2011-07-31(Sun)

神の究極の目標 2011年7月31日の礼拝メッセージ

神の究極の目標
中山弘隆牧師

 その人たちはそこを立って、ソドムを見下ろす所まで来た。アブラハムも、彼らを見送るために一緒に行った。主は言われた。「わたしが行おうとしていることをアブラハムに隠す必要があろうか。アブラハムは大きな強い国民になり、世界のすべての国民は彼によって祝福に入る。わたしがアブラハムを選んだのは、彼が息子たちとその子孫に、主の道を守り、主に従って正義を行うよう命じて、主がアブラハムに約束したことを成就するためである。」
創世記18章16~19節


 また、彼らのためだけでなく、彼らの言葉によってわたしを信じる人々のためにも、お願いします。父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちの内にいるようにしてください。そうすれば、世は、あなたがわたしをお遣わしになったことを、信じるようになります。あなたがくださった栄光を、わたしは彼らに与えました。わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです。わたしが彼らの内におり、あなたがわたしの内におられるのは、彼らが完全に一つになるためです。こうして、あなたがわたしをお遣わしになったこと、また、わたしを愛しておられたように、彼らをも愛しておられたことを、世が知るようになります。父よ、わたしに与えてくださった人々を、わたしのいる所に、共におらせてください。それは、天地創造の前からわたしを愛して、与えてくださったわたしの栄光を、彼らに見せるためです。正しい父よ、世はあなたを知りませんが、わたしはあなたを知っており、この人々はあなたがわたしを遣わされたことを知っています。わたしは御名を彼らに知らせました。また、これからも知らせます。わたしに対するあなたの愛が彼らの内にあり、わたしも彼らの内にいるようになるためです。」
ヨハネによる福音書17章20~26節


(1)最後の講話と祈り
 本日の聖書の箇所では、主イエスが弟子たちと共に守られた最後の晩餐の後に教えられた講話が、祈りによって締めくくられています。この祈りは、主イエスが地上における人類の救い主としての使命を果たし、十字架の死から復活し、昇天して神の右に座し、天地の支配者の座に就かれるための祈りであります。
 ヨハネによる福音書によりますと、イエスの復活・昇天への道は十字架の死であり、両者は同時的であります。その十字架の死の先取りとして、主イエスはこの祈りを父なる神に献げられました。従いまして、主イエスはこの祈りによって霊的な意味で十字架の死を全うし、復活と昇天の実態がその先取りとして、この祈りの中に現れているのです。このような重大な意味がこの祈りの中にあります。

 この17章は四つの部分から構成されています。
第一の部分は、1節から5節までです。ここで、イエスは父なる神に呼びかけ、地上での生涯において、父への従順を貫き、父から委ねられた業を実行されたことを振り返っておられます。そして近づいている十字架の犠牲の死が父に栄光を帰す決定的な手段であることを自覚し、その死によって神の栄光が現れますようにと、祈られました。  
さらに、地上に残る弟子たちを福音宣教のために世界に派遣したと言っておられます。そして弟子たちが主イエスにあって一致を守るように祈っておられます。
第二の部分は、6節から19節までです。主イエスは弟子たちに神の御名を知らせたと言っておられます。
神の御子である主イエスは人間に父なる神を啓示する唯一の仲保者であります。それゆえ神は主イエスを通して、ご自身を啓示されましたので、弟子たちは神を信じ、神の御名を知る者たちとなりました。
「神の御名」とは生ける神の存在と性質であります。しかも人間を救う神の現実的な働きです。
しかし、今や主イエスの十字架の死と復活と昇天により、主イエスは神として、天と地に臨在し、働いておられます。この新しい時代に入ると、主イエスの人間性は人の目に見えなくなります。それにも拘らず、主イエスの人格において、主イエスの人間性と神性とは永遠に結びついています。
それゆえ、昇天された主イエスはご自身の神としての働きによって、地上にもおられる方でありますので、弟子たちから離れてしまわれたのではありません。しかも、ご自身の神性を通して、ご自身の人間性を示し、地上で救いの業を全うされたご自身の人間性とその生命を与えられるのです。それゆえに、今や主イエスは名実ともに人類の救い主なのです。
この人類の救い主である主イエスは、神の言葉である福音を通して、人間と出会い、信仰を与え、ご自身の命を与えられる方です。人間を生かし、救う「神の真理」は、神の御言葉でありますが、今や「主イエスご自身」が「御言葉」となられたのです。神の御言葉とは、主イエスの言葉と業であり、主イエスの人格であり、主イエスの思いと性質なのです。それゆえ、主イエスは御言葉を通して、この地上に臨在し、救いの業を進めておられる方となられたのです。
第三の部分は、20節から24節までです。ここでは、弟子たちだけでなく、彼らの宣教により主イエスを信じて教会に加わる信仰者たちのために祈っておられます。クリスチャンの共同体である教会の一致が、世界の人々に福音を信じさせる強力な手段となると言っておられます。さらに、すべてのクリスチャンの最後は、永遠の国で主イエスと共に住み、主イエスの栄光を見るようになることです。
第四の部分は、25節から26節であります。ここで主イエスはご自身の働きを回顧し、この世界は神を認めるには至らなかったが、主イエスが神から遣わされた方であることを認めた者たちは、神を知るようになったことを感謝しておられます。今後、彼らがますます神を知るようになることによって、この世界への伝道が進むことを祈っておられます。

