況がすでに造られているという霊的現実について、一層深く知ることを願っています。使徒パウロは次のように言っています。
 「この自由を得させるために、キリストはわたしたちを自由の身にしてくださったのです。だから、しっかりしなさい。奴隷の軛に二度とつながれてはなりません。」(ガラテヤ5:1)
 キリストはわたしたちを自由の身にしてくださった、というこの御言葉は、キリストの十字架の死による贖いと復活により、わたしたちを罪の奴隷の身分から神の子たちの身分へと解放してくださった、という意味です。
 ところで自由と言うときにわたしたちは何を考えるでしょうか。日本の憲法は第一に、誰でも人間らしく生きるための基本的人権を認め、言論の自由、学問の自由、集会の自由、結社の自由などを認めています。第二に、経済的な面からすれば、力のある階級が庶民の生活を抑圧することがないように、民主主義を掲げています。このような現代社会では多くの自由が保証されています。
 しかし現実には、多くの人々が様々な問題や状況の中で圧迫され、生きる希望を失い、自殺する人も多くいます。表面的に見れば発展した社会の裏面に、多くの矛盾と不正が隠されており、悪の勢力が人々を苦しめています。これは自由が失われている証拠です。
 従いまして、聖書の言う自由とは人間の存在と生活のすべてを含めて、トータルな視点からの自由です。しかし、この点を理解するために、先ず聖書の世界観と人生観を知ることが必要です。それは全知全能の神が世界と人間の創造者であり、救済者であり、恵み深い主権者であるということです。
 この恵み深い神の御前では、つねにわたしたちのすべての面が、わたしたちが考えること為すことの全体が明らかになっています。それゆえ神から見て、わたしたちが神との「正しい関係」に入れられているかどうかが問題であり、それはわたしたちの生死を決定する重大問題です。そこで、神との正しい関係とは罪人が罪を赦され、「神との和解」の中に入れられることです。
 従って、神と和解させられた人間は決して罪のない人間になったのではありません。依然として罪人のままです。それにも拘らず、神の御子イエス・キリストの地上での人生、特にその頂点としての十字架の死による人類の罪の贖いと、そしてキリストの復活によって神の主権が確立したことにより、わたしたちは神の御前に新しく生きる者とされたのです。
 しかし、神の主権の確立は、神に反抗している罪人である人類に対する神の審判を通して実現しました。実にそのために、神の御子イエスが、ご自身を人類と結び合わせ、人類に代わって人類の罪に対する神の裁きを受けられたのです。この事実によって、人間だれしも罪人であり、神の意志に反する様々な悪を行なっている者であることが明らかになりました。
 しかも御子イエスは神の審判は単に人間を殺すためではなく、御前で新しい人間として生かすためであることを認識し、父の意思に死の極みまで従順でした。その結果、神の御前に、罪人である人間が取り去られ、神に従う新しい人間が、主イエス・キリストの存在の中で創造されたのです。
 実に主イエス・キリストの中で起こったこと、それは罪深い人間が、神の御前に生きる新しい人間として再創造されたことです。人間は生まれながらの人間としては罪人ですが、神の御子イエスが裁かれたことにより、神の子たちとなっているということが、啓示されたのです。もしも、神が一人一人の罪人を直接に裁かれたとすれば、人間は何回死んでも、人間に対する神の意志は貫徹せず、人間は依然として罪人のままです。以前と何ら変わらないのです。
 しかし、御子イエスの死と復活の中で、神は人間のために決意し、行動し、最終的に人間の状況を決定されました。つまり、罪人が主イエスの中で死に、主イエスの中で新しい人間となったことです。この事実を神は福音を通して語られています。従いまして、福音を聞いて信じる者は罪を赦され、神の子として御前に生きるのです。
 しかもそのような信仰は、極めて単純です。同時に単純であるゆえに完全なのです。それゆえ信仰は人間の中に働くのですが、人間から出た信仰ではなく、聖霊の働きによる信仰なのです。
 実に信仰が人を主イエス・キリストと結び合わせます。このことを新共同訳聖書はクリスチャンをキリストと結ばれた者と言っています。キリストに結ばれているとは、自分は罪人なのですが、キリストの中で罪を犯す自分は死んでおり、今や神の子とされ、神の御前に生きる新しい人生が開かれている、という状況です。
 今この状況の中で、キリストとの人格的交わりが与えられ、新しく生きることができるのです。それはキリストに従い、キリストの命令を実行することにより、御前で日々生きることを体験するのです。この生き方がクリスチャンに与えられた自由です。

