2015-01-25(Sun)

神の国の祝宴 2015年1月25日の礼拝メッセージ

神の国の祝宴
中山弘隆牧師

 モーセは主に言った。「主よ、すべての肉なるものに霊を与えられる神よ、どうかこの共同体を指揮する人を任命し、彼らを率いて出陣し、彼らを率いて凱旋し、進ませ、また連れ戻す者とし、主の共同体を飼う者のいない羊の群れのようにしないでください。」
民数記27章15~17節


 イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた。そのうち、時もだいぶたったので、弟子たちがイエスのそばに来て言った。「ここは人里離れた所で、時間もだいぶたちました。人々を解散させてください。そうすれば、自分で周りの里や村へ、何か食べる物を買いに行くでしょう。」これに対してイエスは、「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」とお答えになった。弟子たちは、「わたしたちが二百デナリオンものパンを買って来て、みんなに食べさせるのですか」と言った。イエスは言われた。「パンは幾つあるのか。見て来なさい。」弟子たちは確かめて来て、言った。「五つあります。それに魚が二匹です。」そこで、イエスは弟子たちに、皆を組に分けて、青草の上に座らせるようにお命じになった。人々は、百人、五十人ずつまとまって腰を下ろした。
マルコによる福音書6章34~40節


(1)神の国
 本日の聖書の箇所マルコ6:30では次にように書いてあります。
 「さて、使徒たちはイエスの所に集まって来て、自分たちが行ったことや教えたことを残らず報告した。」
 この箇所の前提は、イエスが弟子たちを神の国の宣教に派遣されたことですが、先ずイエスは弟子たちの中から12人を選んで、神の国宣教のための使徒とされたことから始まっています。
 3:13~15に記されていますように、選ばれた12人を「使徒」と名付け、「彼らを自分のそばに置くため、また、派遣して宣教させ、悪霊を追い出す権能を持たせるためであった。」と使徒たちの任務が説明されています。
 使徒たちの使命は、第一に、「イエスのそばに」いて、イエスの言葉と行動の一部始終を見、イエスを通して神が語り、実行される出来事の「証人」となるためでした。このことからも分かりますように、「神の啓示」はイエスの公生涯を通して最終決定的に生起した「一回限り」の「歴史的な出来事」でありますので、その出来事の証人として使徒たちが果たす使命は非常の大きいのです。
 第二に、使徒たちの使命は「神の国」を宣教することです。そのため御子イエスは彼らを派遣されるのです。
 それゆえ使徒たちが派遣されたことは、6:7に記されています。イエスは使徒たちを二人ずつ組みにして宣教に遣わされました。
 ところで、父・子・聖霊の三位一体の神の御子が人間となられたイエスこそ、人類の救い主として神のもとから遣わされた方です。そこで救い主の使命は何であったかと言えば、「神の国の実現」です。
 「神の国」とは要約すれば神が人間に与えられた「救い」でありますが、しかし神の国の意味は、第一に人間に対する恵み深い神の支配です。すなわち、神が人間にご自身を啓示し、人間を罪から贖い、人間に神の霊的生命を与えたれるので、人間が喜んで、自発的に神に従い、神の御心を実行するようになることです。
 第二に、そのような人間に対する神の支配と恵みとが働く場所、人間が神の御前で永遠に生きる場所が神の国です。
 この点に関しまして、マルコによる福音書は冒頭で次のように記しています。「神の子イエス・キリストの福音の初め」(1:1)
 この簡潔な言葉から分かりますことは、「神の国」とは「神の子イエス・キリストの福音」が語っている「霊的現実」であり、御子イエス・キリストによって建設された国であると言うことです。

