2016-06-26(Sun)

新しく生まれる 2016年6月26日の礼拝メッセージ

新しく生まれる
中山弘隆牧師

 わたしは言った。「主よ、いつまででしょうか。」主は答えられた。「町々が崩れ去って、住む者もなく/家々には人影もなく/大地が荒廃して崩れ去るときまで。」主は人を遠くへ移される。国の中央にすら見捨てられたところが多くなる。なお、そこに十分の一が残るが/それも焼き尽くされる。切り倒されたテレビンの木、樫の木のように。しかし、それでも切り株が残る。その切り株とは聖なる種子である。
イザヤ書6章11~13節


 イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である。『あなたがたは新たに生まれねばならない』とあなたに言ったことに、驚いてはならない。風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。」するとニコデモは、「どうして、そんなことがありえましょうか」と言った。イエスは答えて言われた。「あなたはイスラエルの教師でありながら、こんなことが分からないのか。はっきり言っておく。わたしたちは知っていることを語り、見たことを証ししているのに、あなたがたはわたしたちの証しを受け入れない。わたしが地上のことを話しても信じないとすれば、天上のことを話したところで、どうして信じるだろう。天から降って来た者、すなわち人の子のほかには、天に上った者はだれもいない。そして、モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない。それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである。
ヨハネによる福音書3章5~15節


(1)神の国の秘密と新生
 ここにニコデモと言うユダヤ人の指導者が、イエスのもとに来た時の状況が説明されています。3章2節に、「ある夜、イエスのもとに来て言った。」と記されていますが、彼は人目をはばかって夜こっそり一人で訪ねてきました。彼はイエスの弟子になりたいと言う切なる願いを持っていたと思われますが、いろいろな事情で弟子になることを公表せず、いわば隠れた弟子でありたいと考えていたのでしょう。ところでニコデモは最初にイエスを訪ねたとき言いました。
 「ラビ、わたしどもは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神が共におられるのでなければ、あなたのなさるようなしるしを、誰も行うことはできないからです。」(3:2)
 このようにイエスに対する彼なりの信仰を言い表しました。イエスは彼の信仰の表明をそのまま受け入れ、さらに一歩踏み込んで彼に仰せられました。
 「はっきり言っておく。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできない。」(3:3)
 これはニコデモの最大の関心が神の国であったことを示しています。と言いますのは、イエスによる神の国の宣教に先立って、洗礼者ヨハネが活躍しており、イスラエルの人々の間では神の国到来に対する期待が非常に高まっていたのです。
 言い換えれば、旧約聖書が約束している神の救いが実現する新しい時代の到来です。しかし新しい時代と言いましても、歴史の中で絶えず繰り返される種類の新しさではなく、これまでの歴史全体を根底から新しくする終末論的な視点を持っています。
 終末論的という特殊な言葉は、これまでの歴史全体を終わらせ、もはやそれを越えていく新しさは存在しない永遠の新しさであります。それが聖書の語る神の国の開始です。
 イエスの教えと業はこれまでの教師や預言者の場合とは異なり、「神の業」そのものであると言わざるを得ない力強い霊的現実でした。事実、イエスは「わたしが神の指で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたがたのところに来ているのだ。」(ルカ11:20)と仰せになっています。この終末論的な状況がイエスとニコデモの会話の背景になっています。
 このようにイエスは、「誰でも新しく生まれなければ、神の国を見ることはできない。」と言われたのです。「見る」とは、目で見ることと、心で理解することと、心身共に体験すると言う意味です。
 それはまた、「あなたはわたしを神から遣わされた者と言うのか。それならば、あなたがわたしを本当に理解し、わたしの居るところにあなたも居るためには、あなたは新しく生まれなければならないのだ。」と言う意味が含まれています。
 しかし、イエスの言葉はニコデモを大変驚かせました。なぜなら神の国が到来すると言うのは、人間の住んでいる社会環境や政治体制が変革され、そのような領域に神が直接介入されることであると彼は考えていたからです。
 それに対して、イエスがあなたは神の国がわたしの宣教と共に始まっているのを知ることができるためには、あなた自身が新しく生まれなければならない、と言われたのです。イエスはこの点を特に強調し、三度も繰り返されました。
 4節で、ニコデモはイエスのこの発言を聞いて、肝がつぶれるほど驚き、「年をとった者がどうして生まれることができましょう。もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか。まさかそんなはないでしょう。」と反論しています。
 しかしここで「新しく生まれる」「再び生まれる」と言う言葉は、「上から生まれる」と言う意味も含まれているのです。むしろここでは「上から生まれる」と言う意味でイエスは使用されています。5節では「だれでも水と霊とによって生まれなければ」とイエスは言っておられます。水とは洗礼式の水のことです。霊とは洗礼を受けるときに与えられる聖霊のことです。
 イエスが新しく生まれると仰せになった意味は、ここに至って極めて明瞭になっています。それは主イエスが救い主であると信じて洗礼を受けるとき、聖霊が与えられることです。
 一般的にアダムの子孫である生まれながらの人間は誰も聖霊を持っていません。それゆえ聖霊を受ける者は、アダムの子孫とは異なる人間となり、天から生まれた、霊的な人間なのです。
 それゆえ、7節でイエスは「あなたは新たに生まれなければならない。」と仰せられたのです。このことをキリスト教では「新生」といいます。そもそもクリスチャンとはキリストを信じる信仰による「信仰義認」、「新生」、「聖化」、そして復活の希望の人生を歩むことによって、地上の生活を続けながら神の国に生きる者たちです。但し、信仰義認と新生とは結びついていますので、一つの事態の二つの側面と言えます。
 わたくしは未だ伝道師として、千葉県の木更津教会で伝道牧会していましたとき、長年牧会して引退されました村上先生を特別伝道礼拝にお呼びしたことがあります。先生の親戚の村上さんの家族が教会の古からの会員でありましたので先生に来てもらいました。その時、先生は「福音の中心はいうなれば人間の魂の入れ替えです」と力強く語られた言葉を覚えています。
 しかし、魂の入れ替えとは、その人が全く別人になってしまうことではありません。そうではなく、生まれながらの個性はそのままでも、自分の存在の中心が入れ替わり、もはや自分の中にではなく、主イエスの中に自分の中心が移されること、またわたしたちの心の中心にイエスが座られることです。
 つまり神様が主イエスの中で与えて下さっている「本当の自分」を発見することです。そして神様が自分に計画し、歩ませようと欲しておられる人生を歩み始めること、これが新生です。

