2012-04-29(Sun)

主よ、あなたはどなたですか 2012年4月29日の礼拝メッセージ

主よ、あなたはどなたですか
中山弘隆牧師

 わたしの証人はあなたたち、わたしが選んだわたしの僕だ、と主は言われる。あなたたちはわたしを知り、信じ、理解するであろう。わたしこそ主、わたしの前に神は造られず、わたしの後にも存在しないことを。わたし、わたしが主である。わたしのほかに救い主はない。
イザヤ書43章10~11節


 さて、サウロはなおも主の弟子たちを脅迫し、殺そうと意気込んで、大祭司のところへ行き、ダマスコの諸会堂あての手紙を求めた。それは、この道に従う者を見つけ出したら、男女を問わず縛り上げ、エルサレムに連行するためであった。ところが、サウロが旅をしてダマスコに近づいたとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした。サウロは地に倒れ、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる。」同行していた人たちは、声は聞こえても、だれの姿も見えないので、ものも言えず立っていた。サウロは地面から起き上がって、目を開けたが、何も見えなかった。人々は彼の手を引いてダマスコに連れて行った。サウロは三日間、目が見えず、食べも飲みもしなかった。ところで、ダマスコにアナニアという弟子がいた。幻の中で主が、「アナニア」と呼びかけると、アナニアは、「主よ、ここにおります」と言った。すると、主は言われた。「立って、『直線通り』と呼ばれる通りへ行き、ユダの家にいるサウロという名の、タルソス出身の者を訪ねよ。今、彼は祈っている。アナニアという人が入って来て自分の上に手を置き、元どおり目が見えるようにしてくれるのを、幻で見たのだ。」しかし、アナニアは答えた。「主よ、わたしは、その人がエルサレムで、あなたの聖なる者たちに対してどんな悪事を働いたか、大勢の人から聞きました。ここでも、御名を呼び求める人をすべて捕らえるため、祭司長たちから権限を受けています。」すると、主は言われた。「行け。あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、わたしが選んだ器である。わたしの名のためにどんなに苦しまなくてはならないかを、わたしは彼に示そう。」そこで、アナニアは出かけて行ってユダの家に入り、サウロの上に手を置いて言った。「兄弟サウル、あなたがここへ来る途中に現れてくださった主イエスは、あなたが元どおり目が見えるようになり、また、聖霊で満たされるようにと、わたしをお遣わしになったのです。」すると、たちまち目からうろこのようなものが落ち、サウロは元どおり見えるようになった。
使徒言行録9章1~18節

 
(1)福音理解におけるパウロの使命
 使徒パウロはキリスト教を世界宗教にする上で、使徒たちの中で一番大きな働きをしました。彼はパレルチナのアンティオキア教会から主イエス・キリストの福音を携えて、当時のローマ世界へ伝道し、小アジアと呼ばれている地中海沿岸の地域とギリシャにキリスト教会を数多く設立しました。そのため三回の伝道旅行をし、陸の旅、海の旅を繰り返し、言葉では言い尽くせない困難に遭遇し、それらに打ち勝って、福音を広めたのです。それは実に彼の中に働く復活のキリストの力によるものです。言い換えれば、それは聖霊の働きでした。
 勿論パウロ一人でそのような大きな働きを達成したのではありません。多くの協力者が行く先々で与えられたからです。しかし彼自らが未知の世界に出かけていく覚悟でありましたから、伝道の過程で多くの協力者が出現するようになりました。
 キリスト教は、世界の万民を救うという神の目的を実現するために、神ご自身が復活の主イエス・キリストを通して、働いておられる宗教です。 従いまして、キリスト教は旧約聖書から出発していますが、旧約聖書の限界を遥かに越えています。
その際、どのように越えるかは、人間の考えや行動によるのではなく、神ご自身が復活の主イエスとその働きを福音の言葉として、啓示されたことによるのです。
今日そのような神の啓示と神が実現された救いの内容は新約聖書に記されています。神は旧約聖書の時代から、世界の万民に対する神の救いを実現するために、御言葉を語り、御言葉に対する従順を要求して来られましたが、新約聖書の時代に主イエス・キリストを通して、神の究極的な啓示と救いを与えられました。従いまして、旧約聖書と新約聖書を一つにした正典が、キリスト教の聖書なのです。
キリスト教の最初の世紀は、世界的な教会の形成と同時に新約聖書の諸文章が成立した一番重要な時期であります。この中でパウロは一番大きな働きをしました。

