2015-11-29(Sun)

見よ、神の小羊 2015年11月29日の礼拝メッセージ

見よ、神の小羊
中山弘隆牧師

 わたしたちは羊の群れ。道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。そのわたしたちの罪をすべて、主は彼に負わせられた。苦役を課せられて、かがみ込み、彼は口を開かなかった。屠り場に引かれる小羊のように、毛を刈る者の前に物を言わない羊のように、彼は口を開かなかった。捕らえられ、裁きを受けて、彼は命を取られた。彼の時代の誰が思い巡らしたであろうか。わたしの民の背きのゆえに、彼が神の手にかかり、命ある者の地から断たれたことを。彼は不法を働かず、その口に偽りもなかったのに。その墓は神に逆らう者と共にされ、富める者と共に葬られた。病に苦しむこの人を打ち砕こうと主は望まれ、彼は自らを償いの献げ物とした。彼は、子孫が末永く続くのを見る。主の望まれることは、彼の手によって成し遂げられる。
イザヤ書53章6~10節


 その翌日、ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。『わたしの後から一人の人が来られる。その方はわたしにまさる。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。わたしはこの方を知らなかった。しかし、この方がイスラエルに現れるために、わたしは、水で洗礼を授けに来た。」そしてヨハネは証しした。「わたしは、“霊”が鳩のように天から降って、この方の上にとどまるのを見た。わたしはこの方を知らなかった。しかし、水で洗礼を授けるためにわたしをお遣わしになった方が、『“霊”が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が、聖霊によって洗礼を授ける人である』とわたしに言われた。わたしはそれを見た。だから、この方こそ神の子であると証ししたのである。」
ヨハネによる福音書1章29~34節


(1)神の計画
 今日わたしたちはアドベントの第1週を迎えましたので、礼拝において洗礼者ヨハネのことを考え、神様の救いのご計画を改めて心に深く受け止めたいと願います。
 神様は神の御子イエスを救い主として、この世界に遣わすため、最初にイスラエルの民を選らばれました。それは全く一方的な神の愛による選びであり、イスラエルの価値によるのではありません。それゆえ神は民の歴史を愛によって支配し、救いへと導いて来られたのです。
 神様が最初にアブラハムを選び、アブラハムを世界の諸民族の祝福の基とすると約束されたのは、キリスト降誕の約1800年前のことです。
 次にモーセを選びイスラエルをエジプトの奴隷から解放し、パレスティナにイスラエルの領土を与え、礼拝の仕方と生活を規定した律法を与えられたのは、西暦前の約1500年です。
 ダビデがイスラエルの王となったのは、西暦前1000年頃です。さらにイスラエルはアッシリヤ帝国に侵略され、次に勃興したバビロニヤ帝国によって国家が滅亡し、民はバビロンに連行され、捕囚の民となりました。その時期は西暦前約700年から550年で、多くの預言者が活動した時代です。再び捕囚から解放されたのは西暦前530年代です。
 従いまして、アブラハムから数えると、実に1800年に渡るイスラエルの長い歴史の浮き沈みを経て、神の救いは実現しました。そのため神様は終始一貫して愛と真実を持って行動されました。
 ついに、神の定められた時が満ちて、救い主が到来されたとき、洗礼者ヨハネが最後の預言者として登場しました。

(2)神の声
 当時、洗礼者ヨハネから強い霊的なインパクトを受けたイスラエルの人たちは、彼に大きな期待を寄せ、彼を偉大な預言者だと考えました。さらに、もしかしたら彼こそ約束されていた救い主ではないかと考える人もいました。
 本日の聖書の箇所のヨハネによる福音書1章19節で、彼らは「あなたはどなたですか」と尋ねた、と記されています。
 そのとき洗礼者ヨハネはイスラエルの人たちに、はっきりと「わたしはメシアではない」と公言しました。それでも彼らは「あなたはあの預言者ですか」と聞いたのは、旧約聖書の偉大な預言者たちの一人が再来したと考えていたことを示しています。この質問に対する洗礼者の返答は、実に驚くべき内容です。
 洗礼者ヨハネは、ここで預言者イザヤの言葉を引用して、「わたしは『主の道をまっすぐにせよ』という荒れ野で叫ぶ声である。」と答えたのです。この預言は有名な第二イザヤ40章3節の言葉です。
 しかし洗礼者の答えは、自分が第二イザヤの再来であると意味ではありません。そうではなく第二イザヤが神の御前で「主のために、荒れ野に道を備え、わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。」という叫び声を聞いた「その声」であるというのです。
 つまり、自分はキリスト到来の550年前に第二イザヤが「神の御前で聞いた声」そのものである、と言いました。
 従いまして、洗礼者ヨハネは旧約聖書の預言者たちが既に語った預言を総括し、その中心的な言葉が今この時に成就していると宣言したのです。
 これはまことに驚くべき事柄です。ここに神様が洗礼者ヨハネを遣わされた重大な意義があります。