(2)神の国は近づいた
 次に、「救い主」としての公生涯に入られた御子イエスの宣教の内容が1:14~15に記されています。
 「ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べて、『時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい』と言われた。」
 これから分かりますことは、神の国は「到来した」のではなく、到来することが「間近に迫っている」ということです。
 しかしこれは旧約聖書の救いの歴史が開始されてから2千年以上も経過したとき、初めてこのような状況に至ってのですから、救いの時は「満ちた」のです。それゆえ、イエスは時が満ち、神の国は近づいたから、悔い改めて「神の国の福音」を信じなさいと、イエスの宣教を聞く人たちに「信仰」を要求されました。
 さらに「時が満ちた」ということは、神の遣わされた人類の救い主イエス・キリストがすでに公生涯を開始されたと言うことと密接に関係しています。なぜならば、神の国はすでに「御子イエスの中に」存在しているからです。
 しかし、それは父・子・聖霊の交わりの中に存在される「御子のパーソン」がマリアから「人間性」を自らの上に取り入れ、人間となられたと言う「受肉の神秘」に属する事柄です。イエスの人間性の主体と自覚は誕生の当初から神である子のパーソンの自覚でありますので、イエスの人間性は誕生の時から、父なる神がイエスの人格の中に内在し、神はイエスの父であり、イエスは神の子であると言う自覚が、誕生の当初から芽生えました。  
 そのような「父・子の交わり」の中で成長し、救い主の公生涯を始まられたイエスの中に、既に神の国は存在していたのです。
 従いまして、イエスは神の国の到来について、次のように仰せられました。
 「神の国は、見える形では来ない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」(ルカ17:21)
 神の国はあなたがたの間にあるのだ、という「間」を意味するギリシャ語は「エントス」ですが、あなたがたの「中」にあるというギリシャ語の「エン」とは意味が違います。この区別は非常の重要です。というのも、間という言葉は御子イエスがわたしたち人間の間を行き来しておられる状況において、イエスが神の国は既に「わたし」の中に「存在する」のだ。それゆえ、こういう仕方で「あなたがたの間にあるのだ」と仰せられたからです。
 従いまして、神の国が近づいていますが、未だ神の国は開始していませんでした。それゆえ神の国が開始するためには、御子イエスが十字架の死によって人類の罪を贖い、父なる神が御子イエスを復活させ、天地万物の主とされることが必要でした。
 その時に初めて、「聖霊」が信仰者に与えられるのです。聖霊を通して神の国は「信仰者の中」に存在するようになるのです。視点を変えれば、聖霊によって信仰者がイエスの支配される「神の国の中」に入れられるのです。そのようにして神の国は「開始する」のです。
 このような状況の中で、イエスは差し迫っている「神の国」に生きる信仰者の生き方について教えておられます。それだけでなく、イエス自らその教えを実行しておられる方として教えておられます。この点がユダヤ教の律法学者とは異なり、イエスの特異性であり、イエスが救い主であるという証拠です。
 また、神の国について、イエスは多くの譬え話をしておられます。マタイによる福音書22:1~14では天国を「婚宴」として語っておられます。
 天国は、ある王が王子のために婚宴を催したのに似ていると、教えられました。王とは父なる神であり、王子とは御子イエスであり、花嫁とは教会であり、招かれた者たちとは御子イエスの救いを受けた人たちであり、従って花嫁と同じ意味です。これは譬え話ですから、文字通りに解釈できませんが、救われた者たちは神の国で神の永遠の命を享受する祝宴に与ることを表しています。

