2013-04-28(Sun)

神の作品 2013年4月28日の礼拝メッセージ

神の作品
中山弘隆牧師

 神は言われた。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。
創世記1章26~27節


 さて、あなたがたは、以前は自分の過ちと罪のために死んでいたのです。この世を支配する者、かの空中に勢力を持つ者、すなわち、不従順な者たちの内に今も働く霊に従い、過ちと罪を犯して歩んでいました。わたしたちも皆、こういう者たちの中にいて、以前は肉の欲望の赴くままに生活し、肉や心の欲するままに行動していたのであり、ほかの人々と同じように、生まれながら神の怒りを受けるべき者でした。しかし、憐れみ豊かな神は、わたしたちをこの上なく愛してくださり、その愛によって、罪のために死んでいたわたしたちをキリストと共に生かし、――あなたがたの救われたのは恵みによるのです―― キリスト・イエスによって共に復活させ、共に天の王座に着かせてくださいました。こうして、神は、キリスト・イエスにおいてわたしたちにお示しになった慈しみにより、その限りなく豊かな恵みを、来るべき世に現そうとされたのです。事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。行いによるのではありません。それは、だれも誇ることがないためなのです。なぜなら、わたしたちは神に造られたものであり、しかも、神が前もって準備してくださった善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたからです。わたしたちは、その善い業を行って歩むのです。
エフェソの信徒への手紙2章1~10節


(1)力を発揮する恵み
 「なぜなら、わたしたちは神に造られた者であり、しかも、神が前もって準備してくださった善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたからです。わたしたちは、その善い業を行って歩むのです。」(2:10)
 わたしたちは聖書が語っているように、主イエスにあって造られた神の作品であります。これが聖書の見方です。それゆえ、これはわたしたちクリスチャンが自分を見る見方でなければなりません。確かに、わたしたちは自分がクリスチャンと呼ばれるにふさわしくない、弱い、だらしない者であると痛感しています。
 陶芸家が陶器を作るときに、自分の気に入った陶器でなければ、どれほど立派にできていても全部壊してしまうのを見ますと、芸術作品を造るのは本当に厳しいことなのだなあと驚嘆させられます。そのことを思いますと、神様が作品を造られる場合に、神の目から見て一定の水準に達しない者は捨てられるのではないだろうか、自分のように不出来なクリスチャンは最後に救いから漏れるのではないだろうかと一抹の不安を感じます。
 しかし、ご安心ください。聖書はそのように言っていません。聖書はわたしたちが神の作品であるというのです。わたしたちは福音を通して語っておられる神様を信頼すべきです。神様は陶芸家のように情熱をこめて神の作品を造られましたが、神様には失敗作はないのです。たとえ人々の目に失敗作のように見えましょうとも、神様はそれをご自身の目的に適う者に変えてくださいます。
 「神は恵み深い方であるから、神に従う生き方を続けるならば、神の目的を実現する人生を歩ませてくださるに違いない。」と思うようになります。そこで、これからは前向きに生きようという勇気が湧いてきます。
 次に、希望の根拠は信仰義認です。
 「事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。行いによるのではありません。それは、だれも誇ることがないためなのです。」(2:8~9)

 ここで、パウロは救いがただ神の自由なる賜物であることを強調し、人間はただ神の恵みによってのみ救われるということを信じ、喜んで神の恵みを受け入れることによって救われる、と言っています。なお、神の恵みを受領する手段としての信仰も決して人間の功績ではなく、神の賜物であると言っています。
 しかし、パウロの強調する信仰義認を誤解した人たちは、パウロが善い行いをする必要はないと教えているのは間違っていると、彼を非難しました。
それは大いなる誤解です。パウロは誰よりも善い行いの必要を教えました。なぜなら善い行いは神の救いの目的であるからです。「あなたがたが救われたのは、善い行いをするためである。」と言うのです。しかし、それにも拘らず善い行いをすることは人間が救われるための必要条件ではありません。善い行いは救いの原因ではありません。そうではなく救いの結果なのです。それは良い木が良い実を結び、良い実が良い木を造るのではないのと同様です。パウロにとりまして、人間の為す良い行いはすべて「恵みの賜物」であり、それゆえ、善い行いは神の恵みが人間の中で実を結ぶことです。
 要するにクリスチャンのなす善い行いは、救いを得るために実行するのではなく、救われた結果として実行するのです。あくまでそれは神に対する感謝と従順の行為なのです。

