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2012-12-23(Sun)

御子を与えられた愛 2012年12月23日クリスマス特別礼拝メッセージ

御子を与えられた愛
中山弘隆牧師

 闇の中を歩む民は、大いなる光を見、死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。あなたは深い喜びと、大きな楽しみをお与えになり、人々は御前に喜び祝った。刈り入れの時を祝うように、戦利品を分け合って楽しむように。彼らの負う軛、肩を打つ杖、虐げる者の鞭を、あなたはミディアンの日のように、折ってくださった。地を踏み鳴らした兵士の靴、血にまみれた軍服はことごとく、火に投げ込まれ、焼き尽くされた。ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、「驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君」と唱えられる。ダビデの王座とその王国に権威は増し、平和は絶えることがない。王国は正義と恵みの業によって、今もそしてとこしえに、立てられ支えられる。万軍の主の熱意がこれを成し遂げる。
イザヤ書9章1~6節


 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。彼は光ではなく、光について証しをするために来た。その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。
ヨハネによる福音書1章1~14節



(1)クリスマスの喜び
 本日は皆様と共にクリスマスの礼拝をしておりますが、クリスマスにおいて現された神の恵みがこの世界を覆っています。
それはちょうど夜の暗闇を破って朝日が昇り、野原の露はダイヤモンドのように輝き、山茶花の赤い花が光沢ある緑の葉とともに際立って美しく見えるようです。またすでに落葉した樹木の梢には小さい蕾を芽生えさせ、生命が静かに流れているように感じさせます。すべてのものが太陽の光を受けて、息づいているように、クリスマスの光がこの世界と人間を包むとき、そこに新しい生命が満ちるのです。

 クリスマスの恵みは、世界と人間の創造者である神が、人間となり、わたしたちのいる場所へ、わたしたちの存在の中へ、入って来られたことです。この恵みはあまりにも大きすぎてわたしたちの理解を超えています。
その神秘に直面するとき、人は皆、畏敬の念をもって跪くのです。同時に、心が喜びで満たされ、神様を賛美するのです。
 讃美歌256番の5節は次のように歌っています。
「この世の栄えを 望みまさず、 われらに代わりて 悩みたもう。
 とうとき貧しさ 知りえしわが身は いかにたたえまつらん。」
わたしたちも声を合わせて、このように賛美します。

(2)神を知り、自分を知る
 それでは、神の御子が人間としてこの世界に誕生された恵みの光を受けると、わたしたちのもとで何が起こるのでしょうか。
 それはわたしたちが神を知ることです。同時にわたしたちが自分自身を知ることです。わたしたちには自分が何者であるかを知ることが最も切実な問題ですが、それは神を知ることによって可能なのです。神を知ることなしには、人間は自分を知ることはできません。
 従いまして、先ず神は人間にご自身を知らせるために、世界と人間とを創造してくださいました。世界の中で、人間は神の創造の御業を見ることによって、初めて神の存在と神の知恵と力を知ることができたのです。
 なお、神の造られた被造物の中で、人間は特別の存在として、知性とコミュニケーションの能力と自己を超える力を与えられていますので、神のおられることに気が付いているのです。
従って、全知全能の神の御前で、人間は自分が何者であるかを問うことができるのです。
 詩編8編の作者は神の創造の御業を賛美する中で、次のように言っています。
 「あなたの天を、あなたの指の業を わたしは仰ぎます。月も、星も、あなたが配置されたもの。
 そのあなたが御心に留めてくださるとは、 人間は何ものなのでしょう。 あなたが顧みてくださるとは。 神に僅かに劣るものとして人間を造り なお、栄光と威光を冠としていただかせ 御手によって創られたものをすべて治めるように その足もとに置かれました。 羊も牛も、野の獣も 空の鳥、海の魚、海路を渡るものも。」(詩編8:4~9)
 もう50年余り前に、最初の人工衛星がロシアによって打ち上げられました。その時宇宙飛行士が宇宙から地球を見て、「地球は青い」と言ったことは有名です。その後、二番目の人工衛星がアメリカによって打ち上げられました。そのとき、宇宙飛行士が人工衛星の中から、この詩編を朗読し、この聖句を地球にいる人たちに送りました。
 このように、宇宙と世界は神の恵みによって創られたのです。しかも人間は神様と人格的な交わりをする対象として造られました。この大きな神の恵みを知って、詩編の作者は、「人間とは何者なのでしょう。神様がこのように人間を御心に留めてくださるとは。」と言っています。
そして、人間がこの世界を神の御心に従って治め、管理することが人間の務めであると、言っています。それゆえ、人間は神に従属し、神に祈り求め、神から教えられ、知恵と能力を与えられることによってのみ、世界を管理できる者なのです。
そうする過程で、恵み深く、正しい「神の性質に似る者」となることが人間を創造された神様の目的なのです。

従いまして、聖書の人間観は、人間が神の性質に似る者となるように創られた被造物である、ということです。創世記1:27で「神の形に似る者」として人間は創造されたと言っています。
「神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。」
しかし、これは人間が将来成るべき姿を表しているのであって、最初から「完全な神の形」であったというのではありません。
もちろん、神の形とは神が人間のように姿を持っておられるのではなく、神の性質という意味です。人間はあくまでも人間でありながら、神の性質に似る者となるという意味です。
そのためには、人間は神を仰ぎ、神の御心と性質を絶えず目の前にしながら、神から感化を受けることによって、神の形に似る者となります。
ところが、神様のご計画に人間は反抗し、人間に与えられた神の形を失ってしまいました。それがアダムの原罪です。
 アダムの原罪は何かと言いますと、アダムが神の性質に似ることを自分の目的にせず、神の力を自分で所有し、力において自分が神と等しい者となろうと欲したことです。神に造られた人間が神に全く依存することを拒否し、自分の力で世界の支配者になろうとしたことです。
その結果人間は自分の高慢の罪により、罪の闇の力に支配され、悪い欲望に駆られて、様々な悪を行うようになりました。そこに現代社会の混乱と悲惨さの根源があります。

