2015-06-28(Sun)

心の平安 2015年6月28日の礼拝メッセージ

心の平安
中山弘隆牧師

 ハンナが主の御前であまりにも長く祈っているので、エリは彼女の口もとを注意して見た。ハンナは心のうちで祈っていて、唇は動いていたが声は聞こえなかった。エリは彼女が酒に酔っているのだと思い、彼女に言った。「いつまで酔っているのか。酔いをさましてきなさい。」ハンナは答えた。「いいえ、祭司様、違います。わたしは深い悩みを持った女です。ぶどう酒も強い酒も飲んではおりません。ただ、主の御前に心からの願いを注ぎ出しておりました。はしためを堕落した女だと誤解なさらないでください。今まで祈っていたのは、訴えたいこと、苦しいことが多くあるからです。」そこでエリは、「安心して帰りなさい。イスラエルの神が、あなたの乞い願うことをかなえてくださるように」と答えた。ハンナは、「はしためが御厚意を得ますように」と言ってそこを離れた。それから食事をしたが、彼女の表情はもはや前のようではなかった。
サムエル記上1章12~18節

 「わたしはこれらのことを、たとえを用いて話してきた。もはやたとえによらず、はっきり父について知らせる時が来る。その日には、あなたがたはわたしの名によって願うことになる。わたしがあなたがたのために父に願ってあげる、とは言わない。父御自身が、あなたがたを愛しておられるのである。あなたがたが、わたしを愛し、わたしが神のもとから出て来たことを信じたからである。わたしは父のもとから出て、世に来たが、今、世を去って、父のもとに行く。」弟子たちは言った。「今は、はっきりとお話しになり、少しもたとえを用いられません。あなたが何でもご存じで、だれもお尋ねする必要のないことが、今、分かりました。これによって、あなたが神のもとから来られたと、わたしたちは信じます。」イエスはお答えになった。「今ようやく、信じるようになったのか。だが、あなたがたが散らされて自分の家に帰ってしまい、わたしをひとりきりにする時が来る。いや、既に来ている。しかし、わたしはひとりではない。父が、共にいてくださるからだ。これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」
ヨハネによる福音書16章25~33節