(2)徹底的なキリスト中心主義
 次に、「罪のために死んでいたわたしたちをキリストと共に生かし、」(2:5)、「キリストによって共に復活させ、」(2:6)、「共に天上の王座に着かせてくださいました。」(2:7)
 これらの三つの聖句は、いずれも「キリストと共に」という条件の中で述べられている点が非常に注目される所です。これは専らキリストが死人の中から復活されたことにより、キリストの復活を通して、キリストの命がクリスチャンの中に与えられたことを意味しています。それまで神から離れて、精神的に、道徳的に、霊的な意味で死んでいた者が、神の御前に出て、神の御前に生きる者となったというのです。
 さらに、「キリスト・イエスによって共に復活させ、共に天の王座に着かせてくださいました。」(2:6)と言う聖句は、わたしたちがキリストのように天地の支配者になったということでは決してありません。わたしたちは罪とこの世の闇の勢力から解放されて、神の子たちの自由が与えられ、自ら進んで、神の意志に従い、善い業ができるようになったという意味です。
 宗教改革者ルターは「キリスト者の自由」と題した本を書きましたが、そこでクリスチャンは君主であると同時に僕であると言っています。罪から自由にされており、誰からも裁かれないという意味で君主である。他方、隣人に神の愛を持って仕えるという意味で僕である、と言っています。
 なお、この手紙の特徴はわたしたちがキリストと共に復活させられたと言っている点です。但し、これは最後の日に救いが完成するとき、わたしたちも復活することになっていますが、その復活がすでに起こったという意味ではありません。そうではなく、わたしたちはこの地上で生活している間に、既にキリストの復活の命を与えられ、神の御前で生き、御心に従う生活をしていることを意味しています。
 わたしたちがキリストの命に生かされることは、本来終わりの日に現れる神の国に属する事柄ですが、それは単に待ち望むべき、遠い将来の事柄だけではなく、復活のキリストの支配と聖霊の働きを通して、今地上において始まっているのです。
 言い換えれば、わたしたちは地上で生活している間に、神の国の先取りとしての永遠の命に生きることができるのです。実にこの点に、神の恵みの豊かさと慰めがあります。それは現在のわたしたちの生き方を根底から変革し、キリストの性質を映し出す者とする力強い恵みなのです。     
 次に、神の恵みは徹頭徹尾、キリスト中心的な内容を持っています。この溢れ出る、そして慰めに満ちた力強い恵みは、あくまでもキリストを中心とした恵みです。この点をこの手紙は一層際立たせています。
 第一章の冒頭で次のように言っています。それは「キリストにおいて」ということです。第一章は神の創造とその完成について語っています。
 「わたしたちの主イエス・キリストの父である神は、ほめたたえられますように。神は、わたしたちをキリストにおいて、天のあらゆる霊的な祝福で満たしてくださいました。」(1:3)
 今や神は創造の目的を実現し、「キリストにおいて」天のあらゆる霊的な祝福で満たしてくださった、と言っています。わたしたちすべての人間が、天において神の御心を完全に知り、御心を完全に実行し、神を賛美する者とされている。そのために必要な霊的祝福が「キリストの中で」既に与えられていると、エフェソの信徒への手紙は告白し、神を賛美しています。
 さらに驚くべきことは、神は実に天地創造の前から「わたしたちをキリストにおいて選ばれた」と言うのです。
 「天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、ご自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。」(1:4)
 言い換えれば、「わたしたちをキリストにおいて神の子にしようと定められた」というのです。
 「イエス・キリストによって神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです。」(1:5)
 この神の選びと予定は神が人類を愛されたことと神の主権的な絶対的自由をもって定められた事柄です。
この神の選びと予定が天地創造に先立っておりますので、人間の住む大地が創られ、人間とこの世界が創られたことは、その段階ですでに神の創造が達成されたのではありません。それは創造の始まりであり、あくまでも神の創造の完成は永遠なる神の国であり、神の国に生きる神の子たちの出現であります。
従いまして、最初に造られた人間であるアダムが神様に背いたので、人類全体が罪を犯し、罪に支配されるに至りました。そこで人類が創造された当初の罪のない状態を回復することが、神の救いであると考える人々がいます。しかしそれは神の創造の意図に反しています。天地が創造される前から、神の意図は人間を神の子たちとなし、人間が神と共に歩む霊的な永遠の国を実現することでした。
 それでは神の意図と選びが天地創造の前ですでに定められていたとすれば、どうしてそれが人間に分かったのでしょうか。人間がその場に居合わせて、目撃した訳ではありません。実にそれこそ「主イエスの啓示」によって知らされたのです。
 具体的に言えば、主イエス・キリストの啓示は人類の救いの出来事を通して与えられたのでありますが、その啓示は同時に天地創造以前に神が決定しておられた永遠の目的も明らかにしたのです。
 それゆえ、永遠の目的とその完成はすべて「キリストにおいて」であります。