(3)五千人の給食
 さて、話を最初に戻しますと、イエスは神の国の宣教から戻った使徒たちを休養させるために、ガリラヤ湖の対岸にある山地の寂しい所に、船で行かれました。しかし、それを知った群衆はイエスの一行が到着する前、すでにそこに五千人も群衆が集まっていました。というのも彼らはイエスが神の国を宣教しておられるとき、多くの病人たちが癒された神の力を見たからです。このときの様子がマルコ6:34に記されています。
 「イエスは船から上がり、大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた。」
 神から離れ、悲惨な状況の中で、慰めも希望もない群衆を深く憐れみ、神の愛をもって、神の救いを語り、神の国について教えられました。
 その内にかなりの時間が経過しましたので、弟子たちは群衆が自分で里や村に行って何か食べ物を買うことができるように、今すぐ群衆を解散させてくださいとイエスにお願いしました。
 それに対してイエスは弟子たちに「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」と仰せになりましたが、弟子たちがそれは無理ですと答えると、弟子たちの持っている「五つのパン」と「二匹の魚」をイエスのもとに持って来させ、弟子たちに命じて、群衆を組に分け、青草の上に座らせられました。
 それから、イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて、弟子たちに渡して配らせ、二匹の魚も同様にされました。
 その時、驚くべきことに五千人の人々が食べて満腹したのです。これは正に奇跡です。パンの屑と魚の残りを集めると12の籠に一杯になりました。これは一体どういうことでしょうか。実際に起こったことなのでしょうか。誇張されたり、脚色されたりしていないでしょうか。或いはそこで起こったことは精神的な別のことなのでしょうか。
 この点で解釈者たちの意見は分かれるのですが、この出来事はマルコ、マタイ、ルカ、ヨハネの四福音書が伝えていますので、創作した物語ではなく、史実であることは確かです。そして神の御子イエス・キリストの福音と本質的に関係していることも確かです。
 これは御子イエス・キリストが神の力をもって行われた「預言者の象徴行為」と解釈するのが、最もふさわしい解釈であると思います。旧約聖書の預言者たちは神の言葉を語るとき、象徴的な行為を行いました。例えばエレミヤ書18~19章が伝えているように、預言者エレミヤは、人々の見ている前で、陶器の壺を砕き、このように神は背信の民イスラエルとエルサレムを破滅させられると預言しました。これはエレミヤが自分で考えた演出ではなく、神はそのように行動し、語れとエレミヤに命じられたのです。それゆえ、預言者の象徴行為は必ず実現するのです。
 イエスの場合も、同様に神の力が働いて、五つのパンと二匹の魚を分配した時、五千人の人々が満腹するほど十分に食べたのです。
 同時に、ここで象徴されている霊的な事柄は、神の国で人々が享受する命は「神の生命」であり、御子イエスの中に働いた生命であり、イエスの復活により、永遠の生命として今や主イエスの中に働いている復活の生命なのです。
 従いまして、この五千人の給食は、神の国の祝宴の象徴であると同時に、また聖餐式の象徴であります。
 聖餐式はマルコによる福音書14:22~25に記されているように主の晩餐で、イエスがパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えて、「取りなさい。これはわたしの体である。」と仰せられました。また杯も同様にして、「これは、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。」と仰せになりました。
 今わたしたちが聖餐式において体験することはイエスの救いに与っていることが確証されることです。御子イエス・キリストが人類の罪の贖いとしてご自身を犠牲にされ、ご自身を人類に与えられたことによる人類の救いの恵みに与ることです。
 事実、聖餐式において、復活の主イエスがその場に臨在され、聖霊を通して、ご自身の復活の命を信仰者に分配されるのです。
 このように、今や主イエス・キリストが支配しておられる神の国で、信仰者は聖霊を通して主イエスの復活の命を受け、主イエスの御声に従い、神に仕え、信仰者が互いに愛し合うことによって、生きるが可能となりました。
 それに対して、イエスが五千人の群衆に供食を与え、神の国の祝宴の預言者的な象徴行為をされたことは、主の晩餐、さらに今日教会で行っている聖餐式につながっています。そしてそれらを一貫して、主イエスの十字架の死による人類の罪の贖いが示されています。

(4)御子イエスの使命感
 実に既に御子イエスの中にある神の国を、この世界で開始するために、すなわち、主イエスを信じる者たちを神の国の中に入れ、神の国で生きるようにするために、御子イエスは自己を犠牲にし、人類の罪を贖う使命があったのです。また、人間が神との交わりの中で生きるために必要な人間の義を達成する使命がありました。それゆえイエスは人類の罪に対する父なる神の審判を自らの上に引き受け、死の極みまで父なる神に従順であることが必要であったのです。
 このように明確な深い認識を御子イエスは持っておられ、自分に与えられた救い主の使命を果たすために、真っ直ぐに進んで行かれました。これがイエスの生涯を縦に貫いている使命感です。
 しかし、それに対する誘惑は多くありました。その一番大きな誘惑はイエスを政治的なメシアとして期待するイスラエルの民衆でした。この五千人の給食を体験した群衆は、イエスを政治的なメシアであると誤解し、イエスを自分たちの王として、軍事力によって、異教徒であるローマの支配からイスラエル民族を解放し、イスラエル民族を中心とした神の国を樹立しようとしたのです。
 このことはヨハネによる福音書6:14~15で伝えられています。「イエスは、人々が来て、自分を王とするために連れていかれようとしているのを知って、一人でまた山に退かれた。」と記しています。
 しかし、イエスは父なる神への徹底した信頼と従順により、それらの誘惑に打ち勝って使命を果たそうとしておられます。そこに御子としてのイエスの偉大さと尊さがあります。
 全く無私なる態度で父なる神に従い、他方無知で強欲な罪人をどこまでも愛し抜くイエスの姿が映し出されています。



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