(1)祈りによる神との出会い
 本日の聖書の箇所は、旧約聖書時代に預言者として、神に召されたサムエルの誕生に関する物語であります。
 当時イスラエルの社会的、政治的な制度は王が民を統治する王制ではありませんでした。イスラエルは神様が社会的、政治的な面でも民を支配される特有の政治形態でした。それは神様がモーセに律法の中で命じられた制度であり、具体的にはイスラエルの12の部族が、年に何度か神殿に集まり、礼拝を献げ、そのとき祭司が礼拝に集まる民に律法を教えることによってなされました。つまり、神殿の祭儀を中心とした12部族の連合体がイスラエルの民であり、言い換えれば民の行政制度でした。
 しかし、イスラエルの近隣諸国には王がいて、軍隊を持っており、しばしばイスラエルに侵入し、イスラエルの領土を奪うことが起こり、イスラエルの民は預言者サムエルのもとに来て、自分たちを守るために、王政を採用してほしいと強く要求したのです。それに対してサムエルは神の直接的な支配による部族連合体を維持することが神の御心であるとして、王政に反対しました。しかし神様はサムエルに民の要望を受け入れるようにと命じられましたので、サムエルはサウルを初代の王として油を注ぎました。 
 けれどもサウロ王は神の御心に従いませんでしたので、神はサウロを退け、ダビデを選び、サムエルに命じてダビデに油を注がせられ、その結果イスラエルにダビデ王朝が誕生することになりました。
 少し、前置きが長くなりましたが、本日の聖書の箇所は預言者サムエルの誕生に関する話であり、エルカナの妻ハンナが神に自分に男の子を授けて下さいと涙ながらに祈ったことが記されています。エルカナには二人の妻があり、もう一人の妻ペニナは息子たちや娘たちに恵まれていました。古代社会は一夫多妻制でありましたから、妻たちの争いが悩みの種となる場合も多々ありました。ハンナは子供が生まれないと言う理由で、ペニナに軽蔑され、ハンナに対する露骨な悪意ある態度に苦しめられていました。外から見れば平穏無事に暮らしている家庭でも、家庭内の人間関係が原因で、様々な悩みがあります。
 それでもエルカナの家族は神を信じる敬虔な家族でありましたので、シロの神殿に毎年参詣しました。神殿に入って神に感謝と祈願を表す犠牲の供え物を祭司によって祭壇に献げた後、神の御前で家族揃って食事をすることが神の恵みを体験する最高の喜びでした。そして最後に祭司の祝福の言葉を受けて家路についたのです。この神殿における礼拝がイスラエルの民の信仰生活の中心となっていました。
 それにしても、ハンナの悩みは大きく、神の御前で一緒にする家族の食事のときも泣いて何も食べませんでした。食事のときが終わるとすぐにハンナは祭壇の前に行って、泣きながら祈ったのです。この事は1:10に記してあります。
 「ハンナは悩み嘆いて主に祈り、激しく泣いた。そして、誓いを立てて言った。『万軍の主よ、はしための苦しみをご覧ください。はしために御心を留め、忘れることなく、男の子をお授けくださいますなら、その子の一生を主におささげし、その子の頭には決して剃刀を当てません。』」
 ここで生まれる子の頭の毛を決して剃らないと言うのは、ナジル人と呼ばれていますが、民数記6章の律法に定められています。特別の誓願をして神に献げられた人であり、酒は少しも飲まず、頭の毛は剃らないことが命じられています。サムエルの場合は生まれる以前に母親によって献げられましたので、生涯に渡ってナザレ人とされました。
 ハンナはこのように自分の悩みのすべてを神に打ち明け、神の助けを祈ったのです。それは声を出さないで長い間、唇だけを動かして祈りました。そばにいてハンナの様子に注目していた祭司エリは彼女が酒に酔っているのだと勘違いし、「いつまで酔っているのか。酔いをさましなさい。」と勧告したほどハンナは祈りに熱中しました。
 そこで、彼女は「祭司様、わたしは深い悩みを持った女です。ぶどう酒も強い酒も飲んでおりません。ただ、主の御前に心からの願いを注ぎだしておりました。」(1:15)と答えました。この言葉を聞いて、祭司エリはハンナが本当に信仰をもって神に祈り、祈りを通して神との交わりを与えられていたのだと、悟ったのです。それゆえ「安心して帰りなさい。イスラエルの神が、あなたの乞い願うことをかなえてくださるように」と彼女を祝福しました。
 「それからハンナは食事をしたが、彼女の表情はもはや前のようではなかった。」と聖書は伝えています(1:18)。
 このように彼女は神様に祈り求めることによって、生ける神ご自身と出会ったのです。そして神様はわたしの祈りを聞いていてくださると感じ、その場で神の御心は自分の思いを遥かに超えた聖なる意志であることを知り、神の御心が自分の中に実現することが、自分の本当の生きる意味であり、一番幸いなことであると悟りました。 
 そして、わたしに男の子を授けてくださるならば、その子をナジル人として神様に献げようとそのとき決心し、そのことを神様に申し上げたのです。するとどうでしょうか。途端に彼女の心は平安と慰めに満たされました。
 再び元の生活へ戻って行きましたが、最早以前の暗い気持ちは消え去り、神様の御心が実現することを信じながら、神に従っていく彼女の心は常に明るく輝いたのです。
 このように彼女は人間の目には見えない主なる神様と祈りにおいて対面し、恵み深い神の霊的現実に生かされることを体験しました。実にその体験が彼女のそれ以後の歩みを決定したのです。
 人生の危機において、人は誰でも、恐れ悩むのですが、神様はすべてをご存知で、御自分の方から危機に遭遇し悩んでいる者と出会い、神の御心と性質と力と働きを示されます。そして神は御自分がすべての人間の救い主であることを示し、神の導きに従い、御心を行うようにと命じられるのです。正にその神との出会いと命令が人の生涯を決定するのです。
 また、明治の初めにアメリカ合衆国から日本に来て、キリストの福音を伝えるために、そして日本人が神の救いに与るために、全生涯を献げた宣教師バラ夫妻がいます。バラは29歳、夫人は20歳のとき、ニュークを出航し、アフリカの喜望峰を回って、インド洋に出て、中国の上海に到着しました。そこから乗客45人、船員89人の帆前船に乗り換え、日本を目指して航海しましたが、紀州灘で嵐に遭遇し、船は沈没しそうになりました。
 暴風が荒れ狂い、船内は方々で叫び声と悲鳴が上がるパニック状態に陥りましたが、バラは一日中飲み食いせずに、ひたすら詩編107篇28~31節の御言葉を思い起こし、沈思黙考しました。
 その御言葉は、「苦難の中から主に助けを求めて叫ぶと、主は彼らを苦しみから導き出された。主は嵐に働きかけて沈黙させられたので、波はおさまった。彼らは波が静まったのを喜び祝い、望みの港に導かれて行った。主に感謝せよ。主は慈しみ深く、人の子らに驚くべき御業を成し遂げられる。」という神への賛美です。
 バラは思いました。自分はこのまま死んでも構わないが、自分たちを送り出した改革派教会の伝道局の企画が挫折することを心配し、バラはひたすら祈ったのです。
 「神よ、この船が恙なく航海できるようにしてください。もし無事に横浜港に着岸できれば、わたしは誓って、身命を惜しまず、忠実に励んで、福音伝道の使命を全うします。」と必死に祈りました。
 その後40年を経た記念会で、彼は言っています。神様がこの誓いを果たさせるために、わたしを紀州灘で救ってくださいました。しかし40年を経ても、今までのことを顧みると、当時の誓いを自分の信仰と愛の業が未熟なため、頓挫した企画もあり、その志を果たすには至っていません。このことを思うと恥じ入る汗が背中を流れる思いですと、述べています。
 夫人は48年間も日本のために尽くし、69歳で天に召され、その墓は日本にあります。しかしその後もバラ宣教師は活躍し、全部で60年間日本の伝道のために尽くされました。牧師として礼拝の説教と牧会とそして伝道のために各地に出かけ、89歳の生涯を終え、天に召されました。
 このバラ宣教師の生涯は、紀州灘で嵐に遭遇し、死に直面する危機の中で、聖書の御言葉と祈りによって、生ける神であるキリストと出会ったことがその基盤となっています。
 バラ宣教師はキリストの義と命と力に満ちた霊的現実に生かされているのと同様に、日本人がキリストを信じ、それぞれの魂がキリストの物とされ、キリストに属する者となり、キリストの義と聖と命、そして神の愛に生きるようになるために、生涯を献げたのです。
 
