2011-12-25(Sun)

御子を与えられた神 2011年12月25日クリスマス礼拝メッセージ

御子を与えられた神
中山弘隆牧師

 ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、「驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君」と唱えられる。ダビデの王座とその王国に権威は増し、平和は絶えることがない。王国は正義と恵みの業によって、今もそしてとこしえに、立てられ支えられる。万軍の主の熱意がこれを成し遂げる。
イザヤ書9章5~6節


 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。御子を信じる者は裁かれない。信じない者は既に裁かれている。神の独り子の名を信じていないからである。光が世に来たのに、人々はその行いが悪いので、光よりも闇の方を好んだ。それが、もう裁きになっている。悪を行う者は皆、光を憎み、その行いが明るみに出されるのを恐れて、光の方に来ないからである。しかし、真理を行う者は光の方に来る。その行いが神に導かれてなされたということが、明らかになるために。」
ヨハネによる福音書3章16~21節


(1) クリスマスの喜び
 今日クリスマスは、世界の多くの人々が祝っています。わが国でも、クリスマスシーズンになりますと、夜空にイルミネーションが美しく輝き、各家庭では、クリスマツ・ツリーやリースが飾られます。今年は空高くそびえる東京スカイツリーが白色電燈のライトアップでクリスマスを祝っています。それを見ますと、日本の社会はキリスト教になったのかと思うほどです。
しかし誰でもそれを見て、清らかな喜びを感じることでありましょう。また、音楽の愛好者は、メッサイヤを聞いて、偉大な神の恵みを思うことでありましょう。それではどうしてクリスマスは喜ばしい日なのでしょうか。
 それは、世界中の人々のために、救い主がお生まれになったからです。確かに、救い主と言いましても、色々な救い主があります。世の中が行き詰まって、人々が生活でき無くなってしまったとき、偉大な指導者や偉大な政治家、あるいは偉大な宗教家、あるいは偉大な思想家、あるいは専門的な能力を持った天才が出現して、世の中を新しくし、人々が安心して暮らせるようにするならば、そういう人々もある意味で救い主であると言えます。

 しかし、クリスマスに誕生された救い主は、暗い世の中に真の光を輝かせておられる方であり、すべての人に真の命を与えるために来られた唯一人の救い主であります。その救い主は、神様がこの世に遣わされた方です。
聖書は次のように語っています。
 「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。」 (3:16~17)
 クリスマスの喜びは、神様がわたしたち人間を愛して下さり、神の御子を救い主として、この世に送って下さったことです。これほど大きな愛は他にありません。
 なぜならば、クリスマスが人間に対する神の愛の現れであるということは、それが単なる教えではなく、確かな事実であるからです。
ここにキリスト教の独自の強みがあります。すなわち、全人類の救い主であるイエス・キリストが決して架空の人物ではなく、「歴史上の実在の人物」であるからです。
処女マリアより生まれ、その日から救い主としての第一歩を踏み出された方であります。しかもそれ以来、永遠に人間と共にいます救い主であります。
わたしたちは歴史の中の人物となられた「イエス」をつぶさに見て、その全生涯をよく考慮し、この方は神であると判断するのです。この方の中に完全な神の性質が宿っていることを知り、主イエスを救い主として信じるのです。そしてこの信仰を持って、イエスの誕生を振り返ることによって、クリスマスの深い意義を知るのです。

実に、神の御子が救い主として、この世に来られるために、「処女マリア」より人間となって生まれられたのです。それゆえ主イエス・キリストの誕生は「降誕」と呼ばれています。
普通の人の誕生とは異なり、この世界が造られる前から存在しておられる神の御子が神のもとから降って来て、人間としてお生まれになったので、「御子の降誕」と言います。
しかし、御子は人間になられたことによって、神で無くなられたというのではありません。そうではなく御子は神であり同時に人間である方になられたのです。この方をわたしたちは主イエスと呼びます。

(2)神が共にいます世界
次ぎに、クリスマスを迎え、この世界は「神の御子イエス」を通して「神共にいます世界」であることを知りますと、世界に対するわたしたちの見方が変わります。
それまでは、この自然が、実に広くその中に多種多様の動植物の生きている豊かな世界であることを知っていても、その反面、自然の荒波は人間に冷淡であり、自然は人間に敵対しているようにも見えました。自然の中でも、弱肉強食の激しい争いが繰り広げられており、気まぐれな運命が支配しているのではないかと疑いを感じることさえありました。
どうして同じ世界なのに、よく見えたり、悪く見えたり、美しく見えたり、醜く見えたり、優しく見えたり、辛辣に見えたりするのでしょうか。その理由は、自然を見る人間の見方にあります。同じ自然でも、それを見る人の見方が違えば、違って見えるのです。
この世界はそれ自身によって存在しているという見方をすれば、自然は弱肉強食の過酷な世界に見えます。だがこの自然は神によって造られた世界という見方をすれば、そこに神の恵み深い意志と目的が働いていることを知ることができます。そして、わたしたちはどのような試練や苦しみに遭遇しても、この世界の中に生きていることを幸いだと思うのです。
 キリスト教主義の小学校の先生で熱心なクリスチャンの方が、一人の女の子が、主イエスを信じるようになった時の体験を話されました。そのときのことをわたしは時々思い出します。その子は主イエスを信じる前には、それまで家で飼っている金魚が憎たらしく見えたのに、信仰が与えられてからは、その金魚がとても可愛いらしく見えるようになったというのです。わたしたちも、周囲の風景を神様の創造の業として眺めるならば、神様の光を受けて、すべてのものが喜びに輝いているように思えます。これが神共にいます世界です。
       