(2)人の子の神秘と永遠の生命
 次に、イエスはご自身を「人の子」と呼んでおられます。
 「天から降ってきた者、すなわち人の子のほかには、天に上った者はだれもいない。--人の子も上げられねばならない。それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の生命を得るためである。」(3:13~15)
 イエスはご自身について「人の子」と言う神秘的な呼び方をされました。マルコによる福音書では、人の子とは終末論的な人間であり、神の主権を委ねられ、黙示文学的な描写によれば、終わりの日に天の雲に乗って地上に現れ、すべての人間を裁く審判者と予定されている者です。
 同時に、人の子は人類を罪から解放するために、十字架の死を受け、三日目に復活する贖い主の使命を果たすために来たと仰せられました。さらにイエスは「メシア」としての使命を果たされましたが、ご自身がメシアであると公言されたことは一度もありませんでした。従いまして、人の子は謎に満ちた神秘的人物でした。それゆえ、14節でイエスは「人の子はあげられなければならない」と仰せられました。
 しかし、ヨハネによる福音書は人の子の秘密を明らかにしています。つまり「人の子」とは、「神の永遠の御子」である方が、神のもとからこの世界に遣わされて、「真の人間」となって来られた「イエス」であると言っています。1章14節で、次のように言っています。
 「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。」
 このようにヨハネによる福音書は「父の独り子なる神」を「神の言」と呼び、イエスは「神の言の受肉」であり、従って、「人の子」は「神の独り子の受肉」であると言っています。それゆえヨハネによる福音書の救いに関する大きなテーマである「永遠の生命」について、3章15節は次のように宣言しています。
 「それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである。」
 ところで、神が人間に与えられた永遠の生命とは、人間が神を知り、神に従うことです。実にそのため、神の独り子が人間となって、神のもとからわたしたちのところに降って来られました。それゆえ、神の御子イエスの中に、直接に父なる神が内在し、語り、働かれましたので、イエスは父なる神を完全に知り、父なる神の意志を完全に実行されました。そのイエスの中に永遠の命があるのです。それゆえ、「永遠の命」とは、イエス・キリストの中に働いた命に他なりません。
 さらにイエスの命が信仰者の中に与えられる命となるために、イエス・キリストは人類の罪を贖う必要があり、ご自身を与え、人類の罪を引き受け、十字架の死を全うしなければなりませんでした。それゆえにイエスは「人の子は上げられなければならない」(3:14)と仰せられたのです。
 ヨハネによる福音書では、「上げられる」と言う表現は二重の意味があると言われています。一つは十字架の死を受けるために、十字架に上げられると言う意味です。もう一つは、十字架の死を全うしたことにより、復活し、天に上げられ、神の国の主権者の地位に上げられると言う意味なのです。従いまして、「永遠の生命」は今や復活して天に上げられたイエスの中に保存されているのです。もっと正確に言えば、死人の中から復活し、主となられた「主イエス・キリストご自身」が永遠の生命なのです。