しかし、彼はペトロやヨハネのように最初から主イエスの弟子ではなく、生前のイエスとは何の面識もありませんでした。
彼はローマ市民権をもった離散のユダヤ教徒の家に生まれ、律法を勉強するためにエルサレムに来て、当時の有名な律法学者ラビ・ガマリエルに師事した新進気鋭の律法学者でありました。
それだけでなく、ユダヤ教の正統性を確信する余り、キリスト教の撲滅を計画し、エルサレムのクリスチャンを逮捕するため活躍していたのです。
そのような青年の律法学者であったパウロが主イエス・キリストの弟子となり、福音の使徒となりましたのは、実に復活の主イエスが彼に現れ、彼をキリストの使徒とされたからです。
彼がキリストの使徒に選ばれた出来事は、使徒言行録とパウロ自身が書いた手紙の中で明らかにされています。
先ず、使徒言行録は次にように語っています。彼はキリスト教会に対する迫害の手を伸ばし、祭司長からの委任状を携えて、ダマスコにいるクリスチャンを逮捕しようとして、ダマスコへ向かう途上で、復活のキリスが現れたのです。

(2)サウロの回心
「ところが、サウロが旅をしてダマスコに近づいた時、突然、天からの光が彼の周りを照らした。サウロは地に倒れ、『サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか』と呼びかける声を聞いた。『主よ、あなたはどなたですか』と言うと、答えがあった。『わたしは、あなたが迫害しているイエスである。起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる。』」(9:3~6)
パウロと言う名前は、ラテン語のPaulusという名前で、それは「小さい者」と言う意味です。パウロはユダヤ人ですから、ヘブル語の名前を持っていました。それが「サウル」です。これはイスラエルの最初の王サウルの名前に因んでつけられた名前です。しかし、パウロはクリスチャンとして、サウルと言う名前を一度も使用しませんでした。

復活の主イエスの輝きを見て、パウロは地に倒れたと言われていますが、それは聖なる神の御前に出た人間が抱く、非常な恐れを感じたためでありましょう。
しかし、それだけではありません。その聖なる方が「なぜ、わたしを迫害するのか」とパウロに向かって仰せられたのです。
彼は大いに戸惑いましたが、「主よ、あなたはどなたですか」と必死になってすぐに問い返しています。主の答えは、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。」という実に驚くべき内容でした。
ここでパウロは完全に打ちのめされたのです。なぜなら、自分たちが信じ、仕えていた神は、主イエスによってご自身を完全に現されたことをこの時初めて知ったからです。
こともあろうにパウロは神に仕える目的で、神に反抗していたという事実を悟りました。その時、これほどまで自分たちを盲目的にしていているユダヤ教の教理の実践によっては、救われないことを徹底的に知らされたのです。
ユダヤ教の教えの出発点はあくまでも旧約聖書で語られている神の言葉でありますが、それを律法学者たちによって解釈された人間の考えが、鎖の輪のようになって伝承され、時代を経て権威を持つようになりますと、いつの間にか、ユダヤ教の教理が神の意志に全く反する教えに変質していても誰も気が付かなかったのです。
イエスが現れ、旧約聖書における神の言葉を正しく解釈され、しかも神に完全に従い、自ら神の言葉を実践されたことによって、ユダヤ教の偽善を暴露され、ユダヤ教の敬虔さを否定されました。
これに対してイエスをユダヤ教にとって最大の危険人物であると判断したユダヤ教の当局は、イエスを十字架につけて殺してしまいした。
ユダヤ教の最大の盲点は、イエスは神ではないという先入観です。従いまして、ユダヤ人が待望していた神から遣わされる救い主、すなわちメシアは神の力を持って、この地上のすべての悪を滅ぼし、神の秩序を回復することによって、神の救いを達成する天的人物でありました。しかしメシアはあくまで人間であり、決して神ではないのです。
それに対して、神ご自身がイエスにおいて人間となり、主イエスの死による贖いにより、神の前に生きる正しい人間を創造することが神の救いであるということ、そして救いを実現するために神がご自身を投入されたということ、つまり人間にご自身を与えられたということは、ユダヤ教の範疇をはるかに越えているのです。
しかし、イエスこそ神の御子であり、人間の救いのために十字架の死において、ご自身を人間に与えられた神であることが、今やイエスの復活によって啓示されました。
「わたしはあなたが迫害しているイエスである」という主イエスの御言葉を聞いて、パウロはイエスの敵対者、しかもキリスト教撲滅運動の指揮者から、主イエス・キリストを信じる者、しかもキリストの使徒へと根本的に変化したのです。
このパウロの体験した回心は、神の啓示によって起こりました。彼はガラテヤの信徒への手紙1:15~16で次にように言っています。
「しかし、わたしを母の胎内にある時から選び分け、恵みによって召し出してくださった神が、御心のままに、御子をわたしに示して、その福音を異邦人に告げ知らせるようにされた。----」
このことによって、パウロはキリストの福音を告げ知らせる使徒としての召命を神から受けたのです。