(2)主イエスにおける一致
次に、21節で主イエスは、すべての信仰者たちのためにこのように祈られました。
「父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちの内にいるようにしてください。そうすれば、世は、あなたがわたしをお遣わしになったことを、信じるようになります。」
ここで主イエスはすべてのクリスチャンが一つであるようにしてくださいと、父なる神に祈っておられます。その理由は世の人々が福音を信じるようになるためであります。
現在のキリスト教は、プロテスタント教会とローマ・カトリック教会、ギリシャ正教会、英国国教会に分裂しています。さらにプロテスタント教会では多くの教派に分かれていますので、キリスト教会全体の一致を保つため、プロテスタントの諸教会は1910年に英国のエディンバラにおいて宣教師たちによる宣教会議が開かれました。これがエキュメニカル運動の発端と呼ばれています。
この運動が発展して1948年に「世界教会会議」(W.C.C)が創設され、その後この世界教会会議を通して、諸教会が一つになる努力が積み重ねられてきました。
確かにわたしたちは使徒信条で、「われは聖なる公同の教会を信ず」と告白していますように、教会がキリストの体であるという本質からすれば、教会は最初から一つであり、今日もその通りであり、それは永遠に変わることがありません。それでもエキュメニカル運動は、世界宣教を促進するために、教会の本質的な一致の上に立って、教理や礼拝式や組織の面、信仰生活とその業の面での統一を目指しています。
現状ではまだその目的が達成されるには至っていませんが、それでも多くの成果が得られました。エキュメニカル運動の結果、今ではどの教派も自分たちが真実の教会であると主張していることをお互いに認め合うことができたということです。
そしてその中で、自分の教派だけが唯一の真実な教会であると主張している教派は、多分間違っているという認識を共有することができたことです。
キリストがここで祈っておられる一致とは、キリストを信じるすべての信仰者の一致であります。しかしこの一致の状態は、信仰者が考えることも、話すことも、することも、すべて紋切り型であるという一致ではありません。そうではなく、それぞれが自立した人格としての個性を持っている多様性の中での一致です。しかも教会と言う信仰共同体の一致であります。クリスチャンがもし教会に属さないで、自分だけで信仰を保ち、道徳的な品位ある幸せな人生を歩みたいと考えているとすれば、キリストにある一致は不必要です。それぞれが自己の確信に従って歩むだけで十分です。
しかしクリスチャンとはキリストにつながって生きる者である以上、具体的に教会に属し、信仰共同体の中で、信仰の人生を歩まなければならないのです。
従いまして、それぞれのクリスチャンが自分たちの信仰共同体である教会の基本的な考えや目的を理解し、それを共有し、協力し、互いに奉仕し合うことによって、一致を作りだす責任を負っているのです。その使命はキリストから一人一人に与えられています。すなわち、共に教会のメンバーとして、それぞれが同じ目的のために、それぞれが神から頂いた賜物を用いて働くことによって作りだされる一致です。それは愛の働きによる一致であります。
言い換えれば、キリストにある一致です。その理由はキリストが一致を保つ教会の中におられるからです。
キリストはマタイによる福音書18章20節で、「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」と約束されていますように、二、三人が心を合わせて礼拝し、互いに愛をもって奉仕している中にキリストが共にいてくださるのです。

