2013-06-30(Sun)

心の平安 2013年6月30日特別伝道礼拝メッセージ

心の平安
中山弘隆牧師

 ハンナが主の御前であまりにも長く祈っているので、エリは彼女の口もとを注意して見た。ハンナは心のうちで祈っていて、唇は動いていたが声は聞こえなかった。エリは彼女が酒に酔っているのだと思い、彼女に言った。「いつまで酔っているのか。酔いをさましてきなさい。」ハンナは答えた。「いいえ、祭司様、違います。わたしは深い悩みを持った女です。ぶどう酒も強い酒も飲んではおりません。ただ、主の御前に心からの願いを注ぎ出しておりました。はしためを堕落した女だと誤解なさらないでください。今まで祈っていたのは、訴えたいこと、苦しいことが多くあるからです。」そこでエリは、「安心して帰りなさい。イスラエルの神が、あなたの乞い願うことをかなえてくださるように」と答えた。ハンナは、「はしためが御厚意を得ますように」と言ってそこを離れた。それから食事をしたが、彼女の表情はもはや前のようではなかった。
サムエル記上1章12~18節


 「わたしはこれらのことを、たとえを用いて話してきた。もはやたとえによらず、はっきり父について知らせる時が来る。その日には、あなたがたはわたしの名によって願うことになる。わたしがあなたがたのために父に願ってあげる、とは言わない。父御自身が、あなたがたを愛しておられるのである。あなたがたが、わたしを愛し、わたしが神のもとから出て来たことを信じたからである。わたしは父のもとから出て、世に来たが、今、世を去って、父のもとに行く。」弟子たちは言った。「今は、はっきりとお話しになり、少しもたとえを用いられません。あなたが何でもご存じで、だれもお尋ねする必要のないことが、今、分かりました。これによって、あなたが神のもとから来られたと、わたしたちは信じます。」イエスはお答えになった。「今ようやく、信じるようになったのか。だが、あなたがたが散らされて自分の家に帰ってしまい、わたしをひとりきりにする時が来る。いや、既に来ている。しかし、わたしはひとりではない。父が、共にいてくださるからだ。これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」
ヨハネによる福音書16章25~33節

(1)何よりも必要な心の平安
 本日の礼拝の聖書の箇所は、主イエスの次の言葉です。ヨハネによる福音書16章33で、主イエスはこのように弟子たちに約束されました。
 「これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しない。わたしは既に世に勝っている。」
 だれでも平穏無事な人生を過ごしたいと思っています。しかし、現実の生活には様々な困難と悩みがあります。それは突然に襲ってくる困難に打ち勝ち、苦境を乗り越えて行く力が自分にないからです。従いまして、言葉で勇気を出しなさいと励まされても、もしその困難を解決する力を与えてくれるのでなければ、その言葉は空しく感じられます。
 しかし、主イエスの場合には、主イエスの言葉がわたしたちに力を与えますので、困難の嵐の中でも心に平安が与えられ、嵐を通り過ぎることができるのです。なぜならば、主イエスは「既に世に勝っている」方であるからです。
 今から約50年前に、わたしは未だ神学生でありましたが、岐阜県の恵那市から電車でいく田舎の田瀬教会を訪問したことがあります。そのわけはわたしの出身教会であります名古屋の金城教会の牧師が田瀬教会の牧師と親しく、また田瀬教会の方々も金城教会と深い関係がありましたので、牧師に連れられて、夕方家庭集会に出席し、その晩は田瀬教会に一泊させてもらいました。
 その日、家庭集会のために場所を提供してくださいました糸魚川と言う夫人の話を伺うことができました。もうその時、教会の会堂もできていたのですが、戦後の開拓伝道で出来た教会です。東京から移住して、地域の中学の英語の教師になられた牧師が、校長先生に連れられて、村の人々に挨拶に回られました。その挨拶の中で、わたしは英語の教師を務めることになりましたが、元々牧師でもありますので、聖書の御言葉を自己紹介とさせていただきますと言われ、ヨハネによる福音書に記されているイエスの言葉を語り、皆様の心に主イエスの平安をお伝えしたいと願っていますので、よろしくお願いします、と挨拶をされました。
 この話を聞いて、糸魚川さんは自分に心の平安が是非欲しいと思い、舅さんに教会へ行かせてくださいと頼まれました。ところが舅さんは一家の主人である息子が徴兵で戦地に行き、残された嫁が一人で稲作をしている農家なので、嫁の健康を心配し、日曜日に教会へ行くことを反対されました。しかし、糸魚川さんは、わたしに一番必要なのは心の平安でありますので、教会へ行かせてくださいと頼むと、舅さんも分かって下さり、忙しい農繁期のでも、教会の礼拝を一度も休むことなく出席し、クリスチャンになられました。そして二人の息子さんもクリスチャンになられました。
 糸魚川さんのご主人は戦地に行かれたまま、通知がなかったのですが、戦死され、とうとう帰って来られませんでした。村では戦地から復員して帰ってこられる方々がおられるのに、ご主人が帰って来られないので、毎日田んぼの片隅で泣いておられたそうです。しかし、教会に出席するようになり、心の平安が与えられ、家業の農業を守り、当時中学生であった二人の息子さんを立派に育てられました。その後、兄は家業を継ぎ、弟は大学を出て東京に就職し、教会の役員をしておられるとのことを田瀬教会の牧師から聞きました。
 あるとき、兄がお母さんの仕事を手伝って、田んぼの仕事をしているとき、近くで遊んでいた弟が間違って石を投げたら、兄に当たりましたので、兄が怒って二人は掴み合いの喧嘩となりました。糸魚川さんはどうしてよいか分からず、黙って一生懸命に祈っておられましたが、二人は反省して喧嘩が治まったことを家庭集会で話されました。わたしは大いに感銘を受けたことを思い出します。
 さらに田瀬教会の人々は、職業の上でもそれぞれ協力して、農業水を確保するために山間部に二人の教会員が池を造っておられ、その現場を見せていただきました。
 このように、主イエスによって与えられる心の平安と神の愛は、どのような困難や試練の中でも、その人の生活全体を包み、支え、存在そのものを生かす霊的な力を持っています。