 なお永遠の選びに関して注目すべき点は、神が「キリストにおいて」人間を選ばれたと言われていることです。そこでは人間が選ばれる者と選ばれない者との二つに分かれたというのでは決してありません。そういうことに一切言及されていません。それゆえ神の選びは「キリストにおいて」すべての人間を選んだのです。
 神の御子イエスが人類とご自身を一つに結び合わせ、人類の代理として人類の罪を贖うために罪の裁きを受け、その死の極みまで神への従順を全うされたことにより、御子イエスは人間の義を達成されました。それゆえ、父なる神は御子イエスを主イエス・キリストとして復活させられ、天地の支配者とされました。実に、人類の代理として、人間の罪を贖い、人間の義を達成された主イエスこそ、すべての人間の義と命とになられたのです。
 そのことにより、神の創造の目的と選びは「主イエス・キリストにおいて」実現したのです。
 従いまして、人間が神を知り、神に喜んで従い、神の御心を実行することが可能となっているのは、復活の主イエス・キリストにおいてであります。この点が神の救いの内容はキリスト中心的であるという所以です。

 本日の聖書の箇所で、「なぜなら、わたしたちは神に造られたものであり、しかも、神が前もって準備してくださった善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたからです。わたしたちは、その善い業を行って歩むのです。」と言われていることは、実にわたしたちが主イエスを信じて、主イエスと繋がり、主イエスがわたしたちを導かれることにより可能となります。
 ここで、「神が前もって準備してくださった善い業」が第一点、「わたしたちはその善い業を行ってこの地上の生活をするのです。」と言うのが第二点とすれば、次にようになります。
 第一点の善き業は、
キリストがわたしたちの代理として地上の人生を歩み、様々な誘惑と試練に打ち勝って、父の御心を知り、それを実行するために経験されたご自身の決断と行為の中で用意されたのです。
 第二点の善き業の実行は、わたしたちが復活の主イエスの導きを受け、主イエスに従うとき、主イエスの歩まれた時代と環境と違う、現代の環境の中で、わたしたちが祈り、主イエスの御心に従って、決断し、行動するときに、主イエスがかつて地上で決断し、実行されたことを追体験し、模倣し、映し出すことなのです。

(3)復活の主イエスのおられる所
 最後に、復活の主は福音が語られるとき、福音の言葉を通して、聞く者と出会われるのです。人は復活の主と対面することによって、聖霊を受け、主イエスとの人格的な交わりの中に入れられます。
その交わりにより、主イエスにおいて、わたしたちのために天において既に備えられている霊的事実が示されます。同時に主イエスはそれを実行しなさいと命令されます。
 主イエスの命令は「既にあるところのものとなりなさい」という性格の命令ですから、実行可能なのです。もちろん、この地上の生活の中で、実行できるのは一部分に過ぎません。それでも実行できます。そこに大いなる喜びと慰めがあります。このような主イエスとの交わりは、神の国の先取りとして生きることです。
 しかし、神の国は復活の主イエスが臨在し、働いておられる所に存在します。復活の主イエスのおられるところに義と命と自由と喜びがあります。そして、神への感謝と賛美があります。



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