2014-09-28(Sun)

聖霊の実を結ぶ 2014年9月28日の礼拝メッセージ

聖霊の実を結ぶ
中山弘隆牧師

 主は言われる。盛り上げよ、土を盛り上げて道を備えよ。わたしの民の道からつまずきとなる物を除け。高く、あがめられて、永遠にいまし、その名を聖と唱えられる方がこう言われる。わたしは、高く、聖なる所に住み、打ち砕かれて、へりくだる霊の人と共にあり。へりくだる霊の人に命を得させ、打ち砕かれた心の人に命を得させる。
イザヤ書57章14~15節


 兄弟たち、あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです。ただ、この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい。律法全体は、「隣人を自分のように愛しなさい」という一句によって全うされるからです。だが、互いにかみ合い、共食いしているのなら、互いに滅ぼされないように注意しなさい。わたしが言いたいのは、こういうことです。霊の導きに従って歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。肉の望むところは、霊に反し、霊の望むところは、肉に反するからです。肉と霊とが対立し合っているので、あなたがたは、自分のしたいと思うことができないのです。しかし、霊に導かれているなら、あなたがたは、律法の下にはいません。肉の業は明らかです。それは、姦淫、わいせつ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、怒り、利己心、不和、仲間争い、ねたみ、泥酔、酒宴、その他このたぐいのものです。以前言っておいたように、ここでも前もって言いますが、このようなことを行う者は、神の国を受け継ぐことはできません。これに対して、霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。これらを禁じる掟はありません。キリスト・イエスのものとなった人たちは、肉を欲情や欲望もろとも十字架につけてしまったのです。わたしたちは、霊の導きに従って生きているなら、霊の導きに従ってまた前進しましょう。うぬぼれて、互いに挑み合ったり、ねたみ合ったりするのはやめましょう。
ガラテヤの信徒への手紙5章13~26節


(1)福音の自由
 本日の聖書の箇所でありますガラテヤの信徒への手紙5章13節には、次のように記されています。
 「兄弟たち、あなたがたは、自由を得るために召されたのです。ただ、この自由を肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい。」
 この聖句は非常に短い言葉ですが、福音主義的信仰を見事に表しています。勿論この自由とは人は自分の欲するままに何をしても構わないという自由ではなく、人が神の御心に従って善い行いをするために、その障害となっている罪の束縛から解放されて、自ら進んで善い行いをすることができるという自由なのです。
 第一はユダヤ教の救いの教理からの解放です。
 ユダヤ教は、神様と律法を信じていますが、主イエスの救いを信じていません。従いまして、ユダヤ教では人間が神を信じて、律法を実行することによって救われると教えています。その際に人間は自分の意志と力とによって、律法を実行する者として、律法の実行は自分の功績になると主張しています。結局人は自分の功績によって救いを獲得するというのがユダヤ教の教えです。
 しかしユダヤ教においては、人間の罪が完全には解決されていないので、彼らが主張している自分たちの功績は神の御前には通用せず、彼らは依然として罪の束縛の中にとどまっていると言えます。
 それに対して、キリスト教は、ユダヤ教と同じく、唯一の神を信じています。しかし、唯一の神をユダヤ教の抽象的な神概念ではなく、神様が主イエスを通してご自身を啓示された事実に基づいて、唯一の神をご自身の内に父・子・聖霊の交わりを持っておられる神として信じています。神は決して孤独な神ではなく、ご自身の内に父・子・聖霊の交わりをもっておられる神様です。同時にこの交わりの中で父から出る神の意志と力とが唯一の意志と力として働いているのです。このような父・子・聖霊の交わりの中にある御子が人間となられた方をクリスチャンは主イエス・キリストと信じています。この点がユダヤ教と決定的に違います。
 つまり、クリスチャンは主イエス・キリストを信じて、聖霊を受け、聖霊を通して主イエス・キリストと結ばれ、主イエス・キリストの命と自由を与えられ、神の御心を行う者たちです。
 従いまして、クリスチャンが神の律法を行うのは、自分の功績を積むためではなく、キリストの恵みに感謝するために、喜びをもって行うのです。さらに神の律法とはユダヤ教のように個々の規則の集まりではなく、キリストが父なる神の御心に従って実行され、キリストご自身の行為で裏付けされ実証された本当の神様の命令です。
 第二はパウロがここで言っています「自由」とはキリスト教内に侵入してきているユダヤ教的な律法主義からの解放です。
 ユダヤ人で、主イエス・キリストを信じて、クリスチャンとなった者たちの中には、クリスチャンになっても、割礼を受け、ユダヤ教の律法を忠実に実行しなければ、救われないと言って、クリスチャンを惑わしました。それに対して、パウロはそのような扇動の弊害を取り除くために断固とした処置をとりました。
 5章の1~4節で次のように言っています。
 「ここで、わたしパウロはあなたがたに断言します。もし割礼を受けるならば、あなたがたにとってキリストは何の役にも立たない方になります。割礼を受ける人すべてに、もう一度はっきり言います。そういう人は律法全体を行う義務があるのです。律法によって義とされようとするなら、あなたがたはだれであろうと、キリストとは縁もゆかりもない者とされ、いただいた恵みも失います。」
 これは初代教会が直面した最初の大きな危機でした。このような信仰はキリスト教をユダヤ教の一派にしてしまう危険をはらんでいました。この危機の本質を、当時正確に見抜いた者は、使徒たちの間で、パウロです。以前、彼は熱心なユダヤ教徒であり、新進気鋭の若い律法学者として、キリスト教を迫害していたのですが、その最中に復活のキリストに出会って、キリストを信じ、直接キリストから福音宣教を命じられたのです。
 そのときパウロはキリストに敵対している自分が実に盲目的で罪深い者であるかを知り、キリストが自分に現れてくださったのは、律法の業を実行している自己の功績によってではなく、全く神の憐みであること、そして罪人に対する神の無限の愛によることを徹底的に知らされました。
 それゆえ彼は神の救いは純粋にキリストの恵みによることを確信したのです。

