2012-05-27(Sun)

聖霊による福音の啓示 2012年5月27日ペンテコステ礼拝メッセージ

聖霊による福音の啓示
中山弘隆牧師

 主はわたしに油を注ぎ、主なる神の霊がわたしをとらえた。わたしを遣わして、貧しい人に良い知らせを伝えさせるために。打ち砕かれた心を包み、捕らわれ人には自由を、つながれている人には解放を告知させるために。主が恵みをお与えになる年、わたしたちの神が報復される日を告知して、嘆いている人々を慰め、シオンのゆえに嘆いている人々に、灰に代えて冠をかぶらせ、嘆きに代えて喜びの香油を、暗い心に代えて賛美の衣をまとわせるために。彼らは主が輝きを現すために植えられた、正義の樫の木と呼ばれる。
イザヤ書61章1~3節


 神はこのイエスを復活させられたのです。わたしたちは皆、そのことの証人です。それで、イエスは神の右に上げられ、約束された聖霊を御父から受けて注いでくださいました。あなたがたは、今このことを見聞きしているのです。ダビデは天に昇りませんでしたが、彼自身こう言っています。『主は、わたしの主にお告げになった。「わたしの右の座に着け。わたしがあなたの敵を、あなたの足台とするときまで。」』だから、イスラエルの全家は、はっきり知らなくてはなりません。あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです。」人々はこれを聞いて大いに心を打たれ、ペトロとほかの使徒たちに、「兄弟たち、わたしたちはどうしたらよいのですか」と言った。すると、ペトロは彼らに言った。「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。この約束は、あなたがたにも、あなたがたの子供にも、遠くにいるすべての人にも、つまり、わたしたちの神である主が招いてくださる者ならだれにでも、与えられているものなのです。」ペトロは、このほかにもいろいろ話をして、力強く証しをし、「邪悪なこの時代から救われなさい」と勧めていた。ペトロの言葉を受け入れた人々は洗礼を受け、その日に三千人ほどが仲間に加わった。彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。
使徒言行録2章32~42節

  
(1)旧約聖書の預言の成就
 本日は聖霊降臨日(ペンテコステ)の礼拝を守っています。ペンテコステとはキリストの使徒たちが、聖霊に満たされて、キリストの福音宣教を開始した日を記念する日です。
 使徒たちを代表して、ペトロが説教していますが、その内容を概略的に説明しますと次の三つの点から構成されています。
一つは旧約聖書の預言が成就したという点であり、一つはキリストの救いは終末論的な出来事であるという点であり、一つは信仰の応答を勧めるという点です。

 まず、本日の聖書の箇所2:16で、ペトロは聖霊の降臨について証し、聖霊降臨によって預言者ヨエルの預言が成就したと、言っています。17~18で次のように言っています。
 「神は言われる。終わりの時、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたたちの息子と娘は預言し、若者は幻を見、老人は夢を見る。わたしの僕やはしためにも、そのときには、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。」(2:17~18)
 ここで、旧約聖書の時代に神がイスラエルに約束して来られた救いの日である「主の日」が今や実現したと言っています。ここでは主の日を「終わりの時」と言っています。なぜならば、神が約束された「主の日」の救いは終末論的な性質を持っているからです。

 次に、終わりの日に実現する第一の出来事は、すべての人間に聖霊が与えられるということです。
ここで、神は「わたしの霊をすべての人に注ぐ。」と約束されました。それは聖霊です。従いまして、使徒たちに聖霊が降臨したということは、神の約束の実現であると言えます。
確かに、使徒たちはすべての人間の中の一部に過ぎませんが、使徒たちによる福音宣教を通して、すべての人間に聖霊が注がれると言う意味です。
 次に、聖霊の与えられた人たちは預言をすると言われています。
旧約聖書の中で働いた神の言葉は、預言者たちが聖霊を受けたので、
神から直接聞いた神の言葉なのです。
同じように、否それ以上に、今や聖霊を受けたキリストの使徒たちが究極的な神の言葉である福音を語ると言う意味です。
 このようにて、ヨエルの預言が成就しました。そのことの証しとして、使徒たちはキリストの福音を宣教しました。これがペンテコステの日に起きた出来事です。

(2)終末論的な出来事
 従いまして、今やキリストの使徒たちが聖霊による啓示と力によって、主イエス・キリストを宣教したということそれ自体が、終末論的な出来事なのです。
 なぜならば、聖霊はイエス・キリストが死人の中から復活し、父なる神の右に座し、全世界の主となられたことによるからです。主イエス・キリストが父なる神のもとから聖霊を遣わされたのであり、聖霊の降臨は正にイエス・キリストが主となられことを示しているのです。