(3)悔い改めの運動
 それでは荒れ野に道を備えるため、洗礼者ヨハネはどのような活動をしたのでしょうか。
 一つは、神様が民を直接に統治される神の国が今や間近に迫っているという終末的状況を力強く証言し、真の信仰を喚起したことです。
 一つは、救い主の到来を受け入れる用意として、悔い改めの霊的な運動を起こしたことです。

 マルコによる福音書1:4~5で次のように伝えられています。
 「洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。ユダヤの全地方とエルサレムの住民は皆、ヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。」
 この短い説明により、ヨハネの運動がイスラエルの民衆の間に、大きな感化を及ぼし、信仰の覚醒をもたらしたことが分かります。
 それは自分の罪を告白し、罪の償いをなすことにより、神から赦しを得、神の国に招き入れられるというのではありません。罪の償いを自分ですることによる赦しであるならば、それほどの霊的覚醒をもたらすことはなかったでしょう。そうではなく、救い主が神の側から罪の赦しをもって到来され、罪人の中に神ご自身が臨在されるという恵みが宣言されたのです。
 悔い改めの洗礼は、罪の赦しを与えられて神の国に招き入れられる者が、その恵みに応答することであり、それは神への感謝の献身を表しています。従って、ヨハネの洗礼は第二イザヤが預言した「罪の赦しの福音」の喜びと一致しています。
 しかし、ヨハネの洗礼はそれ自体で霊的な意味を持っているのではありません。そうではなくその洗礼はキリストと不可分離に結びつき、キリストの到来によって初めて意味を持つのです。この点について、ヨハネはマルコによる福音書の1章7節で言っています。
 「私より優れた方が、後から来られる。わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない。わたしは水であなたたちに洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる。」
 「罪の赦し」が「神への献身に先行」し、神への献身が神の国での「新しい生き方」であるということは、神が罪人を赦し、罪人の中に「臨在」され、神として働かれるという途方もない大きい恵みです。
 それゆえ旧約聖書が預言している神の救いが何であるかを、わたしたちははっきりと認識する必要があります。それは神が罪の赦しをもって、「人間の心の中」に、「聖霊」を与え、同時に神ご自身が人間の中に「臨在」され、神として人間の中に働かれるという人智を超えた有難い恵みです。このことについて、イザヤ書44章3節ははっきり語っています。
 「わたしは乾いている地に水を注ぎ、乾いている土地に流れを与える。あなたの子孫にわたしの霊を注ぎ、あなたの末にわたしの祝福を与える。」
 ここで神は明らかにイスラエルのために「わたしの霊」、すなわち「聖霊」を与えると仰せになりました。
 この神の救いの約束が、今やキリストによって成就することを、洗礼者ヨハネは証ししました。すなわち、ヨハネは自分の後から来られるキリストによる洗礼が、聖霊による洗礼であると証しています。そういう意味で、ヨハネは『わたしは水であなたたちに洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる。』と語ったのです。