(3)神の形である御子イエス
 しかし、神はそのような罪人である人間をなお愛して、人間を罪の束縛から救い出し、神との人格的な交わりの中で生かすために、御子を人間にお与えになりました。
このことがクリスマスの出来事です。他のどこを探してもこれほど大きな恵みはありません。御子は御自身を人間存在の中に与えるために、神の地位を放棄して、御自身を人間のレベルまで低められました。このことについて、フィリピへの手紙は次のように言っています。
 「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固守しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。」(フィリピ2:6~8)
 神がわたしたちと同じ人間となられる、ということはわたしたち人間の理解をはるかに超えています。それでも神には不可能ではありません。実に、それは神の愛の全能の業です。御子は人間に対する愛ゆえに、ご自身の全能の力を制限して、人間の限界の中にご自身を置かれたのです。
神の御子であるイエス・キリストは、「神の身分でありながら、神と等しい者であることに固守しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。」
御子のこの思いと行動はアダムの場合とは正反対です。実に御子は人間に対する愛ゆえに、そして父なる神に対する愛ゆえに、自分を低めて、人間として、この世界に到来されたのです。
さらに、御子の父なる神に対する愛とは、父なる神に対する従順であり、父なる神の栄光を求め、ご自分の栄光を一切求めないということなのです。
それでは、クリスマスの出来事の真相は何であったのでしょうか。人となられた神の御子イエスにおいて、「神の恵みと真理」とが満ち溢れていたことです。
本日の聖書の箇所でありますヨハネによる福音書1:14節は次のように言っています。
 「言(ことば)は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真とに満ちていた。」
 これは、単純に言えば、イエスにおいて、神の人格的な性質が余すところなく示されたということです。
御子イエスは人間となり、人間としての思い、意図と態度、言葉と行為の中で、父なる神の意志と性質を完全に理解されました。
なぜならば、御子イエスは「神の言(ことば)が人間となられた方」であるからです。ここで、神の言とは神の意志であり、また神が意志を人間に伝達する神の手段であります。そのような神の言が人間となられた御子イエスにおいて、神は御自身を人間に完全に現されたのです。
そして父なる神は御子イエスの人間性の中に、人間としての道徳的行為の中に、神の愛を働かせ、神の性質を完全に写し出されました。このようにして、御子イエスは「神の啓示」となられたのです。

他方、御子イエスは父なる神を愛するゆえに父に徹底的に依存し、従い、父なる神から力を受けて、父なる神の意志を実行されました。
この点において、御子イエスは神の子たちである人間の姿、或いは神の形である人間を完全に達成されたのです。
従いまして、神が人間をご自身との交わりの相手として、創造の当初から意図された「神の形」は、御子イエスにおいて完成しました。それは神の人間創造の目的が達成されたということであります。
実に、神の唯一の御子である「神の言」が、「受肉して」人間となられたという神秘は、御子がご自身の上に人間性を担い、御子の中で、神性と人性とを結び合わされたという意味です。「肉」とは「人間性」という意味であり、「受肉」とは以上のような意味です。従いまして、御子の受肉は二つの面を備えています。
一つは、神の御子イエスを見ることによって、人間は神を知ることができるのです。これはイエスが神の啓示であるということです。
一つは、御子イエスは神との交わりの相手として定められた「神の形である人間」を完成されたのです。言い換えれば、神の前に生き、神と共に生きる人間の姿は御子イエスの中に実現しているのです。従いまして、人間が神の性質を映し出すとは、今やわたしたちが「御子イエスの性質」を映し出すことと同じです。
 
(4)真理と恵みの充満としての救い
 最後に、神の言葉の受肉は、以上述べた事柄だけではありません。
 それは神の御子イエスの十字架の死による人間の罪の贖いと救いの中で、神の真理と恵みが充満したのです。
父なる神の御心に適い、罪の全くない御子イエスが人類の罪を負い、人類の代表となり、罪の責任を取り、十字架の死において、罪に対する神の裁きを受け、死に至るまで父に完全に従われました。正にこの従順により、御子イエスは人類を罪の束縛から解放し、ご自身の義を人間に与えてくださいました。
このことの中で、神の真理が人間に対して究極的に貫徹したのです。その結果、神と人間との関係が正しい関係になったのです。
それゆえ、父なる神は御子イエスを復活させて、天地万物の「主」とし、神の国の支配者とされました。今や「主イエス・キリスト」は神としての権威と力を持って働いておられます。
そこに主イエスの栄光が限りなく現れています。復活の主イエスの支配の中で、神の真理と恵みが充満しているのです。
それゆえ、主イエスの支配の中にある神の真理と恵みを受けて、生きることが人間の救いです。
要するに、「主イエス」において、言い換えれば「主イエス」と結ばれて「神は人間と共にいます」のです。他方、「主イエス」と結ばれて、「人間は神と共にいる」のです。 
この救いを実現するために、御子である神の言は人間となってクリスマスの日にこの世界に到来されました。
わたしたちは今、このことを知り、喜び、感謝し、神を賛美しましょう。このことがクリスマスを迎える意義であります。



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