 人間に対する神の直接的な支配は、地上におけるイエス・キリストの宣教活動を通して、すなわちイエス・キリストの人格とその言動を通して、開始しました。主イエスの存在と言動を通して、神が働き、罪の赦しに伴う数々の恵みの業が行われました。このイエス・キリストの働きを神は認め、イエス・キリストが救い主であることを神は証しておられたのです。この点、ペトロは次にように語っています。
 「イスラエルの人たち、これから話すことを聞いてください。ナザレのイエスこそ、神から遣わされた方です。神は、イエスを通してあなたがたの間で行われた奇跡と、不思議な業と、しるしによって、そのことをあなたがたに証明されました。」(2:22)
しかし、その働きは一定の制限のもとにあり、まだ本格的な働きではありませんでした。その制限が取り去られ、主イエスを通して人間に対する神の支配が本格的に働くために、主イエスによる人類の罪の贖いが必要であったのです。
 今やイエスは十字架の死を経て、復活し、神の右に座し、主となられました。それゆえ主イエスは名実ともに救い主となられ、神の国が本格的にこの世界の中で開始するようになったのです。

 次に、主イエス・キリストを通して働く神の救いが、どうして終末論的な出来事なのでしょうか。それは神の救いは神の審判を通して実現したからです。
 しかも、その審判とは旧約聖書時代に、神の民イスラエルに対して、神の審判と救済が何度も繰り返されましたが、そのような類型の一つの審判ではなく、最終的な究極的な審判であったからです。この点、預言者アモスは「主の日」に到来する神の審判はイスラエルの存続に終止符を打つと預言しました。
 このことは、第四の幻で、籠の中に夏の果物が入れてあるのを見たことによります。果物はヘブル語で「カイツ」と言いますが、それは最後を意味するヘブル語の「ケーツ」に良く似ていますので、神はアモスに「わが民イスラエルに最後が来た。もはや、見過ごしにすることはできない。」(アモス8:1)と仰せになったのです。
更に第五の幻で、神は神殿を崩壊させ、民を滅亡させると仰せなりました。これが神の民イスラエルの「終わりの日」の預言です。

 正に、イエス・キリストの十字架の死は、人類の罪に対する神の究極的な審判でした。その審判をイエス・キリストは人類のために、人類に代わって、人類の代表として、ご自身の上に引き受けてくださったのです。そのことによって、人類の罪は贖われました。従いまして、イエスの十字架の死である審判を通して、父なる神は人類が神の御前に生きる新しい道を開いてくったのです。正にそれは父なる神がイエスを復活させ、人類と世界の主権者としてお立てになったことによるのです。
 その結果、罪人である人間が、神の御前に義とされ、神に受け入れられ、神に従い、永遠に生きる「新しい人間」として、主イエスの中において、「創造された」のです。

 それゆえ、同時にまたわたしたち罪人は、主イエスがわたしたちのために死なれたことによって、主イエスと共に死んだのです。つまり、わたしたちの歩みとこの世界の経過はそのことによって、終止符が打たれました。
言い換えれば、生まれながらのわたしたちの思いと行動は、その将来性が全く無くなったのです。自分の歩みをこれまでと同じように続けるならば、そこには絶望と死のみが待ち構えているという事態になったのです。
 しかし、主イエス・キリストにあって、既に神によって創造されている新しい自分には真の希望があるのです。わたしたちが生まれながらの古い自分に背を向け、主イエス・キリストにおいて与えられている新しい自分に向って歩むことが命なのです。
 主イエス・キリストにおいて実現した神の救いが終末論的な救いである所以は、実にこの点にあります。
この終末的な救いをわたしたちが受領するのは、主イエスの十字架の贖いと復活により、わたしたちは既に主イエスの所有物であることを認識し、承認することによってです。そして、感謝を持って、喜んで、自分を主イエスに献げる決心をし、実行することです。これが信仰です。

