2011-08-28(Sun)

キリスト者の自由 2011年8月28日の礼拝メッセージ

キリスト者の自由
中山弘隆牧師

 ここで、わたしパウロはあなたがたに断言します。もし割礼を受けるなら、あなたがたにとってキリストは何の役にも立たない方になります。割礼を受ける人すべてに、もう一度はっきり言います。そういう人は律法全体を行う義務があるのです。律法によって義とされようとするなら、あなたがたはだれであろうと、キリストとは縁もゆかりもない者とされ、いただいた恵みも失います。わたしたちは、義とされた者の希望が実現することを、“霊”により、信仰に基づいて切に待ち望んでいるのです。キリスト・イエスに結ばれていれば、割礼の有無は問題ではなく、愛の実践を伴う信仰こそ大切です。あなたがたは、よく走っていました。それなのに、いったいだれが邪魔をして真理に従わないようにさせたのですか。このような誘いは、あなたがたを召し出しておられる方からのものではありません。わずかなパン種が練り粉全体を膨らませるのです。あなたがたが決して別な考えを持つことはないと、わたしは主をよりどころとしてあなたがたを信頼しています。あなたがたを惑わす者は、だれであろうと、裁きを受けます。兄弟たち、このわたしが、今なお割礼を宣べ伝えているとするならば、今なお迫害を受けているのは、なぜですか。そのようなことを宣べ伝えれば、十字架のつまずきもなくなっていたことでしょう。あなたがたをかき乱す者たちは、いっそのこと自ら去勢してしまえばよい。兄弟たち、あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです。ただ、この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい。律法全体は、「隣人を自分のように愛しなさい」という一句によって全うされるからです。
ガラテヤの信徒への手紙5章2~14節



(1)教会修養会に当たって
 本日は恒例になっています年一度の教会修養会です。礼拝の中で、お二人の方の信仰の証と発題をしていただきました。礼拝後昼食をはさんで皆で話し合いをいたします。
 今年の年主題は、「キリスト者の自由」であり、またその副題は、「愛の実践を伴う信仰」です。その目標は福音的な信仰を一人一人が自分のものとし、良心の自由と聖書の御言葉によって、自主的な判断ができるように成長することです。その上で、互いに欠けた所を補って、共に伝道と教会形成に参加することであります。

(2)ガラテヤの手紙の指針
 ガラテヤの信徒への手紙の指針はクリスチャンがキリストにある自由の上に立って、神の命令である律法を正しく理解し、ユダヤ教の律法主義の軛から解放され、本当の意味で律法を成就する生き方をすることであります。本当の意味での神の律法をパウロは「キリストの律法」(ガラテヤ6:2;コリント一、9:21)と呼んでいます。
 ユダヤ教が言う律法とは、モーセの律法であり、それは旧約聖書の中にあるモーセ五書の教えです。ユダヤ教ではそれを律法の書とは呼ばないで、「トーラー」すなわち「教え」と呼んでいます。
ユダヤ教の教理は、トーラーが神の絶対的な意志であり、モーセを通して示された究極的な啓示であると主張しています。従って人間はトーラーの教えに従う正しい生活をするならば、言い換えれば律法を行うことによって、自己の功績を得るならば、救われるというのです。 
しかし、ユダヤ教の律法主義は人間を救うことはできず、人間を罪の中に閉じ込める働きをしました。
 神の啓示に関して、パウロは次のように旧約聖書を理解しています。神がアブラハムに現れ、神の恵みとしての救いを約束され、アブラハムが神の約束を信じて、神から正しい者と認められたことが、旧約聖書における最大の啓示であると見ています。従って、ガラテヤの手紙3:15~19で、彼は律法が決して究極的な啓示でないことを旧約聖書によって論証しています。
 しかしそれだけではありません。神はアブラハムに約束された救いを実現するために、神の御子である主イエス・キリストを通して、究極的な啓示を与えられました。
 実に救いは、神が主イエス・キリストによって実現してくださった恵みなのです。人間はだれであっても、主イエスの恵みを信じる信仰によってのみ、救われるのです。このことが神の究極的な啓示であります。このことを明確にし、そこに立脚した信仰生活を堅持することがガラテヤの信徒への手紙の趣旨です。
 5:1と13で、パウロはこのように言っています。
 「この自由を得させるために、キリストはわたしたちを自由の身にしてくださったのです。だから、しっかりしなさい。奴隷の軛につながれてはなりません。」
 「兄弟たち、あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです。ただ、この自由を、肉に罪を犯させる機会とせず、愛によって互いに仕えなさい。律法全体は、『隣人を自分のように愛しなさい』という一句によって全うされるからです。」