(3)神の自己譲与
さらに聖書は、御子の降誕を「神はその独り子をお与えになったほどに、世を愛された。」と言っています。御子を世に「与える」、御子を人間に「与える」と言っているのです。これはどういう意味でしょうか。これは三つの意義を持っています。

第一は、神がご自身を人間に完全に現されるために、父・子・聖霊の神が御子の存在、すなわちパーソンにおいて、自ら人間となられたのです。そして、神は御子イエスにおいて、人間に対して究極的な神の言葉を語られたのです。
そういう面において、神は御子イエスの存在において、「インマヌエル」すなわち「われらと共にいます神」なのです。

第二は、神は御子イエスの存在において、「神と共にいる人間」となられたのです。
人類の始祖アダムは「神と共にいる人間」として創造されたのですが、創造の当初から、人間に与えられた自由意志を悪用することによって、神に反抗しましたので、「神から離れ去った人間」となったのです。
神から離れ去ることによって、「失われた者」となった人間を救うために、神の御子イエスは神の御心を完全に知り、神に完全に従われたことによって、真実の意味で、「神と共にいる人間」として、地上の人生を全うされたのです。

第三は、罪と邪悪さの中にあって失われた人間であるわたしたち人類を「神と共にいる人間」とするために、罪のない御子イエスが人類の罪を担い、罪の裁きを受け、死に至るまで従順であることにより、人類を罪から贖い、しかも死に至るまで従順であったことにより達成されたご自身の義を人類に与えてくださいました。
このことにより、わたしたちすべての人間は「主イエスにおいて」
「神と共にいる人間」となったのです。すなわち「新しい人間の存在」となったのです。
これは「神ご自身」が、御子イエスにおいて、「人間の存在に関与」されたということです。実に人間の存在を神ご自身が担い、神の御前に生きる「真の人間存在」とされたのです。

言い換えれば、これこそ人類を救うという「神の意志の最終的な達成」であります。単に人間を諸々の悲惨から助け、人間の生活を脅かしている諸々の困難から救い出すというだけではありません。
そうではなく、「人間の存在そのもの」を救うという神の意志の達成であります。
従まして、主イエスは人類の救い主だけでなく、「救い」そのものなのです。詳しく説明しますと、わたしたちの「人間としての新しい存在」は、主イエスの存在の中で創造され、確保されているのです。
以上の三つの意味で、クリスマスの出来事は、「インマヌエル」すなわち「神われらと共にいます」という旧約聖書の預言の実現であります。

まさにこれこそクリスマスの喜びであり、それは決して過ぎ去ることのない、決して色褪せてしまうことのない喜びであります。
それゆえ、わたしたちは神様を賛美するために、クリスマスの礼拝を守ります。このように、御子の降誕を通して示された人間に対する神の愛と人間存在に対する神ご自身の関与を賛美することが、教会におけるクリスマス礼拝です。
      
(4)神の国に包まれている世界
最後に、わたしたちが新しい存在として生きる場所、生きる国が「神共にいます世界」です。言い換えれば、「神の国」なのです。
そして父なる神は主イエスを神の国の支配者として立てられました。聖書はこのように言っています。
「御父は、わたしたちを闇の力から救い出して、その愛する御子の支配下に移してくださいました。」(コロサイ1:13)
神の国は主イエスが聖霊によって臨在されるので、そこには新しい存在の生命と自由が満ち満ちているのです。
そして復活の主イエスは聖霊を通してこの世界に臨在しておられますので、今や神の国はこの世界の中に入って来て、この世界を取り囲み、包み込んでいるのです。
このことが生きとし生ける者の喜びと希望なのです。


わたしたちは主イエス・キリストを信じるときに、わたしたち一人一人を取り囲んでいる「神の国」に入って、その中で生きるのです。わたしたちが聖書の御言葉に聞くことにより、復活の主イエスと出会うとき、主イエスは、わたしたちを神の国の中に導き入れ、その中で生きるようにしてくださるのです。
わたしたちは空気を吸うように、その中に充満している生命と自由すなわち神の愛をわたしたちの存在の中に受け取り、神の御心を行うのです。
わたしたちが既に与えられている新しい存在として生きるために、わたしたちを神の国に導き入れる手引きは、主イエスの御言葉です。主イエスの御言葉を聞き、御言葉に従うことによって、そこに入ることができるのです。
このことがわたしたちはこの世界の人生において、「新しい人間の存在」として生きることなのです。

神の国がそういう仕方で、この世界を取り囲み、包み込んでいます。人はどこに行こうとも、神の国に取り囲まれているのです。
この世界はまだ主イエスを信じていませんが、神はこの世界を愛し、御子を与え、御子の贖いと復活をとおして、「神の国」とするために、すでに「神の国」がこの世界を取り囲み、包み込んでいるのです。そういう意味でこの世界は「神共にいます世界」であります。
 このように、神がこの世界の人々を愛し、御子を与えられたことを感謝し、喜び、神を賛美することがクリスマスの意味であります。



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