(2)生ける主イエスとの人格的な交わり
 次に、主イエスが与えてくださる心の平安とは、死人の中から復活し、全人類の救い主となられた主イエスとの生ける人格的な交わりの中に働くのです。
 十字架につき、人類を罪の責任と罪の束縛から解放するために、人類の罪をご自分の上に担い、人類に代わって死なれたイエスを父なる神は死人の中から復活させて、「名実ともに」全人類の救い主とされました。その方が、主イエス・キリストです。
 それゆえ、主イエス・キリストは二度と死ぬことのない永遠の命の保持者であり、つねに生きて働いておられ方です。
 「この主イエス・キリストは神の御言葉、とくにキリストの福音の言葉を通して、わたしたちと日々出会われる方です。困窮の中で不安と迷いの中にいるわたしたちを主イエスの方から探し出し、出会ってくださいます。」
 そしてご自身を示し、ご自身を通して父なる神が人類のために達成してくださった救いの恵みを示されます。そのことを通して、神がいかに恵み深い、正しい、無限の力を持っておられる方であるかを示してくださいます。このようにして、主イエスは生ける救い主として、わたしたちと出会ってくださる方です。
 主イエスは十字架の死が目前に迫っているときに、弟子たちに対して次のように仰せになりました。
 「しばらくすると、あなたがたはわたしを見なくなるが、またしばらくすると、わたしを見るようになる。(16:19)
 「見なくなる」とはイエスが十字架の死によって、この世界を去られるという意味です。「またしばらくすると、わたしを見るようになる」とは、死人の中から復活された主イエス・キリストは弟子たちと出会われると言う意味です。
 しかし、復活の主は十字架について死なれた身体ではなく、復活し永遠に生きておられる身体を持っておられますので、その身体はこの世の生まれながらの人間には見ることはできません。神の救いが完成するときに、人は皆、死人の中から復活させられますが、そのとき初めて主イエスの姿を自分の目で見ることができるのです。
 しかし、復活の主イエスは神の力によってわたしたちと出会っておられ、ご自身のうちに永遠の命を持っておられる救い主として、ご自身が生きておられることの「確かさ」を示されます。それはわたしたち人間を生かす「最も確かな霊的現実」であると言うことができます。
 わたしたちの目に見えないけれども、生ける主イエス・キリストがわたしたちに直面し、わたしたちと出会っておられることを信じるならば、わたしたちは神との「正しい関係」の中に入れられるのです。
 神は御子イエスの十字架の死によって、わたしたちの罪を取り去り、十字架の死によってわたしたち人間のために達成してくださったイエスの義をわたしたちに与えられたのです。そしてわたしたちが神の子として、生きるための新しい存在と命とがすでに主イエスの中に与えて下さっているのです。
 このことを信じるとき、人は誰であっても、神との正しい関係に入れられ、主イエスの中に存在する新しい人間として、言い換えれば神の子たちとしての人生を歩み始めるのです。
 しかもその新しい歩みの到着点は、神の国であり、永遠の国であります。このことを信じるとき、心に平安と喜びが沸き起こります。
 「しかし、わたしが再びあなたがたと出会い、あなたがたは心から喜ぶことになる。その喜びをあなたがたから奪い去る者はいない。」(16:22)
神はこの世界と人間の創造者であり、救済者であります。これが聖書の示す真の神です。この自然は初めからあったのではありません。神は御自身の目的をもって、すなわち、人間が神との人格的な交わりの中で、永遠に生きる神の国を実現するために生きて働いておられる方として、世界と人間の創造者であり、救済者なのです。
 キリストの使徒パウロは、聖書の世界観に立脚して、自然界の呻きを聞き取っています。それは自然界が新しい自然に生まれ変わるための「産みの苦しみ」であると言うのです。
 なぜならば、自然界は人間の始祖であるアダムの堕落によって、虚無に従属するものとなりました。言い換えれば、自然界は無意味な永劫回帰のなかで呻いているというのです。しかしキリストの救いが完成する暁に、人間だけでなく、自然界も神の恵みと栄光を反映する不滅の自然界に変貌する希望が自然界に与えられているからです。これが聖書の神であり、聖書の人間観と世界観です。
 このような恵み深い、真理と力の源泉である人格的な神の働きを知るとき、神と正しい関係に入れられることによって、自分の人生と存在は「もうこれで大丈夫だ」という絶対的な確信が与えられます。これこそ復活の主イエスと出会い、主イエスを信じるときに与えられる確信です。
 次に、神との正しい関係のなかで、主イエスを通して、主イエスの中に神がすでに与えられているイエスの義と真理と命を受けて、神に従うことによって、言い換えれば主イエスの命令に従い、それを実行するとき、わたしたちは主イエスに似る者へと段々と聖化されて行きます。
 また、主イエスとの交わりの中で、自分自身で気が付いている罪の思いと行為を捨て去ることができるのです。そのようにしてこの世における罪の誘惑と悪とに打ち勝つことができるのです。
 次に、わたしたちが仲間や社会生活をしている中で出会う人々と、共に生きる平和な関係を主イエスによって造ることができます。
 主イエスがわたしたち人間同士の関係の中心に来られ、主イエスの思いが実行さるときに、わたしたち人間は仲間や相手と互いに理解し、相手を人格の尊厳と自由を持つ者として互いに尊敬し、協力することができるようになります。
 主イエスを抜きにしては、人間は利己的であり、また自分中心的な考えに捕らわれておりますので、相手と人格的に出会う自由と幸いを体験することは不可能です。それに対して、主イエスを通して隣人や見知らぬ人と出会うことは、喜びであり、また新しい幸いの発見に通じています。