(3)神との交わり
次に、このことは教会員であるわたしたちが神ご自身との人格的な交わりの中に入れられているということです。改めて考えれば人間の分際で永遠者なる神との交わりを受けるというこれほど尊い恵みは他にはありません。これはわたしたちに与えられた無限の宝です。聖書はこれを永遠の命と呼んでいます。
人間であるわたしたちが、しかも罪を犯し、神に絶えず背いているわたしたちが、再び撤回されることのない神との交わりの中に入れられているのです。
なぜでしょうか。それは専ら主イエス・キリストの恵みによるのです。神は罪人を愛し、主イエス・キリストにおいて、罪人を罪から贖い、神の御前に罪のない者として立たせてくださいました。
これが主イエスの十字架の犠牲の死と、死人の中らの復活により、神が実現してくださった事柄なのです。この霊的な事実を聖書は神が人類をご自身と和解させてくださった「和解の事実」と言っています。実に神が自由なる恵みをもって行動し、判決されたのです。そして御子イエスが人類の罪を贖うためにご自身を与えて出さったのです。それゆえ、救われた人間の生きる「新しい命」と「新しい存在」を、神は主イエスの中に置かれたのです。この神の行為と判決が罪人に対する「神の愛」であります。
神がこのように主イエス・キリストにおいて、わたしたち人間のために実現してくださった事柄を信じる者、すなわち主イエスを信じる者には、神との人格的な交わりが与えられるのです。そこにおける人間と神との人格的な交わりは、父と子との中に存在する神ご自身の交わりをモデルとして、それを反映するものなのです。
父なる神は御子を愛して、御子の中に働き、ご自身のすべてのものを御子に示されました。御子はすべてのことにおいて父なる神に従い、父なる神の御心を実行され、栄光を父なる神に帰されました。これが父なる神に対する御子の愛であります。そこに神ご自身の中にある愛による一致があるのです。

わたしたち信仰者は主イエスとの人格的な交わりの中で、神に完全に依存し、神に祈り求め、人間に対する神の意志と命令を知り、主イエスの「心と命」とを与えられて、神の命令を実行することができるのです。父を愛された「御子の愛」が、人間であるわたしたちの中に働き、わたしたちは人間として、同時に御子の愛をもって、自ら自発的に、喜びと感謝をもって、神の御心を実行し、栄光を神に帰す人間となるのです。
この体験を通して、父なる神と子なる神の中に働いている愛がクリスチャンの中にも働くのです。このようにして、クリスチャンは人間の分際ですが、神ご自身の中にある愛の交わりと一致を知るのです。
そして、わたしたち人間の相互の間に愛による一致が形成されます。それが神ご自身の中にある愛による神の一致を反映させることです。 
 このことによって、世界は神が主イエス・キリストを通して世界に救いを与えられることを知るのです。

(4)すべての人間が一つになる
最後に、神が主イエスによって、そして聖霊を通して、この歴史の中で計画しておられることは、全人類の救いです。それはどのようにして達成されるのでしょうか。それはこの世界が父なる神は御子イエスをこの世界に遣わされたことを知ることによってです。23節で主イエスはこのように父なる神に祈られました。
「わたしが彼らの中におり、あなたがわたしの内におられるのは、彼らが完全に一つとなるためです。こうして、あなたがわたしをお遣わしになったこと、また、わたしを愛しておられたように、彼らをも愛しておられることを、世が知るようになります。」
ここに神の究極目標が明らかにされています。神の究極目標とは、主イエスによって、聖霊を通して、全人類が神との交わりに入れられることです。
主イエスを通して啓示され、提供されている神の愛と救いは全世界と全人類を対象としています。主イエスが自ら進んで、神の愛をもってご自身を全人類と連帯化させ、その代表となり、全人類の罪を一身に担い、全人類のために、全人類に代わって責任を取り、神の裁きを受けられ、十字架の死の極みまで神に従順であったことにより、神は全人類をご自身と和解させ、全人類とご自身と結合させられたのです。神の愛は主イエスにおける神と人間との間にすでに起こったこの結合の中で働いています。
主イエスの人間との連帯、和解による神と人間との結合の中には、クリスチャンとクリスチャンでない者、教会と世界との両方が含まれているのです。
しかし、この神の恵みの事実がキリストの福音として語られる場合に、それを信じる者と信じない者との区別が発生します。神が人間に与えられた神との結合を信じ、認識することによって、人はクリスチャンになります。またそのことによって、クリスチャンは福音を世界に宣教する使命が与えられているのです。
しかし、それは世界が主イエスにおいて、すでに神と結ばれていることを証するためです。人間はだれでもこの神との和解による結合の中で、神の愛が人間の中に働くことによってのみ、真の命に生きることを証するためです。神の愛による人間の一致が、人間の間に真の一致を形成することを証するためです。
それゆえ、クリスチャンの使命を果たすために、わたしたちは神の愛がわたしたちの中に働くことを祈り求め、自分の思いと言葉と行動において、主イエスの思いと行動に見習うことが必要です。



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