(4)イエスとの出会い
 次に、ヨハネの活動の中心は彼自身が主イエスと出会ったことです。このことはわたしたちクリスチャンにとりまして非常に重要です。
 そもそもヨハネはイエスと出会う以前は、イエスと全く面識がありませんでした。ところがヨハネが悔い改めの洗礼運動を始めましたとき、イエスの方からヨハネのところに来られて、ヨハネから洗礼を受けられたのです。
 考えてみますと、この二人が出会ったのは神様が引き合わせてくださった出来事であることが分かります。これほど感動的な出会いは他にありません。以前二人は別々のところにいて、直接の交流はありませんでしたが、二人はそれぞれの立場で神の救いの事業とかかわっていたので、「時が満ちて」出会ったのです。この出会いは神様の導きにより起こったのであり、まことに驚くべき神的な出来事です。
 マタイによる福音書3章14節で、イエスがヨハネから洗礼を受けようとされたとき、ヨハネは直観により、イエスが自分より優れた方であることを知りイエスに受洗を思いとどまらせようとして、次のように言いました。
 「わたしこそ、あなたから洗礼を受けるべきなのに、あなたが、わたしのところへ来られたのですか。」
 しかし、イエスは「今は、止めないでほしい。正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです。」と言って、ヨハネから洗礼を受けられました。
 先ほども説明いたしましたように、悔い改めの洗礼は、神によって自分の罪が赦された者が、自分を神に献げることでした。それなのに、救い主である方がどうして洗礼を受けられる必要があるだろうかとヨハネは考えたのです。この点でイエスの受洗はヨハネに理解できませんでした。
 しかし、わたしたち救われる者にとっては、このことが最も重要です。なぜならば、罪のない神の御子イエスが、受洗されたことにより、ご自身をわたしたちと一つに結び合わせ、わたしたちの罪を担い、わたしたちに代わって罪を告白し、わたしたちに代わってイエス様が罪のために死なれたのです。
 この死を通して、神の子イエスは人類の罪を贖って下さったのです。罪人であるわたしたち人間は、罪を赦された者として、自分を神に献げるために洗礼を受けます。
 それに対して、神の御子イエスが洗礼を受けられたのは、わたしたちの罪が赦されるために、罪の全くないイエスが罪を贖う死を引き受けられることを意味しています。しかも罪に対する神の審判に対して完全な従順を果たすことを意味しています。言い換えればイエスの受洗はわたしたちのために、ご自身を与えられることを意味しています。
 それゆえ、わたしたちが主イエスの御名によって洗礼を受けるとき、わたしたちの罪が赦され、神の子と呼ばれる新しい人間にされるという人智を超えた神の救いが与えられるのです。

 以上の意味で、洗礼者ヨハネが救い主の到来の道備えをする役割を果たましたのは、霊的な覚醒をイスラエルの民衆にもたらしたというだけにとどまらず、実にイエスご自身がヨハネのもとに来られて洗礼を受けられるためでした。
 なぜならば、そのことによって救い主としてのイエスの公生涯が開始される第一歩となったからです。
 このとき、ヨハネはイエスこそ神から使わされた人類の救い主であることを確信しました。その様子を福音書は語っています。
 イエスが受洗された時、天から聖霊が鳩のようにイエスの上に降ったのですが、この出来事をヨハネは目撃しました。実にこの神的出来事を見たのは、主イエスご自身と洗礼者ヨハネだけです。
 マルコによる福音書1:10~11は次にように伝えています。
 「水から上がるとすぐ、天が裂けて霊が鳩のようにご自分に降ってくるのを、ご覧になった。すると、『あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者』という声が、天から聞こえた。」
 天からの御声はイエスにだけ聞こえました。それはイエスが幼い時から天の父なる神と親しい交わりの中で過ごし、自分が神の御子であるという自覚がイエスの中で芽生え、次第に明瞭になっていたのですが、公生涯を始めるに際して、父なる神が啓示によってイエスの自覚に答えられました。この啓示はイエスの生涯にとって最も重大な出来事です。
 この場面に洗礼者ヨハネは共にいて、自分がその証人となるべき救い主は神の御子イエスであることを、このとき初めて知ったのです。

(5)この人を見よ
 旧約聖書の最後の預言者である洗礼者ヨハネは御子イエスと出会い、「聖霊の働きである信仰」をもって、イエスが神の御子であり、人類の救い主であると信じました。この出会いは正に一期一会の出会いとして、そこに永遠の意味と神の働きがあったのです。
 預言者ヨハネは実に大きな霊的賜物を備えた信仰者でありましたが、自分を少しも誇らず、主イエスの御顔に照り輝く光を覆い隠すことがないように、自分を無にして、救い主を証することに徹しました。彼は自分の全存在を荒れ野で叫ぶ「声」とし、また主イエスを指し示す「指」としたのです。
 イエスが洗礼者ヨハネから洗礼を受けられた翌日、再びヨハネのもとに来られるのを見て、ヨハネは自分の二人の弟子に証ししました。
 「見よ、世の罪を取り除く神の子羊」(ヨハネ1:29)と言いました。「神の子羊」とは「十字架の死の犠牲」によって人類の罪を贖い、罪を取り去られた神の御子イエスを意味しています。
 洗礼者ヨハネの証しによって、ペトロの兄弟アンデレが最初にキリストの弟子となりました。もう一人はヨハネです。しかしこのヨハネは洗礼者ヨハネとは違います。
 このように、洗礼者ヨハネの使命は自分が「指」となって、地上に来られた神の御子が「イエス」であると指し示したことです。
 そのことによって、旧約聖書の預言の最高峰としての使命を果たしたのです。



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