また、コリントの信徒への手紙二、4:6では次にように言っています。「『闇から光が輝き出よ』と命じられる神は、わたしたちの心の内に輝いて、イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光を悟る光を与えてくださいました。」
実に神の啓示により、パウロは復活の主イエスと出会い、福音の使徒として立てられたのです。

(3)福音の真理
それではパウロが神から示された福音の内容は何でありましょうか。
第一にその内容はキリスト中心的であります。福音とは主イエス・キリストを通して、神ご自身が人間の問題を担い、キリストにおいて神の御前に生きる正し人間を創造されたということであります。
神の救いとは、人は誰でもキリストを信じることにより、神との人格的な交わりに入れられ、キリストの命を受けて、神の命令に聞き従い、それを実践し、神を賛美する人間となることであります。
しかも、それは決して人間の功績によるのでなく、ひたすら神の恵みによることであり、キリストを信じる信仰によってのみであります。

「人は律法の実行ではなく、ただイエス・キリストへの信仰によって義とされると知って、わたしたちもキリスト・イエスを信じました。」
(ガラテヤ2:16)
従って、そこにはユダヤ人と異邦人の差別はなく、世界の万民がキリストにおいて、等しく救いの対象とされているというのが福音の内容です。

第二は、人間に対する神の命令は、神の約束であり、その命令を実践するときに、キリストの命がクリスチャンの中に働くので、クリスチャンはそれを実践することができると言うのが福音です。
つまり、クリスチャンは神の命令を自分の力で実行することができるのでなく、キリストの命によって実行できるというのです。そして、神の命令に従い、実行することによって、キリストの命がクリスチャンの中に働くように神は定められたのです。

第三に、クリスチャンの使命は神の命令に従うことです。その場合に、クリスチャンの生き方は、人間と神の両者の協力によって成り立っているのではありません。
そうではなく人間は徹底的に神に依存して生きることです。それゆえに、神の恵みとして与えられている新しい人間の自由によって、クリスチャンは自ら進んで、喜んで神に従うのです。
その際にクリスチャンに対する神の命令は、神が主イエスを通して命じられる道徳的、倫理的な命令です。旧約聖書に記された道徳的、倫理的な命令は主イエスの解釈と実践によって、純粋化され、徹底化されています。

それゆえ、イエスは「言っておくが、あなたがたの義が律法学者やファリサイ派の人々の義にまさっていなければ、あなたがたは決して神の国に入ることができない。」(マタイ5:20)と言われたのです。
しかし、クリスチャンはユダヤ教徒のように、自分の力によって、実行するのでなく、主イエスの命を受けて実行するのでありますから、キリストの与えられる律法は容易なのです。
「わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを要られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」(マタイ11:29~30)