(3)神の愛の働きのチャンネル
 最後にクリスチャンの幸いは自分たちが神の愛の働きのチャンネルになると言うことです。
 利己的な愛の働きは、人間に死をもたらします。それは有限であり、虚しいものです。しかし、神の愛は真実であり、永遠であり、価値あるものを造り出す力を持っていますので、人間に命を与えます。しかもこのような愛は、人間の所有物ではなく、神の賜物であり、人間は神の愛が働くチャンネルとなることによって、神の愛に生かされ、神の愛を実行することができるのです。
 実に愛こそは神の本質であります。ヨハネの手紙一、4章8節は「神は愛である」と言っています。
 この神の愛が、神の御子である主イエス・キリストにおいて、人間に示されました。主イエスは人間の救いのために、ご自身を人間に与え、十字架の死において、人間の罪を贖い、人間が自ら進んで神に従う自由を人間のために達成してくださいました。
 父なる神は人間を愛して主イエスを死人から復活させ、神に従う新しい人間の存在と命を主イエスの中に既に備え、永久に保存されています。それゆえ復活の主イエスがわたしたちと出会ってくださるときに、同時に聖霊がわたしたちに与えられ、主イエスとの人格的な交わりが可能となります。
 そして聖霊はわたしたちの中に永久に与えられ、わたしたちを主イエスと結び合わせ、わたしたちを主イエスの中に生きる者とします。このような方法で、聖霊を通して主イエス・キリストにおいて現された神の愛がわたしたちの中に働くのです。
 何よりもクリスチャンの確信は、主イエスにおいて現された父なる神の愛、聖霊を通してわたしたちの中に働く神の愛から、今後どのような状況になっても切り離されることは絶対にないと言う事実です。最後にパウロはその確信を次のように表明しています。
 「わたしは確信しています。死も、命も、天地も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い所にいるもものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。」(ローマ8:38~39)
 
この事実こそ、心の平安であり、尽きぬ喜びなのです。


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