(3)イエスの十字架の死と復活と高挙の必要
 その結果キリスト教会において、旧約聖書で神が約束された救いが実現しました。なぜならば、復活の主イエスが天に上げられて、神の国の主権者となられたからです。従って、復活の主イエスがもはや地上におられないと言うことではありません。そうではなく、今や神として働き、教会の中に臨在し、クリスチャン一人一人の中に働いて、支配し、救いに導かれるのです。同時に人類の歴史の中に働き、歴史を支配しておられるのです。このようにして全人類の救い主のとしての主イエスの働きは全面的に可能となっています。
 それゆえ、復活の主イエス・キリストは十字架の言葉を通し、聖書の福音を通して、わたしたちと出会い、わたしたちの中に働き、聖霊を通して、御言葉と主イエスの働きを理解させ、聖霊を通してご自身の命をわたしたちに与ええ、わたしたちが神の意志を実行し、互いに愛し合いながら、主イエスの性質をより鮮明に映し出す者となるように導かれます。
 従って、復活の主イエス・キリストは神の国の支配者なのです。教会に臨在し、信仰者の中に働いておられます。同時に、キリストの臨在と働きは、人間の目には見えませんから、聖霊によって信じられ、理解されるのです。そして、聖霊は主イエス・キリストの命をクリスチャンに日々供給するのです。主イエスは聖霊を通してご自身の命を日々供給されますので、わたしたちは主イエスの命令を聞き、喜んでそれを実行することができます。
 それゆえ、わたしたち復活の主イエス・キリストの恵みと支配に応答し、主イエスに従わなければなりません。否、応答することによって新しい命に生きるのです。そのようになるのが、聖霊の働きなのです。それゆえ、わたしたちが主イエスを信じることは、聖霊の働きです。また、わたしたちが主イエスに従い、愛の業をすることは聖霊の働きなのです。さらに主イエスの救いに対する希望も聖霊の働きです。
 そういう意味で、主イエスの支配は聖霊が教会に、そしてクリスチャンに与えられたことと結びついています。わたしたちの救いに関して言えば、聖霊は主イエスの救いの働きの協力者なのです。このように、聖霊についてのキリスト教会の理解はあくまでもキリスト中心的です。キリストを離れて聖霊は働きません。
 しかし、クリスチャンの中には、今日のキリスト教が広まらないのは教会の伝道が人々に神の国の喜びを伝えないからだと言う人々がいます。伝道はガリラヤでイエスが神の国の福音を語られたときの喜びを、語らなければならない。キリストの福音は、結婚式のようなめでたい喜びを告げることであるのに、教会で語る十字架の福音は葬式のような暗い悲しい響きがある。つまり神の国とは聖霊の力と喜びなのだ、と主張する人がいます。そのような人々は、キリスト教文化を世界に広めることによって、諸国民をキリスト教化することが、聖霊の働きであると言うのです。しかしそれは聖書的ではありません。聖書の聖霊理解はあくまでも主イエス・キリスト中心的です。 
 主イエスはわたしたちに聖霊を与えられる方です。それゆえわたしたちは聖霊の働きによって、主イエスの働きを理解し、主イエスの支配と導きに応答し、主イエスに従うことによって、聖化されていくのです。これほど大きな神の恵みと働きは他にはありません。



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