(3)信仰の応答
次に、十字架の死による人類の罪の贖いを経て、人類の主権者となられた主イエス・キリストの働きは、終末論的な働きであります。
その理由は、主イエス・キリストの支配と救いが聖霊を通して行われ、完成に向かって行くからです。
人間はアダムにおいて、体と心をもった存在として、最初に神によって創造されました。そこで人間の心の働きは感情や理性や意志だけでなく、霊的能力を持ち、霊的な洞察により、自分の生きる意味を見いだすことができます。人間はそのような存在として、創造されました。
しかし、その霊的能力とは、人間の持っているより高度な精神活動であり、聖霊による認識とは本質的に異なっています。聖霊の働きが、人類の歴史の中で最初に始まりましたのは、旧約聖書の時代の預言者の活動を通してであります。
もちろん預言者とは神によって立てられた本物の預言者のことです。旧約聖書の歴史を通して、多くの偽預言者たちが偽って神の言葉を語りましたが、それは生まれながらの人間が持っている霊的洞察や、人為的な神がかり状態の中で語った言葉です。
それに対して、神が選び、召された真正の預言者たちは、偽預言者たちと激しい戦いをしながら、神の言葉を語りました。
真正の預言者たちが語った神の言葉が人々に対して、神への信仰を喚起し、人々に神を認識させ、人々を神の意志を実行する生活へと導いたのです。そこに旧約聖書時代の宗教が成立しました。
それにも拘らず、旧約聖書の時代における聖霊の働きは非常に限定されていました。それゆえ、真正の預言者が最早出現しなくなったユダヤ教の時代には、聖霊は神の民のなかに全く働かなくなりました。
その結果、ユダヤ教は預言者たちの精神的遺産を受け継ぎ、宗教的伝統を守っていますが、それは神との直接的な交わりと聖霊の光を人間の心に受けることのない、生まれながらの人間の営みとしての一つの宗教となってしまいました。
それに対して、イエス・キリストが主となられた今は、聖霊がキリスト教会の中に働き、教会に属する一人一人に働きますので、聖書の言葉が生ける神の言葉として、クリスチャンを生かすことができるのです。

今や主イエス・キリストは常に、何処でも、生きて働かれる主権者です。ヘブライ人への手紙はこの点で、次にように言っています。
「イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です。」(ヘブライ13:8)
地上の生涯におけるイエスの働きは場所と時間に制約され、その影響の及ぶ範囲は御自分が歩いて宣教される地域に限られていました。今や復活して、主となられましたので、いつでも、どこでも御言葉を通して、働かれる方となられたのです。
御自分での地上の生涯は繰り返すことのできない一回限りの生涯として、地上的な一切のつながりから切り離され、今や復活の主と共に天に移され、それを証する福音の神の言葉に担われ、神の言葉を通して働く生涯となったのです。
それゆえ、復活の主イエスは使徒たちの宣教の言葉とともに、この地上の人間のもとに臨在し、宣教の言葉を通して、それを聞く者一人一人と出会い、復活の主イエスご自身が御言葉を語られるのです。そして、聞く者たちに信仰の応答を求められます。

ペトロは説教の締めくくりとして、悔い改めと洗礼を勧めました。次にように勧めています。
「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。」(2:38)
「悔い改め」と言う言葉を聞くと、人は大抵自分の罪を悲しむという感情の問題としてだけ捕らえる傾向があります。しかし、それは悔い改めの一部に過ぎないのです。
この言葉はギリシャ語で「メタノイア」と言います。メタノイアの内容の中心は、心の入れ替え、自分の罪に従う生き方から方向転換をする、自分の生き方を変えると言う意味です。
このような認識と、決断は主イエスにおいて神から与えられた恵みに対する応答であり、主イエスに対する従順であります。そして、このことを可能にするものが、実に聖霊の働きなのです。

さらに、神はわたしたちがキリストの物となり、キリストと結ばれる恵みの手段を与えられました。それが洗礼を受けることです。ペトロはキリストの名による洗礼を受けなさいと勧めています。キリストの名による洗礼とは信仰者が復活の主イエスと繋がることです。それは聖霊の働きによるのです。
ペンテコステの日に、ペトロの説教を聞いた人たちの約3000人が洗礼を受けました。従いまして、ペンテコステの日に教会が誕生したのではありません。なぜならば、この日に洗礼を受けた人たちは、既に存在していたキリスト教会の一員として、教会に加えられたからです。
従いまして、キリスト教会はイエス・キリストの復活とその後の40日間にわたる主イエス・キリストご自身の啓示と導きにより既に誕生していたのです。
それゆえ、教会はこの世界の中に存在して、活動していますが、聖霊の働きにより、復活の主イエスの働きに奉仕することによって、復活の主イエスの働きを現している終末論的な共同体であります。 
こういう意味で、ペンテコステは教会の使命を明らかにした日であります。



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