 以上のように、クリスチャンに与えられた自由は、キリストにおいて、神が与えてくださったものです。この自由とは、積極的にいえば、わたしたちが良心の自由をもって、神の御言葉を実行し、隣人を愛することです。消極的に言えば、自分を誘惑するこの世の思いに対して、ノーを言う態度を取ることです。様々な誘惑を拒絶する自由です。

(3)宗教改革者の理解
 キリスト教の歴史の中に潜在していた律法主義的傾向を清算し、パウロが明確にした福音主義的な信仰を確立させた運動が、プロテスタントの宗教改革でありました。わたしたちの日本基督教団は宗教改革の流れを継承し、福音主義的な信仰に立っています。
 宗教改革者の一人であったジャン・カルヴァンは「キリスト教綱要」の第三巻の19章で「クリスチャンの自由」について書いています。
 その中で、カルヴァンは自分が理解しているクリスチャンの自由を要約すれば、次の三点を挙げることができると言っています。

 第一点は、神の御前でわれわれが義と認められるためには、われわれはいかに正しい人間になるかが問題ではなく、いかに正しい人間として神から認められることが問題である。従ってそれは、律法の業による自己の正しさを捨てて、言い換えればわれわれ自身に注意を向けるのではなく、神の御心を完全に実行されたキリストにのみ注目し、キリストがわれわれの正しさとなってくださっていることを信じることそれ自体が、神から義と認められることである、と言っています。

 第二点は、神の命令を実践する場合に、律法の強制によってではなく、自ら進んで、自発的に行うならば、神はそれを受け入れてくださる。律法の軛から解放された良心が神の命令を自発的に実行することによって、クリスチャンは神の命令に従うことができる。そうすることが律法を成就するのである、と言っています。
 この点に関して、カルヴァンは奴隷と息子との対比を語っています。
奴隷は主人から言いつけられた仕事を完全になし終えなければ、主人の前に出ようとはしない。これが律法主義者であり、ユダヤ教徒である。
 それに対して、父から寛大にそして公正に取り扱われている息子は父の命令を不完全で、半分しかできていなくても、さらに欠点があっても、父への従順と自発性が父から受け入れられることを信頼して、自分の成した業を父に献げることを躊躇しない。これがクリスチャンである。

 この点で、宗教改革者の一人であったメランヒトンは、そのようなキリストにあるクリスチャンの自発性と従順は聖霊の推進力によって可能となると言っています。

第三点は、旧約の律法が外面的な事柄を規定している場合、それが今日のクリスチャンにとって重要視する必要がなければ、クリスチャンは神の御前で何ら拘束されることはない、と言っています。
また、教会が信徒にそのような外面的で、重要でないことを規定し義務を課しても、神の御前ではそのような規定は通用しないと言っています。

 カルヴァンは以上の三点が律法の軛から解放された良心の自由であると教えています。その上で、さらに次のように言っています。
 われわれが人生の最後に神の裁きを受けるとき、最早律法はわれわれを罪に定めないのであるが、それだからと言って、律法の役割が無くなったのではない。あくまでも律法は人間に対する神の命令であり、律法がわれわれに何が善であるかを教え、それを実行することをわれわれに奨励し、促すことは律法の重要な役目である、と教えています。

(4)聖霊の働き
 主イエスを信じることによって、聖霊が信仰者の中に内住し、信仰者を導きます。ここに聖霊の本質的な働きがあります。
 先ず聖霊は福音を聞いて、主イエスを信じることによって、与えられます。パウロはガラテヤのクリスチャンをユダヤ教の律法主義から福音主義に引き戻すために、この点を再確認しています。次にようにガラテヤの人々に問うています。
 「ああ、物わかりの悪いガラテヤの人たち、だれがあなたがたを惑わしたのか。目の前に、イエス・キリストが十字架につけられた姿ではっきり示されたではないか。あなたがたに一つだけ確かめたい。あなたがたが『霊』を受けたのは、律法を行ったからですか。それとも、福音を聞いて信じたからですか。あなたがたは、それほど物わかりが悪く、『霊』によって始めたのに、肉によって仕上げようとするのですか」(3:1~3)
 パウロの語る福音とは十字架の言葉です。その福音をパウロがガラテヤの人々に語りましたとき、ガラテヤの人々が主イエスを救い主として信じました。同時に聖霊が与えられたのです。それは何ものにも代えられない貴重な体験です。
「あれほどのことを体験したのは、無駄だったのですか。無駄であったはずはないでしょうに----。」(3:4)とパウロは指摘しています。