(2)キリストの平和
 最後にキリストは弟子たちに語られました。本日の聖書の箇所、ヨハネによる福音書16:33で次のように仰せになっています。
 「これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」
 ここで、主イエス・キリストはこれらのことを話したのは、「あなたがたがわたしによって平和を得るためである。」と仰せられました。 
 ここで重要なことは、キリストの平和とは、わたしたちが平穏無事に暮らせると言う意味ではありません。なぜならば、「あなたがたは世では苦難がある。」と仰せになっているように、クリスチャンはこの世で暮らしている間は様々な困難、試練、苦しみに遭遇します。しかし、その危機に際しても、キリストによって平和が与えられるのです。苦難に打ち勝つ心の平和が与えられると言う意味です。
 その理由は実に復活のキリストがわたしたちの中に住み、働いてくださるからです。キリストは、既に世に打ち勝った方として、わたしたちの内に働いておられるからです。ここで、「世」と呼ばれている勢力は神に反抗し、罪人を自分に隷属させる悪の力です。この悪の力に対して勝利されたキリストの勝利とは、神の御子キリストが人間として父なる神の意思に完全に従われた点にあります。
 特にキリストが人類の罪を自らの上に担い、人類に代わって人類の罪のために裁かれ、裁きを通して人間を救い、新しい人間とするという神の永遠の目的が御子キリストにおいて達成したことです。ここに救いの根拠があります。キリストこそ「救いの岩」なのです。
 それゆえ、ヨハネによる福音はキリストこそ「神の真理」であると言っています。真理とは神がご自身の性質に対してどこまでも忠実に人間の問題を処理し、人間を救うとする神の意思がキリストにおいて貫徹したことです。またこの事をパウロは神の義がキリストにおいて啓示され、キリストは神の御前に生きる人間のための義となられたと言っています。
 他方、この世の力、神に反抗する罪の勢力はキリストによって、打ち破られましたが、罪そのものが滅ぼされたのではなく、人間を支配する罪の支配権が取り去られたのです。従いまして、罪はまだわたしたちの内に働きますが、わたしたちはキリストによって、罪の誘惑と戦い、罪に打ち勝つ力が与えられているのです。そこに、わたしたちが勇気を出して逞しく生きる秘訣があります。
 ところで、復活の主キリストは今や神として働いておられますので、わたしたちの目には見えません。しかし、神であるキリストはご自身の存在、すなわち神の御子としてのパーソンの中に、ナザレのイエスとなられた歴史的な人間性を持っておられる方なのです。 
 それゆえ、神の御子キリストが地上の人生で語り、行動されたことが、今や永遠に変わらない「神の言葉」となりました。正にその神の言葉を通して、復活の主イエスがわたしたちと出会い、わたしたちを導いておられます。
 しかし、このことも人間の目に見えない神的現実でありますので、キリストは聖霊をわたしたちに与え、聖霊がキリストの言動をわしたちに理解させ、聖霊がキリストの義と命を与え、わたしたちの中にキリストの真理が実現するようにしてくださるのです。
 それゆえ復活のキリストは聖霊と共に働き、わたしたちを導いておられます。このことがわたしたちに世の困難に打ち勝つ平安を与えるのです。
 そのようなキリストの平安とは、視点を変えれば、キリストの十字架の死において啓示された神の愛が、罪人を救う贖罪愛として、クリスチャンの中に働いていることです。その確かさがキリストの与えられる平安です。神はキリストにおいて、人間を愛し、人間を神ご自身との人格的な交わりの相手とされたことが、人間が神から愛されていることに他ならないのです。
 この事の確かさをヨハネによる福音書は父なる神と御子なるキリストが共に、神としてクリスチャンの中に内在し、働いておられることによるのだ、と言っています。
 キリストは次のように仰せられました。「わたしを愛する人はわたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。」(ヨハネ14:23)
 それゆえ、わたしたちはどんなことがあっても神の愛から切り離されることはないと言う確信が、この世に勝利を与えます。 



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