それゆえに、パウロは福音が旧約聖書に定められた諸々の律法の中で道徳的な律法を成就すると言いました。聖霊によってキリストと繋がって生きるクリスチャンは神の律法を成就すると言っています。
「それは肉ではなく、霊に従って歩むわたしたちの内に、律法の要求が満たされるためでした。霊に従って歩む者は、霊に属することを考えます。肉の思いは死であり、霊の思いは命と平安であります。」(ローマ8:4~6)
同時に旧約聖書の中にある祭儀やユダヤ教徒を異教徒と区別するために制定された割礼や生活習慣に関する律法は、今や廃止されていることをパウロは明確にしました。
このようにして、外面的な規則に束縛されないクリスチャンの自由を重視しました。
しかし、それだけではなく、クリスチャンに要求されている愛の業を中心とした道徳的な業を実践することが、クリスチャンに与えられた最大の自由であることを明らかにしました。 

なぜならば、愛の業は決して自己の功績になるのではなく、愛の業は神の恵みに対する純粋な感謝の業であるからです。

最後に、パウロにとって、福音の真理を理解する根拠となりました視点は、神の人間に対する尊い自己譲与であるキリストの十字架の犠牲の死を無駄にしないという一点です。次のように言っています。
「わたしは、神の恵みを無にはしません。もし、人が律法のお蔭で義とされるとすれば、それこそ、キリストの死は無意味になってしまいます。」(ガラテヤ2:21)
実にこの視点によって、パウロはキリストの死の中に人間の救いに必要な事柄のすべてが備えられているという信仰的洞察を得たのです。 
それは正に聖霊による認識であります。聖霊によって、心を照らされたパウロは、そのようにしてキリストの御顔に輝く神の栄光を認識したのです。



スポンサーサイト
教会案内
〒354-0044
埼玉県入間郡三芳町北永井959-3
TEL・FAX:049-258-3766

牧 師:中山弘隆

創立日:1972年2月19日

最寄り駅
東武東上線 鶴瀬駅 西口
東武東上線 ふじみ野駅 西口
よりタクシーで10分
※駐車場完備

三芳教会へのバス利用方法

MAP
三芳教会の地図です
定例集会案内
●主日礼拝
  毎日曜日 10:30~12:00
●教会学校
  毎日曜日 9:15~9:40
●朝の祈祷会
  毎日曜日 9:45~10:10
●キリスト教入門講座
  毎日曜日 9:45~10:10
●マルタマリア会(婦人会)
  毎木曜日 10:30~
●マルタマリア会例会(婦人会)
  毎月第2主日礼拝後

毎木曜日の祈祷会は、2011年5月より、毎日曜日の朝の祈祷会に変更となりました。
三芳教会のご案内
●牧師紹介

●年間行事予定

●写真で見る三芳教会
最新記事
行事報告
● 江田めぐみ伝道師就任式
 (2012年7月22日)


● 教会バザー報告
 (2011年11月23日)


● バーベキュー大会報告
 (2011年8月21日)


● イースター報告
 (2011年4月24日)


● 柿本俊子牧師隠退の感謝会報告
 (2011年3月27日)


● 講壇交換(三羽善次牧師)
 (2011年1月23日)


● 墓前礼拝報告
 (2010年11月7日)


カテゴリ
カレンダー
03 | 2012/04 | 05
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 - - - - -
月別アーカイブ
全記事INDEX

全ての記事を表示する

お知らせ
ようこそいらっしゃいました。



2016年10月に、当ブログの訪問者が9,000人を超えました。感謝いたします。

2015年9月に、当ブログの訪問者が8,000人を超えました。感謝いたします。

2014年9月に、当ブログの訪問者が7,000人を超えました。感謝いたします。

2014年1月に、当ブログの訪問者が6,000人を超えました。主の導きに感謝いたします。

閲覧者数
現在の閲覧者数
現在の閲覧者数:
メールフォーム
三芳教会やキリスト教についてのお問い合わせ、また当教会へのご意見、ご要望等がありましたら、下記のフォームよりうけたまわります。

お名前:
メールアドレス:
件名:
本文:

検索フォーム
リンク
QRコード
QR