 このように、聖霊の働きの一つは、福音が語っている主イエス・キリストを信じさせることです。
 神の御子である主イエス・キリストが十字架について死なれたのは、人類のすべての罪をご自分の上に担い、人類の罪に対する神の裁きを受けられたことです。その中で、主イエスは父なる神の御心に完全に従われました。その完全な従順によって、裁きを通して、救いを与えるという神の計画が実現したのです。
 神は主イエスの死において、すべての罪人を根こそぎ撲滅させられました。そのことを通して、すべての人間を神の御心に適う正し人間として新しく創造されたのです。
これまで神は長い救いの歴史の中で、忍耐をもって人間の罪を見逃して来られましたが、今や神は人間の罪に対してご自身の正しさを最後まで貫徹されたのです。このことを通してのみ神が人間の正しさを実現してくださったのです。
 そこにおいて下された判決は、罪人に対する死であり、主イエスによって担われたすべての罪人を、神の御心に適う正しい人間として創造されたことです。この判決が主イエスを死人の中から復活させたのです。
従いまして、主イエスの十字架の死と復活の出来事を通して宣言された神の判決を信じることが聖霊の働きなのです。

聖霊の働きによる信仰によって、わたしたちは主イエスの十字架と復活の中で、神から最終的に受け入れられ、義と認められ、自己の罪を日々赦され、神との人格的な交わりの中に入れられているのです。この信仰により、わたしたちは心の平安と喜びと確信をもって、自分の人生を生きることができるのです。

聖霊の第二の働きは、聖霊を通して神の愛がわたしたちの中に働き、わたしたちは神の愛を実行するのです。わたしたち人間の中に働く神の愛は、御子である主イエスの愛であり、それは父に対する愛と隣人に対する愛です。
 御子の父に対する愛は、父への従順であり、父の御心を知り、それを自発的に実行することであります。それゆえ、聖霊を通して、わたしたちの中に働く御子の愛が、わたしたちに神の律法を自発的に実行することを可能にするのです。

言い換えればわたしたちの中に働く主イエスの愛は、神が主イエスによって創造されたわたしたちの自由と共に働くのです。この場合に律法はわたしたちに良心の自由を行使するように促す役割を果します。なぜならば神の命令である律法は、主イエスによって今や神の約束として働くからです。その中で、わたしたちが主イエスの思いを自分の思いとするときに、新しい人間の自由を行使することができるのです。
従いまして、律法は聖霊に導かれている人間の自由を指し示しているのです。これが聖霊に従って歩む人生です。
聖霊は律法が命じていることは、隣人を自分自身のように愛しなさいと言う一句に尽きることを認識させます。
それゆえ神への従順をもって隣人を愛するとき、わたしたちは実行すればするほど、奥が深く、常に自分は道半ばまで、あるは最初の段階まで歩んできたに過ぎないと思えるのです。それが聖霊に導かれている聖化の過程なのです。そのような聖化の過程を歩むことによって、人は主イエスの性質に似る者へと変えられていきます。

聖霊の実をパウロは次のように言っています。
「霊の結ぶ実は、愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。」(5:23)
ここで、聖霊の実として最後に挙げられた「節制」とはギリシャ語で、「エグクラテイア」という言葉で「自制」という意味です。
クリスチャンは罪の誘惑を受けるとき、それに従う思いや行為は、自分にとって死の陰にとどまることを意味しており、それは時間の浪費であることを認識し、それを退けることが自制であります。自制もまたクリスチャンの自由の行使なのです。

要するに、わたしたちは信仰義認の上に立って、主イエスとの永遠の交わりの中で、日々の時間を大切にしつつ主イエスの業に励むことが重要です。聖霊によって、主イエスの思いを自分の思いとして神の命令に聞き従い、神の御心を実践する過程の中でこそ、クリスチャンの自由は活発に働くのです。



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