(2)律法の成就者であるキリスト
 それでは、キリストの福音は律法主義を廃止することによって、律法そのものを廃止したのでしょうか。否、そうではなく、正に神の命令としての本当の律法を成就するのです。
 「律法全体は、『隣人を自分のように愛しなさい』という一句によって全うされているからである。」(5:14)
 従って、クリスチャンは隣人を自分自身のように愛することによって律法を本当に実行するということになります。
 ところで、このパウロの確信の背景には主イエスの教えがあります。旧約聖書にしるされている律法は約360の禁止の規則と約250の肯定的な規則とがあり、全部で613の規則から成り立っていると言われています。そして正統主義的なユダヤ教の教理では613の律法は皆同じように重要で、その間に優劣の差はないというのです。この見方がユダヤ教を本質的に人間の業による戒律宗教にしています。それに対して、主イエスは個々の律法を、重要さの点で区別し、律法全体を一番大切な二つの律法に要約されました。このことはマルコによる福音書12:28に記されています。
 「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』
 第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はない。」
 ここで見逃してはならない点は、主イエスご自身が律法の成就者である、ということです。
 イエスは律法を与えられた神様の意志を完全に理解して、父なる神に完全に従われました。この意味でアダム以来のすべての人間の中で主イエスだけが律法の成就者なのです。
 それゆえ、律法の成就者である主イエスであればこそ、『隣人を自分のように愛しなさい。』という命令を言い換えて、『わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたは互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。』(ヨハネ15:12)と隣人愛の実践を内容的に規定されました。
 他方、「神の恵みの現実にそぐわないユダヤ教の儀式的な律法」を廃止されました。一つは安息日にいかなる労働もしてはいけないという律法解釈に挑戦して、安息日に病人を癒されました。もう一つは食事の前に手を洗う戒めを実行されませんでした。但し衛生的な面でなく、宗教的な面で手を洗わないことが、人を神のみ前に実際に汚れた者とするのではないと宣言されました。
 このように、主イエスは神の律法の成就者として、ユダヤ教の律法を乗り越え、それを本当の意味で実行されたので、ユダヤ教の律法を廃止されたのです。
 従いまして、クリスチャンが自由にされているということは、本当の意味で神の命令を実行された主イエスの意志と自由とを聖霊を通して自分の存在の中に受けて、クリスチャンは霊的な次元で生きるという意味です。
 プロテスタントの代表的な神学者カール・バルトは、クリスチャンはキリストの中に与えられている自由をこれまで自分で一度も使用したことがないので、自由を使用する勝手が分からない状況の中にある。それゆえ与えられている自由を使用するためにはどうしてもキリストの手引きが必要である。それゆえその手引きがキリストの命令であると教えています。
 この意味はキリストの命令が聖書に書かれた文字そのものではなく、聖書の言葉を聖霊によって理解するとき、信仰者はキリストの命令を自分の心に直接知らされるというのです。
 同じことをパウロは「文字は人を殺すが、霊は人を生かす。」(コリント二、3:6)と教えています。
 またキリストにある自由を別の視点から説明すれば、クリスチャンが隣人を愛するのは次のように言えます。
 キリストを信じることにより、キリストの中に既に自分に与えられている「新しい人間の性質」によって、クリスチャンは自ら進んで、喜んで、無報酬で、隣人を愛するのです。
 また宗教改革者カルヴァンも、律法はもはやクリスチャンを裁くのではなく、主イエスによって与えられた神の救いに感謝する生き方を教えている。それが律法の役目であると言っています。
 次に、ユダヤ教の律法は強制により、人間に善い業を行わせようとする目的を持っていますので、人間の負担をできるだけ軽減するため最小限の範囲での善い業しか規定していません。それに対して、聖霊によってキリストの思いが自分の思いとなる時、クリスチャンは規則の限界を越えて愛の業を行ないます。
 隣人への愛の義務を果たせば果たすほど、その義務は増して行きます。それでもキリストにある恵みにより、それを果たす大きな力を受けることができるのです。
 このことをパウロは「キリストの計り知られない富」(エフェソ3:8)、すなわち「無尽蔵の富」と言っています。従いましてキリストにある無尽蔵の富により、クリスチャンは大きな義務に押し潰されずに、実行することができたのです。