(2)神の子としての自由
 それでは、神の子としての自由は何でしょうか。ここでパウロはクリスチャンに与えられている自由を明瞭にするため、奴隷の身分と神の子の身分を対比しています。
 先ほど引用しましたガラテヤの信徒への手紙5章1節の言葉はこのように言っています。「奴隷の軛に二度とつながれてはなりません。」と言っています。
 パウロはここで具体的に主イエスの福音に反対するユダヤ教徒のことを言っています。彼らは神の命じられた律法を自分の知恵と努力によって実行するならば、それが神の御前に通用する功績となり、功績によって、自分たちは救われると考え、また人々にそのように教えました。しかし功績は神の御前で全く通しません。むしろ罪人の生き様に他なりません。なぜならば、神の御子イエスはすべての人間の為に十字架について死なれたからです。御子イエスの前では、すべての者が罪人であり、神の御前でその罪が裁かれていまです。言い換えれば、そのような生き方は罪の力に束縛された状態で、罪の奴隷であり、死に至る歩みです。
 他方、御子イエスの死が示す内容は、単にユダヤ教徒だけではなく、すべての人間に通用します。自分の知恵と力と努力に頼って生きているすべての人に通用します。生まれながらの人間は、だれでも自分の知恵と力と努力に頼って生きていますが、その人のために裁きうけられた御子イエスによって、人は罪深い者であり、自分の中には良いものが全くないと言うことが示されているのです。
 従って、福音を聞いて信じる者は、自分の罪深さを自覚し、最早自分に頼ろうとしません。それでは他の人に頼る依頼心の強い人なのでしょうか。そうではありません。すべての人が罪人であるのですから、頼るべき方は、ただ一つ神であり、御子イエスだけです。
 このように主イエス・キリストを信じ、神に絶対的に依存し、神に祈り求める者は、罪が赦されているのです。神がその祈りを聞いてくださるのです。ここに消極的な意味での自由があります。
 主イエスは神殿で神に祈ったファリサイ人と徴税人の祈りを対比されました。自己の義に寄り頼んでいるファリサイ人の祈りは聞かれないで、他方、自分の罪深さを知り、ひたすらに神に寄り頼み、罪が赦されるように祈った徴税人は、その祈りが聞かれ、義とされて家に帰ったと仰せられました。
 しかしそれだけでなく積極的な自由があります。なぜならクリスチャンはキリストによって奴隷の身分から解放され、神の子とされているゆえに、神の子の自由をもって神に従い、神の律法を実行するという自由です。ここに自由の本領があります。
 つまり、クリスチャンとは神の愛、すなわち主イエスの十字架の死によって示された神の贖罪愛、そして主イエスの中に新しい自分が与えられていることと、自分が主イエスの支配の中にあることを知り、主イエスに従うことを最大の喜びとし、自ら進んで神の律法を実行する者たちです。
 ここでクリスチャンが主イエスの命令を聞き、それを実行しようと欲し、努力するならば、実際に実行できるということ、これが自由です。それは主イエスの命が自分の中に働くことであり、そのように神の御前で生かされていることを体験するのです。
 復活の主イエスは日々、罪の赦しをもってわたしたちと出会い、御言葉を通してご自身を示し、わたしたちの中に住み、働き、日々わたしたちを導かれます。この主に従って、主の命令を実行するとき、具体的に神の御前に生かさていることを体験します。そして日々神に感謝し、喜び、神を賛美するのです。
 それにしても、わたしたちが実行する愛は不完全です。しかし、神様はその不完全な愛の行為を喜んで下さいます。ここに、自分が神との交わりの中にあることが分かります。そして感謝と喜びに満たされます。それゆえ神の命令を聞いて実行する愛は、多くても少なくても、クリスチャンの中に働く聖霊の働きなのです。
 従いまして、クリスチャンは何をしてもよい自由が与えられているのではありません。そうではなく、罪人としての自分の心の中に働く様々な悪い欲望、罪の思い、この世の誘惑と戦い、それらに勝利し、それらを捨てさることが必要です。
 またそうすることが可能なのは、クリスチャンは主イエスと結ばれて、既に神から自分の罪が赦されているからです。

(3)キリストの愛とクリスチャンの使命
 次に、パウロは「キリスト・イエスに結ばれていれば、割礼の有無は問題ではなく、愛の実践を伴う信仰こそ大切です。」(5:6)と言っています。
 実際、この世界には人々を互いに差別する価値観や規範があり、人はそれらに拘束されています。例えば民族的な差別、文化的な相違などです。福音の内容から見て、人間的な一切の差別はキリストにおいて既に破棄されています。それゆえに、そのような差別を乗り越えて、それぞれの違いを認め合い、共に生きることが愛の実践です。従って、愛の実践を伴う信仰が必要なのです。
 この点について、主イエスは「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。」と仰せられました(ヨハネによる福音書15:12)。
 しかし、このキリストの律法はわたしたちクリスチャンに実に大きい使命と課題を与えています。それは無限に大きいのです。
 従いまして、わたしたちの愛は、キリストの愛に比べれば極めて不完全な愛であると言わなければなりません。

(4)希望を抱いて
 それでは、わたしたちの救いの完成は、ひたすら主イエスの最後の働きによって達成されるということです。それは主イエス・キリストの再臨の日です。再臨のとき人は皆、復活し、主イエスの中に既に存在している新しい人間として、神の御前に現れるのです。
 実にこの希望を抱いて、クリスチャンは自分の人生を最後まで生き抜くことができます。このような希望も聖霊の働きです。
 要するに、主に従う人生の終局はわたしたちの復活です。それは全く父なる神と主イエス・キリストの独占的働きです。それにしても、自分の復活を信じているのは、わたしたちが現在この地上で生活しながら、信仰と愛と希望によって主と結ばれているからです。それゆえ、わたしたちはすべての人間の復活を信じるのです。
 このことを考えますと、わたしたちを主イエスと結び合わせているのは、人間にご自身を与えられた主イエスの側からの連帯性です。それは完全です。またわたしたちの側から主イエスを信じる信仰は、単純で完全な信仰であるゆえ、わたしたちは主イエスと結ばれているのです。
 このことが愛の実行と希望の堅持を可能とします。それこそ、「愛の実践を伴う信仰」です。「希望を堅持する信仰」です。



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