(3)聖霊に導かれる
 次に、5章16、17節でこのように言っています。
 「わたしが言いたいのは、こういうことです。霊の導きに従って歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。肉の望むところは、霊に反し、霊の望むところは、肉に反するからです。肉と霊とが対立しあっているので、あなた方は、自分がしたいと思うことができないのです。」
 ここでパウロはわたしたちが聖霊に従って生きるならば、肉の欲望を満足させる生き方はできなくなる、と言っています。ここでパウロの言う肉とは「肉体」という意味ではなく、「生まれながらの人間」のことを表しています。 
 従って聖霊に従うことは、聖霊を通してわたしたちの中に主イエスが働かれ、わたしたちは主イエスの思いを知り、主イエスの思いを自分の思いとして行動するということです。
 しかし、クリスチャンになっても肉の思いはクリスチャンが肉体を持っている限り、依然として残存しています。それはキリストの思いと同化していない自分の思いのことです。そこに葛藤があるのです。しかし聖霊の導きの中にある者は、最終的に聖霊によるキリストの思いがクリスチャンの思いと行動を決定します。
 従って、聖霊による愛の業は、自己の中に残存している罪の思いとの戦いなしにはあり得えません。この点をクリスチャンはよく自覚していることが必要です。

(4)隣人愛の生き様
 最後に隣人を自分自身のように愛することは、信仰者の中にある聖霊の働ですから、聖霊による隣人愛の具体的な生き様をパウロは聖霊の働きの果実と呼んでいます。
22節はこのように言っています。
 「これに対して、霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。これらを禁じる掟はありません。」
 これらは皆、人間の性質や道徳に関係している人格的な働きです。聖霊の働きの本領はわたしたちをキリストの性格に似るものへと変革し、向上させる道徳的な力と霊的生命として言い表されています。
 ここで列挙されている愛、平和、親切、善意、誠実、柔和、節制はすべてクリスチャンの中にキリストの姿を形成する聖霊の果実なのです。



スポンサーサイト
教会案内
〒354-0044
埼玉県入間郡三芳町北永井959-3
TEL・FAX:049-258-3766

牧 師:中山弘隆

創立日:1972年2月19日

最寄り駅
東武東上線 鶴瀬駅 西口
東武東上線 ふじみ野駅 西口
よりタクシーで10分
※駐車場完備

三芳教会へのバス利用方法

MAP
三芳教会の地図です
定例集会案内
●主日礼拝
  毎日曜日 10:30~12:00
●教会学校
  毎日曜日 9:15~9:40
●朝の祈祷会
  毎日曜日 9:45~10:10
●キリスト教入門講座
  毎日曜日 9:45~10:10
●マルタマリア会(婦人会)
  毎木曜日 10:30~
●マルタマリア会例会(婦人会)
  毎月第2主日礼拝後

毎木曜日の祈祷会は、2011年5月より、毎日曜日の朝の祈祷会に変更となりました。
三芳教会のご案内
●牧師紹介

●年間行事予定

●写真で見る三芳教会
最新記事
行事報告
● 江田めぐみ伝道師就任式
 (2012年7月22日)


● 教会バザー報告
 (2011年11月23日)


● バーベキュー大会報告
 (2011年8月21日)


● イースター報告
 (2011年4月24日)


● 柿本俊子牧師隠退の感謝会報告
 (2011年3月27日)


● 講壇交換(三羽善次牧師)
 (2011年1月23日)


● 墓前礼拝報告
 (2010年11月7日)


カテゴリ
カレンダー
08 | 2014/09 | 10
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 - - - -
月別アーカイブ
全記事INDEX

全ての記事を表示する

お知らせ
ようこそいらっしゃいました。



2016年10月に、当ブログの訪問者が9,000人を超えました。感謝いたします。

2015年9月に、当ブログの訪問者が8,000人を超えました。感謝いたします。

2014年9月に、当ブログの訪問者が7,000人を超えました。感謝いたします。

2014年1月に、当ブログの訪問者が6,000人を超えました。主の導きに感謝いたします。

閲覧者数
現在の閲覧者数
現在の閲覧者数:
メールフォーム
三芳教会やキリスト教についてのお問い合わせ、また当教会へのご意見、ご要望等がありましたら、下記のフォームよりうけたまわります。

お名前:
メールアドレス:
件名:
本文:

検索フォーム
リンク
QRコード
QR